強要された自白                                                        岡森利幸   2007.3.4

                                                                                                                       R1-2007.3.7

 

毎日新聞夕刊2007/2/23一面・社会面

鹿児島県議選買収事件、

鹿児島地裁が自白調書を否定し、12人全員無罪。

見込み先行の捜査。被告の多くは、任意聴取で連日10時間以上も拘束された。

03年の鹿児島県議選買収事件でのこと。

その選挙中に候補者を囲んで、被疑者の一人、同県志布志市の藤元いち子さん宅で計4回の会合をもったという事実だけで、被告たちは怪しまれた。結局、そのとき当選した元県議会議員、中山信一さんを含め、住民たち12人が買収・非買収の容疑で逮捕・起訴された。その後、裁判中に、その候補者は第1回と4回の会合には出席していなかったというアリバイが出てきたりした。

 

1.自供を求めた警察

この事件で一番問題なのは、被告たちのほとんどが「自白を強要された」と言っていることだ。自白は任意によるものでなく、警察側の恣意であったというわけだ。

つまり、警察の任意聴取に応じ、当初は真実を語っていたのに、厳しい取調べが連日続いたことによって警察が期待する内容の供述をしたというのだ。それは強要そのものだ。そもそも任意聴取といっても、実質的に任意性はない。被疑者たちは、逮捕同然の扱いでむりやり警察に連れて行かれたのだ。

警察での取り調べの時間は、実質的に自白を強要することに大半が費やされるといっていい。被告たちを長時間拘束して何をしていたかというと、自供を引き出すための、あの手この手を使っていたというのだ。

ことに、疑わしいという状況証拠しかない場合には、被疑者から供述を引き出すことが警察にとってなおさら重要になる(一番簡便な方法でもある)。逮捕状もないのに(任意同行)警察に連れて行き、何時間も取り調べる。狭い部屋で、家族とも離し、誰にも合わせないで取調べを続ける。(もちろん、弁護士などいない。)

例えば、こんな具合だったという。

あるとき、捜査官が封筒をテーブルの上において、やさしく質問する。

「この封筒には、何が入っていると思う?」

「手紙?」

「いや、そうじゃない。手紙じゃないとすると?」

「お金?」

「そうそう、いくらだと思う?」

1万円?」

「いや、もっと多いだろう」

「3万円?」

「そうだ。どうして知っていたんだ? 候補者からもらったんだろう!」

とたんに、捜査官の顔つきが変わり、怒声が響いた。

 

それは典型的な誘導尋問だろう。一番有効なのは、時間責めかもしれない。それは、警察の意地とメンツにかけて、拘束した者たちとの根競べ(こんくら)である。心身とも疲れ果てた被疑者に、「これを認めれば、すぐ帰れるよ」という甘いささやきを吹きかける……。あるいは交換条件を持ち出す。

おどしたりすかしたりした結果ようやく、被疑者が認めたり、核心に触れたりすると、警察は「ホシが口を割った」とほくそえむことになる。粘り強く追い詰めた、警察の勝利の瞬間だろう。これまでの「労」が報われることになる。これまであいまいな状況証拠だけのステップから、これで確かな証拠が固められるステップへ進展するのだから、うれしいことだろう。警察の推測が正しかったという自己満足も得られるし、〈これまで見当外れの捜査をしていたんではないか〉という一抹の不安も消し飛ぶ。

 

取調室では、たとえウソであっても、それが取調官の期待するところであれば、真実味を帯びてしまう。当事者でないと知りえない状況説明として証拠採用されてしまう。自供を裏付けるような「物的なもの」と一致するようなことがあれば、それはもうりっぱな証拠だ。そして、その供述どおり、現場に立ち会わされて再現させられては、自分が本当にそうしたかのような錯覚に陥るものだろう。

 

2.いいかげんな自白を証拠採用する裁判官

この裁判では、自白に任意性があるかどうかで議論になっていた。

強要された自白を恭しく証拠採用する裁判官にも理解しがたいところだ。〈いくらなんでも、自分に不利になるようなウソの供述はしないだろう〉という思い込みや、〈自分なら、警察の誘導には絶対乗らない、自分が犯人であるというようなアホなうそはつかない。自分ならきっぱりノーというだろう〉という裁判官の思い上がりが、いいかげんな自供を偏重する理由になっているのだろう。警察に拘置され連日取り調べられると、一般の人間がどうなるか、彼らにはまったくわかっていないのだ。

「自白には任意性がある」などと思うような裁判官の意識を変革しないと、警察での自供偏重は、永久になくならない。「自白には当局の圧力がある」という認識が正しい。つまり、「自白には警察・検察に強制されて口走ったウソが含まれる」ものだ。

結果として、その自白調書が信用できない(つまりウソが含まれている)ことが、無罪の理由になったのだが……。

証拠不十分で無罪になるのならともかく、信用されないような自白調書を出した警察・検察の関係者は、降格ものだろう。被疑者たちのアリバイもろくに調べなかった捜査のずさんさは、ひどすぎる。自白調書で事件をでっち上げたといえば、言いすぎだろうか。

 

3.自白偏重

自白偏重の捜査のやり方は、不当だと叫ばなければならない。

単に疑わしいだけで、任意同行・任意聴取という名のもとで、実質的に「犯人扱い」するのは、精神的にも身体的にもダメージを与え、不利益極まりない。特に、村社会の住民にとって「警察に連れて行かれた」ことだけで近隣から白い目で見られる……。

人権を引き合いに出すまでもなく、こんな警察のやり方は、国民に害を与えるだけの権力の横暴だろう。

 

憲法38条[黙秘権の保障・証拠にできない自白]

何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

強制、拷問もしくは脅迫による自白または不当に長く抑留もしくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。

何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、または刑罰を科せられない。

私は、この日本国憲法の条文を読んだとき、その内容のすばらしさとむなしさを感じたものだ。これほど、非現実的で、ないがしろにされている条文はない。憲法9条よりも当局に無視されている条文だろう。

 

4.事件の背景

この事件では、もう一つの謎が残る。

単なる個人の要請や「疑わしい」だけでは、警察は動かないのが普通だから、警察がこれほど執念深く捜査をした裏には、警察を動かした政治的背景があったと私は見る。当時の県議会選挙の結果に関わっていると考えると、ぴったり辻褄が合う。官憲に苦しめられた人々の中には、その目星がついているはずだ。

 

 

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