けいこと暴行の狭間 岡森利幸 2007.9.4
R1-2007.9.9
以下は、新聞記事の引用・要約。
毎日新聞朝刊2007/6/28社会面 大相撲時津風部屋に所属する序の口力士、斉藤俊さん(17)=時太山が愛知県犬山市でけいこ中に倒れ、急死した。 26日深夜に新潟市の自宅に運ばれた遺体の顔面には打撲の見られる跡など(*1)があった。このため、遺族は同部屋に説明を求めたところ、時津風親方「激しいけいこで倒れた」。 斉藤さんは、今月17日、けいこ場を逃げ出して自宅に戻り「帰りたい」などと話していたという。 |
6月26日午後、愛知県犬山市で119番通報があり、救急隊がかけつけたとき、一見して暴行されたと分かる死体が、泥と血にまみれて横たわっていた。もう心肺停止状態だった。
顔は充血して膨れ上がり、汗と涙と血でぐしゃぐしゃになり、耳タブの辺りが裂けて出血し、全身に打撲のあざと擦り傷だらけ、太ももには、タバコの火が押し付けられたような火傷の跡が3箇所あった。その後の司法解剖では、一部の歯が折れ、肋骨付近の軟骨が骨折していたことが分かった。死因は虚血性の心臓停止だった。
――以上は、私が情報を寄せ集めて推定した内容だけれど、相撲部屋という密室の中で行われた集団暴行の疑いが強いのだ。この中で「涙」についての証言はなく、私の推測である。さらに、『状況から言えること』を述べてみよう。
けいこ場を見渡す中央の座敷にどっかと座った時津風親方が、その17歳の新弟子の不真面目な態度に怒り、ビール瓶で頭を殴りつけたことから、先輩力士たちによる猛烈な暴行が始まったとも言われている。(なぜ、親方の手元にビール瓶があったのだ?)
殺されたのは4月に名門の時津風部屋に入門し、5月に新弟子になったばかりの序の口力士、時太山こと斉藤俊さんだ。彼は6月になって部屋を3回抜け出したという。部屋にいるのが耐えられない、何かがあったのだろう。肉体的なものと精神的なものがあったはずだ。どうしても耐えられずに郷里の新潟に逃げ帰っても、家族や親戚のものたちは、〈まだ若いから辛抱が足りないのだ、我儘をいっている〉としか受け取らず、
「もう少しがんばれ、強くなるまで辛抱しろ」などと叱咤激励するだけで、本人の窮状を受け入れようともしなかったのだろう。確かにある程度の辛抱は必要だが……。
彼は、もう行くあてもなく、やむなく部屋にもどったが、部屋の親方や先輩たちは、〈弱音を吐くような、甘えきった根性を鍛えなおす〉ために、連日のしごきをさらにエスカレートさせた。
〈野太い怒声が口々に発せられる中、ビシッ、バシッ、ドカッ、ドスン……〉
そして、朝げいこ中に彼が倒されて、つまり足腰が立たなくなって横になったまま、荒い呼吸をしていたという。(おそらく泣いていたのだろう。)一時間経ってから、部屋の者が『その異変』に気付き、午後になって救急隊に通報したという情報もある。彼は暴行された後、倒れてからも、長い間ほおって置かれたのだ。
本人にも、〈タバコを吸うような素行の悪い面〉があったと言われている。そうであったとしても、複数の大男たちが、無抵抗の若者を手加減もせずに、張り手をくらわす・殴る・蹴る・叩く・火傷させる・耳を引っ張る・引きずり回したのは、やりすぎだろう。新人教育やけいこから大きく逸脱している。だれでも逃げ出したくなる。親方は暴行やしごきを否定しているが、そうすることがけいこだ、しつけだという感覚でこれまでやってきたのだろう。暴行したという感覚は少しもないのだ。一歩譲って、それがけいこだとしても、その過激さによって死に至らしめたのだから、業務上過失致死に相当するだろう。
典型的なパワー・ハラスメントである。伝統的な日本文化の、最もいやな一面である。それが国技というのなら、もう返上してほしい。特に旧日本軍の体制の中では、厳格な階級制度をいいことにして、古参兵が新兵を徹底的にいじめぬいた話が、山ほど伝えられている。上位者が下位者を痛い目にあわせて無理やり従わせようとする、その悪しき伝統と慣習が大相撲の世界にまだ残っているのだと私は見る。そんな大相撲の協会が、横綱にだけ品格を求めるのは、チャンチャラおかしい。
*1、同日の読売新聞夕刊では、斎藤さんの父親の正人さん(50)の話で、「遺体に大きなアザや傷があり、あまりにもひどい」とある。
学歴詐称の職員たち