城の実物大模型                                                         岡森利幸   2008/2/29

                                                                    R1-2008/3/28

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2005/7/8地域面

小田原城の桜の名所、隅櫓橋、来春で見納め。

馬出門を復元する。

地方に行くと、よく城を見ることができる。外観は昔の形でも、中身はほとんどコンクリート造りの近代建築物だ。それらの多くは、公的な資金で再建、あるいは修復されたものだ。観光の対象になり、入場料を払えば中には入れるところも多い。

私が住んでいる近隣の市、小田原市が城の周囲を含めてやたらに城郭の再建に熱心なのが気になっている。東海道線の車窓からよく見える本丸だけでなく、二の丸隅櫓(*1)、常盤門、銅門に続いて馬出門(2008年3月現在工事中)など城域内に立派な構造物を次々に復元・再建している。観光の目玉として、郷土の誇りや市のシンボルとして、あるいは文化財として再建の理由があるのかもしれないが……。引用の記事は、昔の馬出門を復元するために、近年になって人々の通行が便利になるように堀にかけられた隅櫓橋が取り壊されるという意味なのだ。建設と破壊は紙一重のようなところがあるが、これもその一例だろう。城址公園を整備すると称して、これまでにも、城郭内にあった、伝統ある小学校が十数年前に廃校にされ、その講堂(*2)を除いて取り壊されている。

城は、武士が支配していた時代の遺物であり、戦闘のための砦として、あるいは支配者の住居として、その権威を見せ付けるための「こけおどし」として、時代の必要性に応じて建設されたものだ。しかし、今では、その役目はとっくに終えた。実用的なところといえば、天守閣が遠くを見渡すための展望台として機能を果たすぐらいだ。城は、一部の特権階級が民衆から年貢などを吸い上げていた封建制度の象徴だろう。

古くから伝わるものを、傷たんだ部分を修復するなどして保存するのならば意味があるけれど、跡形もなくなったところからコンクリートで再建するのはおかしくないだろうか。実物大の模型を作っているようなものだからだ。あんな「模型」では、歴史的建造物としての文化的価値も、教育的効果も無きに等しい。1/100程のサイズで精密な模型を作るほうがずっと見やすく、人々の参考になるだろう。

再建を考える人(特に行政に携わる人たち)は、昔の殿様になったつもりで、増築しようとしているのだろう。彼らは、鉄道などの縮尺模型を作って喜ぶ人と同列だろう。「趣味」で城を造っているとしか思えない。これらを建設、維持管理するのは、それなりに金がかかる。建築物は土地を広く占有してしまうものでもあるから、見えない負担も大きい。市民から集めた(吸い上げた?)税金で作るほどの意味はあるのか、という疑問を私は持つ。

 

皇居には江戸城本丸の跡(天守台)が残っている。基礎の石垣だけだが、皇居内の散策路を歩けば、容易に見つけられる。この石垣の上に壮麗な天守閣があった、と想像するだけでいいではないか。今はその跡形もないことが、時代の象徴だろう。

調べてみると、それまでの本丸は1657年の明暦の大火で消失した。その後すぐに再建計画が持ち上がったが、徳川全盛の時代に仰々しい天守閣はもう不要不急と判断され、石垣が造られただけで、計画は中断された。本丸の機能は別屋に移したから、天守閣はもうなくてもよかった。巨大建築物を造らせて名を残すような人よりも、造ることを思いとどまった人の方が偉い! 当時の老中、保科(ほしな)正行(まさゆき)が「遠くを眺めることにしか役に立たない天守閣を建てるよりも被災した江戸の町の復興が先だ」と主張したそうだ。天守閣は遠くを眺められるだけというのは、偶然、私と同じ発想だったことになる。

 

*1 二の丸隅櫓は近代まで唯一実存していたが、関東大震災で倒壊。その後、昭和9年になって当時の予算の関係で1/2の規模で再建された。

*2 講堂は、現在、小田原城歴史見聞館として有料の展示施設になっている。

 

 

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