防衛省事務次官の権力                                          岡森利幸   2007/12/05

                                                                    R1-2008/1/10

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2007/8/18一面・総合

次官後任は増田氏(56)で決着。守屋氏は退任。対応が遅れ、両成敗のかたち。

防衛省事務次官人事で、静観していた(阿倍晋三)首相がやっと収拾させる。

小池百合子氏は、在任4年を超えた守屋氏を退任させ、後任に西川氏(60)を据える方針だった。だが、人事案を事前に聞かされていなかった守屋氏が猛反発し、後任に自ら押す山崎氏(60)に差し替えるように求め、激しく対立していた。

石破元防衛庁長官「大臣が決めたことなら、手続に不備があっても実現するように支えるのが内閣なのに、みんなで補おうとする姿勢がまったくない」と内閣のありようを酷評した。

異例の次官若返り人事で72年入庁の西川氏らの、増田氏より年次の高い官僚は退任する見込み。

毎日新聞朝刊2007/11/13一面

次機輸送機(CX)エンジン納入で、今年6〜7月に省内で「米国の製造元と直接契約すべきだ」という意見が強まった際、守屋前事務次官が強く反対していたことが分かった。

毎日新聞夕刊2007/11/28社会面

守屋前次官、東京地検が午後逮捕へ。絶大な力で省内支配、逆らえば左遷。

05年10月の米軍普天間飛行場の移転を巡っての日米合意では、自らが進める「陸上案」と対極の「海上案」を推した部下を左遷した。

CXエンジンの購入に絡んで、呼びつけられた部下の職員は、「防衛省では一度飛ばされると、敗者復活は無理。怖くて意見できなかった」

事務次官一人に強大な権力をもたせ過ぎていることが問題だろう。役人たちの中で、人事権をもつ人の言葉は重過ぎるようだ。守屋は「防衛庁の天皇」とも称されていたという。

防衛省の事務次官の後任人事をめぐって、小池百合子防衛相と事務次官が対立したことが尾を引いて、防衛相がその後まもなくの内閣改造の際に替わることになり、わずか数カ月の任期に終わったのは記憶に新しい。その対立のすえ、次期事務次官については、両者が推奨した人物とは異なる人が抜擢されることになって、両者痛み分けの状態になった。大臣に対して後任の人事に口をはさみ、ごねた事務次官とは何者か、という疑念が私の頭に浮かんだものだ。そして事務次官が大臣と同程度に大きな権力をもつことの認識を深めた。

しかし、それはおかしいだろう。大臣の方針に従うのが、事務方の役人だろう。省内の後任人事に関して大臣に反発し、異議を唱えるような人物は、内閣として、すぐに更迭すべきだったろう。事務次官の代わりは何人もいるのだから……。阿倍内閣は、結果的に、新任だった小池百合子防衛相の面子を丸つぶれにし、大臣の権威をもないがしろにするような処遇をしてしまったのだ。

守屋武昌前事務次官の4年という任期が長すぎたという議論がある。絶大な権力をもつものが4年も居座っていたから汚職疑惑事件が起きたのだという理由だが、一人の事務次官がもつ権力が大きすぎることが問題であって、任期の長さとは無関係なところに腐敗があったと見るべきだろう。4年の任期は決して長すぎるとは思わない。2、3年でやめてしまっては、中継ぎのような仕事しかできないだろう。官僚としては、上のものが長く居座ると昇進が滞るという不満があるかもしれないが、そんな官僚の都合に付き合う必要はない。適任者と思われる人物を長く起用するのは当然であり(守屋武昌氏の場合はその例ではない)、まるで順番待ちをさばくかのように、多くの人を昇進させ(あるいは天下りさせ)、役職につかせようとする人事では、役人天国になってしまい、職務がおろそかになるだけだろう。

官僚が事務次官になったとき、その人より古い職歴のもの、つまり序列が上とみなされている人は辞めなければいけないという慣例があるというが、それも、おかしいものだ。民間企業では、ありえない慣習だろう。次官に意見するような勢力は一掃してしまおう、という発想だろうか。

一人の人物が、省内で人事権をもつことで、役人たちにとって『恐れられる存在』になっている。「怖くて意見できなかった」というのだから、どうしようもない。宮仕えの悲しさか。

後任の事務次官の人事に関して、その前任の事務次官が伝統的に発言権を持っていたことが、石破防衛相(現職)の言う「手続」だったようだが、それでは事務次官の個人的な恣意が入り込んでしまう。必要以上に専制的になる一番の要因だから、そんな「手続」は不要だろう。それがあったから、事務次官になりたい官僚たちは、上司である事務次官に取り入る行動(ご機嫌を伺うような行動)しかとらなくなり、正当な判断ができなくなる。そんな正当な判断ができない、上司に気に入られただけの人物が事務次官になってしまうのだ。

客観的な評価で人事が行われず、一人の人間の恣意で行われるのなら、その人物に組織がふりまわされ、内部から正当な意見がわきおこっても、封じ込まれてしまう。ピラミッド型組織の弊害だろう。後任の次官の人事まで指名権をもたせては、ますます助長することになる。人事権をもつだけで組織を牛耳ることができるのだ。防衛省でそんな人事が引き継がれていたから、守屋武昌のような人物が次官になれたのだろう。

客観的な評価といっても、民間企業のような業績が数値で表れるところと違って役所では、差がつきにくいのかもしれない。その分、複数の人による多面的な能力の評価システムが人事には必要だろう。部下からの人望も評価点にしてもいいかもしれない。教師が生徒から評価される時代でもあるのだから。

省内を客観的に見て、人事を最終的に決定するのが大臣だ。事務次官一人の言い分を聞いていたのでは、形だけの大臣になってしまう。

 

 

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