take-m ©2006 Shinji Murakami

1.やっぱり始めはカメラ・オブスキュラ

写真の技法

カメラ、写真技術の歴史概略

「カメラ・オブスキュラcamera obscura」とは、ラテン語で「暗い部屋」の意味をもつカメラの語源である。

「ピンホールの光学的原理の歴史」
 紀元前に幾何学者ユークリッドやアリストテレスらによって、小さな穴(ピンホール)を通った光が反対の壁に外の景色を映し出す光学的原理が知られていた。10〜11世紀のアラブの学者アルハーゼン(イブン・アルハイサム)は、日食観測のためのピンホール装置を、研究報告書で説明している。その頃、アラビア人は天幕製のカメラ・オブスキュラを楽しんでいた。
 レオナルド・ダ・ビンチのメモにもその考察が見られる。そして同じイタリアの自然哲学者 G. B. della ポルタ著「自然魔術(1558)」には、カメラ・オブスキュラの絵画への応用が推奨されている。16世紀にはピンホールの代りに凸レンズが装着され、18〜19世紀になるとカメラ・オブスキュラが絵画の補助手段として画家の常備する道具となった。日本では杉田玄白、司馬江漢によって「暗室写真鏡」「写真鏡」として紹介された。


「写真の発明と発展」
 カメラ・オブスキュラで、映像を保存するためには感光材料の発明を待たなければならなかった。感光材料の開発は錬金術である。硝酸銀ほか種々の銀塩、水銀塩などが光の作用で変色や黒化することの応用が、感光材料の発明である。
 世界最初の写真とされるのは、J. N. ニエプス(仏)が1826年、アスファルトを塗ったスズ合金板を用いて、カメラ・オブスキュラによる光学像の記録に成功したことである。被写体は彼の家の窓外に見える屋根で、露出時間は8時間。感光材料の改良によってL. J. M. ダゲールが銀板写真(ダゲレオタイプ)に成功し、露出時間は30分に短縮された。彼は感光板を現像したのち、「チオ硫酸ナトリウム水溶液」で処理して未感光ヨウ化銀を除去し、画像の定着を発見した。これは「ダゲレオタイプdaguerreo type 」と呼ばれ、撮影、現像、定着という今日の写真プロセスの発明となる。ダゲレオタイプが公表されたのは、1839年8月にフランス学士院で催されたアカデミー・デ・シアンス(科学アカデミー)とアカデミー・デ・ボザール(美術アカデミー)の合同会議上であった。
 ダゲレオタイプでは1枚の感光板から1枚の写真しか得られない。1841年 W. H. F. タルボット(英)は、ヨウ化銀感光紙を使ってネガ像を作り、このネガを感光紙に焼き付けてポジ像を作る「ネガポジ法」を考案した。これを「タルボタイプ talbotype 」または「カロタイプ calotype」と呼び、現在の量産出来る写真術の原型である。
 ニエプス、ダゲール、タルボットの名前は、写真黎明期を語る上で避けて通れない名前である。彼らの名前ぐらいは覚えておいてあげようではないですか!

@最低でも頭がすっぽり収まる程の大きさの段ボール箱を用意し、その内側を黒く塗装する。塗装はスプレーでも刷毛塗りでもよく、黒ラシャ紙を内貼りしても良い。

A一面に穴をあける。これはピンホール・カメラに同じく、穴の大きさによって画像の明るさと鮮明度が変化する。直径1cmの穴でも充分カメラオブスキュラ原理を体験出来る。様々な穴の大きさによる変化を体験するために、レンズボード式に制作しておくことも良い。それは、段ボールには5cm角程度の窓をあけて、別に葉書大の(光を通さないことが条件)厚紙の中心に様々な直径や形の穴をあけて、その葉書大の紙を段ボールの窓に取り替えながら観察するということである。厚紙も黒塗装しておくとよい。また、この葉書大の紙に凸レンズをはめ込むように工作しておくことも出来る。凸レンズには虫眼鏡や老眼鏡のレンズ、カメラ用品のクローズアップレンズ(フィルター式のもの)が利用出来る。

B段ボールの反対面(Aで穴をあけた反対面)は開放させておく。段ボール箱の蓋を切り取らずに伸ばし、ガムテープなどで固定して箱の空間を延長しておくと良い。

Cファインダー・スクリーンを作る。余った段ボール材などで箱の内寸より小さい枠を作り、そこにトレーシングペーパーなどを張る。枠に取っ手をつけておくと便利。

D覗くところに黒紙や布等で後頭部側から入る光を遮断できるようにしておく。


 工作精度に応じて画像の鮮明度が変わるので、作り手の情熱がストレートに反映されます。これ以上、詳細に解説することを避けるのは、いろいろ工夫されることをお勧めするからです。学校での光学原理の解説にもおすすめです。小学校高学年以上ならば問題なく自作カメラオブスキュラを体験出来るでしょう。この構造は大型カメラと全く同じなので、4×5ビューカメラを用意して比較が出来ると更に分かりやすいと思います。

