仕返しの連鎖 岡森利幸 2008/1/8
R2-2008/1/31
以下は、新聞記事の引用・要約。
毎日新聞朝刊2008/1/6国際面 トルコ南東部、クルド人男性のサイト・シャンリさんは町のもめごとを仲裁することで有名になっている。 サイト・シャンリさん「ここでは家畜1頭を巡って殺し合い、100年でも復讐が続く。昔ながらの『部族体質』が今もはびこるためだ。クルド人が発展できない最大の原因さ」 |
復讐することは必要なことなのかという疑問がときどき私の頭の中によぎる。一般的に、再発の防止や自己防衛のため、ある程度必要だという見解を持つのが普通だろう。復讐心は、人類が長い歴史の中で身につけた特質のようなものかもしれない。やられたらやり返すという報復は、もう理屈や理性を超えた、人間の本能的行動の一つだろう。しかし、その度を越しては、恐ろしい惨劇になってしまう。復讐に執念を燃やす人は、あるきっかけで、執ような嫌がらせをしたり、暴力、あるいはテロリズムに訴えたりする「やっかい者」になってしまう。きっかけというのは、自分が被害にあったときだ。そうした人は、それをいつまでも忘れず、被害者意識を持っているのだから始末が悪い。自分が加害者になっていることに気がつかない。復讐に関しては、常におぞましさが付きまとう。
復讐心が全面戦争のきっかけになることは、よくあることだ。太平洋戦争(1941−1945)で、アメリカが真珠湾の海軍基地を攻撃されたのをきっかけに、「真珠湾を忘れるな」を合言葉に、日本全土の都市の民間人をもターゲットにし、害虫を駆除するごとく徹底的に攻撃したことはよく知られている。武力にまさったアメリカは、真珠湾で受けた被害の何百倍もの損害を日本人に与えたことだろう。二発の原爆が一般市民の頭上に投下されたのも、「真珠湾を忘れるな」の延長線上にあったと考えられる。彼らの論理では、そんな暴挙も正当化されてしまうのだ。確かに、われわれ日本人のほとんどすべてが戦争協力者だったから、そうされたのも仕方のない面があったのだが……。ただし、もう日本人の多くは、各都市が壊滅的な空襲にさらされたことを遠い過去の歴史と考え、あるいは悪夢だったと考え、忘却のかなたにあるようだ。
近年では、2001年9月11日の世界貿易センター・ビルの破壊が、アメリカをアフガニスタン侵攻と、イラク戦争に駆り立てた。アフガニスタンやイラクでも、ほとんど見境のない攻撃で多くの民間人を巻き込んで死傷させている。その数は、世界貿易センターの犠牲者たちとアメリカ軍兵士の死傷者を加えた数より、はるかに多いことは確かだ(*1)。アメリカには、クルド人的性格の人が多く住んでいるのかもしれない。
また、私が子供のころ、一度小突かれると、二倍にして小突き返すガキがいた。子供のころは、体がぶつかったり、一つの感情表現で相手を叩いたりすることがあるのだが、そのガキはやられたら、二倍にしてやり返した。そのガキは、そうすることを信念として(おそらく、自分に損のない、抑止効果のある方法として)正しいと思っていたようだ。そのころ、私もやられたらやり返す気持ちが強かった。二倍にして返すガキに対しては、それでは計算が合わないし、納得できなかったから、もめごとがどうしてもエスカレートしてしまった。結局、もう絶対に私はそんなガキを友だちにしたくないと思った。(私も人のことを言える立場ではないし、過去の災いを何度も蒸し返すことがよくないのかもしれない。)
クルド人は自分たちの国を持たない民族で、世界でもっとも大きな集団として、私は同情的だったのだが、そんな執念深い復讐が『部族体質』になっているのでは、思い直さざるを得ない。『部族体質』といっても、それは一般論であって、ほんの一部の人たちだけがもっているものだろうけど……。それは嫌われる体質だろう。それが、クルド人たちがトルコ国内でも孤立している原因の一つかもしれないと思ったりする。
復讐だけではなく、損害賠償や、負担を強いる儀礼などについては、「お礼は半返し」ということを基本原則にしたい。それは先人の知恵であって、一つの悪い流れを収れんさせるための一番妥当な方法だと私は思うのだ。損害の穴埋めに関しては、当事者の誰も得をしないで、等価に損をするのが、計算上、正しいことだろう。たぶん、クルド人のサイト・シャンリさんも、そのように仲裁しているのだろう。
*1.世界保健機関(WHO)の調査結果(1月9日発表)では、イラク戦争開戦後3年で戦闘やテロでイラク人死者は兵士と民間人を合わせた総数で15万人に上っている。
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