D'Artagnan物語・三銃士T

第 8 章  第2部  二十年後    第3巻    解  説(二通の恋文事件)

(二通の恋文事件)
ことの始まりは、モンバゾン公爵夫人の家で行われたレセプションにおいて、二通の手紙を侍女が拾うことから始まる。
侍女が拾い上げた手紙は、どこかの夫人が書いた恋文のたぐいであった。
侍女はそれと分かると即急に会場の主人であるモンバゾン公爵夫人に届けたのである。
その恋文は、つい今しがた出て行った紳士のポケットから落ちたものであることが判明した。
そしてその紳士は、ロングビル公爵夫人に恋心(憧れ)を持っているらしいと噂されていた人物である。
さて、手紙の内容はと言うと一見すると、大して卑猥でも何でもなく今で言えば単なる随筆のような事実の羅列である。
即ち手紙を理解するには、その内容をより具体的に説明する必要があった。
事実、このモンバゾン公爵夫人の手紙も似たようなもので当時の恋文の類(たぐい)は、文字間を読むような説明を要するものであった。
従って、情交にかけては誰にも引けを取らないと言われた多情なモンバゾン公爵夫人は、この様な恋文の解釈をさせるにはじつに適当な人物であったと言わざるおえない。

よって、レセプションの皆の前で、モンバゾン公爵夫人は(金髪のロングビル公爵夫人の恋文であると噂される優雅な)恋文を意地悪くそして分かりやすく解釈して、高らかに読み上げて晒したのである。
その結果として、その翌日にはロングビル公爵夫人はモーリス・ド・コリニーの情婦になったという噂がバリ中に広まったのである。

この醜聞に対して、コンデ家(コンデ公爵夫人)としてはモンバゾン公爵夫人に名誉を傷つけられたとして大変困り、摂政アンヌ・ドートリッシュに相談にいったのである。
そしてその騒動の元になった手紙が調べられ、ロングビル公爵夫人の物ではなく別の貴婦人のものであることが判明した。
しかしここで宮廷内では、二つの対立する勢力に別れることとなった。
当然反政府派は、モンバゾン公爵夫人の身方をした。
強力な王族であるだけでなく名将(アンガン公・ラクロアの戦勝将軍・英雄)であるコンデ公爵とその夫人から迫られ、摂政アンヌ・ドートリッシュはモンバゾン公爵夫人に対し「コンデ公爵夫人に謝罪(贖罪)をするように」命じた。
モンバゾン公爵夫人と言うと余りよく解らないかもしれないが、モンバゾン公爵家とはロアン家である。後のルイ16世の時代、「首飾り事件」…Marie Antoinetteの首飾り事件に関係して高等法院で裁かれたロアン枢機卿はこの家の出である。
即ち、軍事力をも含めてコンデ家に対抗出来るほどの武闘派大貴族である。

……分かりやすく江戸時代にたとえて説明すると、…御三家筆頭紀州藩の殿様(コンデ公爵)の娘で有力親藩大名(ロングビル公爵)に嫁いだ娘(ロングビル公爵夫人)の悪口を、御三家水戸藩の奥方(モンバゾン公爵夫人)が言いふらしていると、将軍(摂政アンヌ・ドートリッシュ)に訴えた。
そして、水戸藩奥方(モンバゾン公爵夫人)に対して御三家筆頭紀州藩の奥方に(コンデ公爵夫人)に謝罪をしろと命じたということである。
普通ならばこんな大貴族の奥方が贖罪をすることは滅多にない。
従ってこのこと、コンデ公爵夫人に直接会って贖罪するという事は反政府派から見ると当然としてヴァンドーム家やギース家に対する政治的な嫌がらせと取ったのである。

(モンバゾン公爵夫人の贖罪)
摂政アンヌ・ドートリッシュが取り決めた日時に、モンバゾン公爵夫人はパリのコンデ公爵家に姿を現した。
物の本には、そのときのいでたちと様子が述べられている。
頭に大きな赤い鳥の羽を刺し、指という指には宝石のちりばめた指輪をし最新流行の服を着て現れた。当然口元はひん曲がって軽蔑の意をありありとあらわした様子であったという。
広間には、コンデ公爵夫人(シャルロットCharlotte・ド・モンモランシー)を中心としてその取り巻き仲間が群れを作っていた。
モンバゾン公爵夫人は物怖じもせず、ジロリとコンデ公爵夫人を睨み返したあと一言の挨拶もなしにいきなり扇子の片隅にピン留めした形式的な釈明書を読みにかかった。
特に「私といたしましては、ロングビル公爵夫人の世評と徳望の高さわ信ずる点において、いささかも人後に落ちるものではありません」という箇所にきたとき、わざと(クックッという)笑い声をたてて読み下した。
そして、ありありと冷笑を浮かべながら悠然と去っていったのである。

(シュヴルーズ公爵夫人のガーデンパーティ)
 シュヴルーズ公爵夫人は、例年チュイルリー宮殿のルナールの庭園でガーデンパーティをする習わしだった。
このガーデンパーティは砂糖菓子の屋台が作られ、摂政アンヌ・ドートリッシュとその宮廷の侍女たちが集まった。
それはセレナーデを聴きながらシロップをすするのが習わしだったのである。そして、特にこのガーデンパーティは摂政アンヌにとってはお気に入りだったのである。
これに摂政アンヌ・ドートリッシュは、コンデ公夫人を誘ったのである。
このパーティには、モンバゾン公爵夫人は参加しないことになっていた。(欠席の通知)しかし、当日になってみると欠席の筈のモンバゾン公爵夫人は当然来ていて、大声で笑いしゃべりまくっているではないか。コンデ公夫人は、そっと退出しようとしたが摂政アンヌが引き留めて侍女に言いつけをした。
即ち「モンバゾン公夫人のところへ行って、気分が悪いから帰らせていただくと、自分から言わせ、そして、家まで送り届ける様にと」である。
ところが、このモンバゾン公夫人の性格からしてそんなことはするはずもなかった。
かえって、妙な命令に突然笑いしだし、鼻高々と反っくり返ったあげくにコンデ公夫人に罵詈雑言を浴びせた上に一向に返ろうとしなかった。
怒った摂政アンヌ・ドートリッシュはコンデ公夫人連れて帰ってしまった。
翌日、モンバゾン公爵夫人に対してパリ追放の命令が下った。
即刻パリを離れて、ロシュフォールの自宅に謹慎するようにとである。

この追放の結果、当然反政府派の怒りは頂点に達し、ボーフォール公は、信用を失墜しただけでなく同時に愛人を失うという憂き目にあったのである。「ロングビル公夫人伝」



トップへ
トップへ
戻る
戻る
前へ
前へ
次へ
次へ