 なお、凸レンズを扱う場合は屋外での作業に気をつけましょう。目を傷めるだけでなく、内側が黒く塗装されたカメラオブスキュラが発火する危険があります。カメラオブスキュラを覗かない時は、レンズに布を掛けておくなど、蓋をしておきましょう。

工作の方法

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段ボール工作
  カメラ・オブスキュラの構造

4×5ビューカメラにレンズを外したコパル0シャッターを取り付けた状態。絞りを変化させることで、ラージホールからピンホール(やや大きめの穴)まで、連続的に直径を変化させることが出来る。
村上は、実際にこの機材でかつて習作を行った。作品はインスタント・フィルムを使用したカラーで、今のところごく親しい方にしか公開していない。

©1988 Shinji Murakami
35ミリ一眼レフカメラのレンズを外した状態・・・ラージホールで撮影した柿田側湧水。

「現代美術になった写真(栃木県立美術館 1987年)」での展示作品と同じシリーズのもの。
使用機材は参考までにCanon NF-1

Lezione 1

 段ボール箱で、実際にカメラオブスキュラを作って体験してみましょう。そんなこと、やらなくてもだいたい分かった・・・と思っているあなた!はっきり言って、それは表現者として間違っています。体験する前と後では、自分の何かが微妙に変わるのです。その僅かな異化作用が積みあがっていくことが重要です。自身の感性の前提条件が引き上げられていくのです。

©2005 Shinji Murakamii

 足柄上郡開成町の文化財第一号に指定された瀬戸屋敷は、この町の重要な観光スポットでもあり、人気が高い。2005年秋「あしがら田園アート」という野外作品を主体とした展覧会が行われ、村上はこの瀬戸屋敷の主屋と土蔵を使って展示を行った。
 その時に撮影したこの写真は、雨戸の節から差し込んだ光が、20cm程のフランジバックをとった障子に庭の風景を映し出したものだ。まさしく写真や映画の原理モデルとしてしばしば語られるカメラ・オブスキュラである。

このカメラオブスキュラ体験は、
以下の講座でも行いました。

1997
「東京芸術専門学校(TSA)文化論」
写真講義
1998
「中延学園高等学校ワークショップ」
教室をカメラにする
2005
「銀塩とデジタルの間の時代
              教職員研修」
 町田市立国際版画美術館


でも一度はピンホール・カメラを体験することも必要!かもしれない

ピンホール・カメラの愛好家も多いようです。
はまってしまう理由は、工作の工程があって、手作り的な感覚で原初的な映像を手に入れることが出来るということでしょう。デジタル・カメラと言わないまでも、カメラは驚異的な精度を持ったハイテク技術によってメーカーで製造されたものを購入することから始まるとすれば、どうも主体的とはいえない趣味の様相を呈してきます。(稼いだ金で高価な機材を揃えて見せびらかしながら撮影している方は、まあそれで自己満足に浸っておられるうちは何の問題もありません。)
もっとDIY的に己の手元から映像を捉えて行く楽しみのためには、ピンホールは素晴らしい体験をもたらしてくれると思います。
器用な人のピンホールは精度も高く、シャープな映像が得られますし、不器用な人のピンホールは、時として魔力的に怪しい映像を得ることが出来ます。これら、それぞれのキャラクターを尊重したいものです。

ピンホールによる写真作品は、多くの美術家、写真家によって制作されていますが、私もこのところ雨で暇な時にはピンホールを制作しています。ちょっとした作品へのアイディアが浮かんだので、ひょっとすると2008年早々の個展に出品することになるかもしれません。

参考文献
「母と子のー針穴写真」 田所美惠子 著
美術出版社

※この本は優れものです。ここに記載の作り方を、私なりに改良しながらピンホールを作っています。

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映像よ、我が手のもとに!

Dルーペで頻繁に孔のバリと真円度を観察しながら耐水ペーパー#2000で砥ぐ。

Bきぬくけ針で開けた孔の拡大図。
まだ孔の周囲にバリがある。

A真鍮板2cm角のグリッドの中心にピンホールを開けることにする。

@道具立ての図…真鍮板(100×200×0.1o)は東急ハンズで調達した。針はきぬくけ(45.6×0.56o)で耐水ペーパーは#600と#2000を使用。

C耐水ペーパー#600で表面を砥ぐ。バリを落とすことと、
真鍮板0.1o厚を更に薄くすることが目的。