神輿乗りの自己責任                                                 岡森利幸   2007.6.3

                                                                                                                       R1-2007.6.25

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2007/5/21社会面

浅草三社祭で、神輿乗りがまた出た。

昨年は16人の担ぎ手が乗った。神輿が地面に落ち、左前の横棒が折れるハプニングがあった。

毎日新聞朝刊2007/5/22社会面

三社祭、神輿乗り3人逮捕

警官制止無視、都迷惑防止条例(粗暴行為の禁止)違反や公務執行妨害容疑で現行犯逮捕された。

祭りという騒ぎの中で羽目を外すのも、本人の責任だろう。

神輿に乗る人々は、まるで軽業師のように揺れ動く神輿の上に乗って、踊りを踊るように手足を動かして調子をとっている。それは、岸和田のだんじり祭で、山車の屋根の上で飛び跳ねる人びとを連想させる。

そんな人々に主催者側である神社関係者が目くじらを立てた。

「神聖な神輿の上に乗るとは、ばちあたりだ」

 

しかし、神輿の上というより、彼らは(かつ)ぐための横棒の上に載っているのであって、神輿を(けが)しているとは私には思えない。ばちあたりなどというのは、言いがかりだろう。横棒の上だから、担ぐ人々の肩の上に乗っているようなものだ。お祭り気分で、はしゃいでいることが、粗暴な行為であるようにも見えない。そんな行為で、だれが迷惑したのだろうか。

心配性の主催者がはらはらしただけだろう。彼らが神輿から落ちて怪我する危険が確かにあるが、主催者は、事故を心配しすぎているように見える。何かあったときに主催者の責任が問われる世の中であり、主催者が事故を心配するのはわかるが、これは主催者責任の範囲外のことだろう。主催者として、事なかれ意識が強すぎるようだ。それを警察まで動いて取り締まるのは、やりすぎだ。祭が興ざめになってしまう。

主催者は、祭を盛り上げるためにも、祭には怪我や破損がつきものであるという意識をもって、横棒の上に乗るぐらいは大目に見てほしい。たとえば、神輿の横棒が折れたぐらいのハプニングは、小さいことだ。全国には(世界にも)、もっと危険な、死者が出るぐらいの祭がいくらでもある。その本人が怪我しても、納得の自己責任だ。危険なことをしてみせるのも、祭の楽しみ方だろう。

 

 

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        監督、胸を開けすぎですよ