死んでおわびした小学生                                         岡森利幸   2008/3/30

                                                                    R1-2008/4/2

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞夕刊2008/3/26社会面・

卒業式の後、自宅で飛び降り自殺した東京都板橋区立小6の男児(12)について、卒業式で、門出の言葉を言うときに「大好きな○○小学校」というところで、「大嫌いな○○小学校」と言い換えていた。

自宅居間に「死んでおわびする」という趣旨のメモがあった。

校長によると、25日午前10時から約2時間行われた卒業式で、男児は「門出の言葉」を言うときに、「大嫌いな○○小学校」と言い換えた。周囲がざわついたという。式終了後、校長が男児に対し「何であんなことをしてしまったの」と尋ねたところ、男児は「緊張して間違ってしまいました」と答えたという。

「死んでおわびする」とは、なんということだろう。その大人びた言い方に驚きを感じている。おわびの仕方が他にあるだろう、と誰もが思うことだろう。そんなことで「おわびする」のなら、命がいくつあっても足りないのだ。

門出の言葉を卒業生の代表として言わされた彼は、それまで模範的な優等生だったようだ。しかし、「大嫌いな○○小学校」は、彼の本心かもしれない、と私は思っている。「大好きな○○小学校」という、あまりにも空々しいセレモニー用の文面に対して、彼は正直な言葉を口に出したのだ。自分の本心からあまりにもかけ離れた「うその言葉」に反発心を持ったものだろう。

多くの児童は、親や先生、年長の子供たちに言われるがままに、集団登校させられ、授業中は、試験に次ぐ試験で追い立てられ、うわの空で先生の話を聞く振りをしていると、すぐに指されて、先生自身答えをよく知っているところの、児童を冷やかすためだけの質問をされてしまう。教育熱心な、強引な先生ほど、児童にとって、好きになれないものだ。学校では授業のほかに給食当番や掃除当番などもさせられる。そして児童は、家に帰れば、山ほど出された宿題をもてあましながら、家で机に向かって勉強する振りを親に見せなければならない。彼は、そんな小学校を卒業することにうれしさを覚えていた反面、これからも上級の学校で、さらに何年間も追い立てられて勉強しなければならないことに気の重さを感じていたのだろう。

「大好きな○○小学校」を「大嫌いな○○小学校」と言い換えるのは、少年期のごく普通の感情の表れだろう。(私などは、少年期のこころをそのまま引きずっている?)

学校が好きな児童・生徒が本当にいるだろうか?

学校には友だちがいるから、たのしい?

それは、敵を作らないために、あるいは孤独を恐れて仲間はずれにされないように仲良くしているだけだろう。表面的には仲良くしていても、子供たちは、すぐに感情に走りやすく、いがみ合い、ぶつかり合うものだ。極言すれば、学校には、意地の悪いやつ、ボス猿的なやつ、手の早いやつ、足を引っ張るやつ、いたずらをして喜ぶようなやつ、手を出さない代わり「うざい、死ね」などと汚い言葉でののしりまくるやつ、当番をさぼろうとする、ずるいやつ、礼儀を知らないやつ、ふてくされているやつなど、嫌いなやつがウヨウヨいるものだ。小学校は、子供にとって、常に緊張が強いられる場なのだ。中学では、そんなやつらが、そのまま体を大きくして待ち構えている!

「大好きな○○小学校」と言わせようとした校長は、児童の内面を見ずに、卒業式というセレモニーで、とりつくろうとしただけだろう。「大嫌いな○○小学校」と言った児童の心のうちを想像できていないのだ。

 

――卒業式が終わって少年が下校しようとしたとき、担任の先生が少年に近づいてきて、他の児童に気づかれないように、「校長がきみと話をしたいというから、校長室に行ってくれないか」と耳元でささやいた。少年は、その話が何であるか、すぐにぴんと来た。先生には無言でうなずいて、校長室へ向かった。校長室のドアをノックして入ると、いつも児童の前では微笑を絶やさない校長が、無表情で広い机の向こうに座っていた。その前に立ち、少年が何か言おうとする前に、校長が口を開いた。

「きみは、どうしてあんなことを言ったの?」

「……」

「この小学校のどこが嫌いか?」

「……」

「正直に話してごらん」

「……緊張して間違ってしまいました」

「間違えたと思ったら、すぐに言い直せばよかったのに……。何かいやな思い出でもあったの?」

「いいえ、特にありません」

校長は、単なる間違いでは納得しなかった。「いたずら心が起きて悪ふざけしました」というのなら、納得できたのかもしれなかった。

「間違えたにしても……。好き嫌いはともかく、あそこは卒業生全員を代表して言うところだったから、みんなの気持ちになって言うべきだったし、リハーサルではちゃんと言えたじゃないか」

その後も、校長は、まるで警察の取調官のごとく、少年を追及した。校長室の中で机の前にうなだれた児童を立たせたまま、卒業式を台無しにされたことで、煮え繰り返る腹の虫を抑えながら、言い方はやさしいけれど、棘を含んだ言葉でねちねち・くどくど、得意のお説教を続けた。しかし、少年はセレモニーのとき以上に緊張し、黙秘をしたままだった。数十分たって、とうとう校長は根負けして少年を解放することにした。

「きみはもう小学校を卒業したのだけれど、学ぶべきことはたくさんありそうだ。世の中には、間違いでは済まされないこともあるということを覚えておきなさい」

少年は、もうほとんどひと気のない学校から、一人で家路に着いた。その途中、それまで無表情だった少年の目からぽろぽろ涙がこぼれ落ちた。

――以上は、二人のやり取りを私が推測したものだ。

 

少年は、校長に詰問されて、しかたなく「間違ってしまいました」とうそをついた。そんなうそも校長には見抜かれていたことに気づいた。しかし、学校が嫌いだなどとは、もう言える雰囲気ではなかった。そのうそは、少年の自分の心をも裏切るものだった。うそつきになった自分に、どうしようもなく悲しかった。

 

 

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