D'Artagnan物語・三銃士T

第 8 章  第2部  二十年後    第3巻    解  説     その1

第3巻    解  説     その 1
 1643年5月フランス国王ルイ13世がなくなると、13世によって追放された人々が戻ってきた。特にシュヴルーズ公爵夫人(摂政アンヌ・ドートリッシュの腹心)、マドマモアゼル・ド・オットフォール(ルイ13の元愛妾・摂政の友人)、ラ・ポルト(摂政の侍従)、セヌシー夫人(いずれもスベイン書簡事件の関係者)などである。
 しかし、マザランと摂政アンヌ・ドートリッシュはただならぬ関係になっていた。

 パラチナ選帝候妃(当時美女として令名の高かったアンヌ・ド・ゴンザク)の「回想記」では「ついに結婚するところまでいってしまった」と述べている。但し、マザラン枢機卿は神父・聖職者であり当然結婚出来る関係ではなかったのであるが、サント・オーレール伯爵の「マザラン伝」によれは、大衆世間一般は「摂政と枢機卿との正規な結婚よりも、むしろ両者の愛人関係にたいして、より寛容だった。」ということである。
 即ち「婚姻を秘密にしたのは、スキャンダルの無限な拡大を避けるという政治的な理由によったものである。」尚、晩年摂政は、ヴァンサン・ド・ポール神父(後に聖人に列せられた)とも密接な関係にあった。

 従って、このころのフランスはほとんど無政府状態であった。

 さて、ダルタニャン物語第3巻に戻ってみると、ここに二人の美女が登場する。
 一人は当時宮廷一の美女と歴史上名高い、ロングビル公爵夫人(Longueville,Anne-Geneveve de Bourbon-Conde,Duchesse de)であり、もう一人は、小説に登場する妖艶な絶世の美女(美女の中の美女と言われる)モンバゾン公爵夫人(Montbazon,Duchesse de)である。
 ロングビル公爵夫人は、アンガン公(後の大コンデ・ルイ2世)の姉でありフロンドの乱(ユグノーの反乱・大革命に次ぐ最大の混乱)で中心的な役割を果たすために有名である。
 一方モンバゾン公爵夫人は、陰謀家として悪名の高いシュヴルーズ公爵夫人の義母(若い)にあたり「Cabale des Importants・大物貴族の朋党」のアイドル的な存在であった。
 即ちヴァンドーム及びロレーヌの両家を頂点とする……摂政とマザランとを離反させ、フランスとオーストリアとの緊密な関係の回復をめざす反政府派に所属した。
 そしてその中心は当然ボーフォール公爵(当時27歳フランソワ・1616-69)とシュヴルーズ公爵夫人(当時43歳マリー・1600-79)である。
 ここでおおよそ想像がつくとおり、ほぼ同世代の(高齢の公爵を夫に持つ・後妻)二人の美女は好敵手の間柄だったのである。
 伝えられる二人の容貌や人物は対照的だったという。ロングビル公爵夫人はふさふさした金(ブロンド)髪・碧眼(青緑色の目)でいわゆる天使のようなタイプであった。…昔の宗教画を思い浮かべてみる良い。
 モンバゾン公爵夫人は、焦げ茶色の髪をし豊満な身体つきで、気性としては…かっとなりやすく、移り気で一見極めて陽気な人格の持ち主だった。その上、趣味、家系、政治思想についてもコンデ家(王位継承権ある王族)の姫様(ロングビル公爵夫人)とは対照的に違っていたのである。
 またその上ややこしいのは、ヴァンドーム公爵家(Vendome)(王族・継承権なし)のボーフォール公(ヴァンドーム公爵家の嫡子長男ではない)との結婚を断り、親の言いつけに従って〈ソワッソン伯爵の娘ルイーズ・ド・ブルボン(1603-37)の後〉後妻として24歳も年上のロングビル公爵・アンリ2世(王族・大貴族)と結婚した。(この事件の1年前・1642年Anne-Geneveve・23歳)
 一方モンバゾン公爵夫人は、ボーフォール公の愛人となり又ロングビル公爵まで愛人関係にあった。従ってこの二人は仇敵のように憎み合っていたのである。
 もっとも、ロングビル公爵夫人はモンバゾン公爵夫人が夫ロングビル公爵の愛人になっているからと言って目くじらを立てるわけではなく自身は、モーリス・ド・コリニーと言う優男を愛人に持っていたのである。

 ここで一つ説明しておかなければならない貴族の風習・慣習がある。
 この慣習は、18世紀ナポレオンが登場するまで又は、それ以降も守られたのである。
 即ち王族それに次ぐ大貴族は、妻(正妻・王妃)との婚姻は政略結婚(王族の場合)であり、王族は王族の、大貴族(武闘派)は大貴族の血統を守るために妻を娶ったのである。 さながら現代の血統書付の犬や猫のようである。
 そして、その妻を愛する、又は妻と恋愛するというのは王侯貴族にとっては下品なことと蔑(さげす)められていたのである。
 従って、貴族の夫や夫人が互いに愛人をもつと言うことは不思議ではなかったし、公に非難されることもなかった。もっとも美女を夫人に持つ貴族の中には、焼き餅焼きの夫もいていざこざもあったが。
 その訳かどうか知らないが、ブルボン王朝の歴代の国王(アンリ4世〜ルイ16世まで)は妻を愛さず、また愛されようともしなかった。物の本によればそれが大革命に繋がる原因の一つにあると言われている。
 小説では、《A・デュマ》がロングビル公爵夫人アンヌ=ジュヌビェーブを「好きでもない30歳も年上の老人と結婚した」と非難している。
 しかし、当時の結婚年齢としては16-17歳であるから23歳のアンヌが後妻として王族の血統(ヴァロア・ロングヴィル家)を守るために結婚しても何の不思議はないと思えるのである。
 次回は、フロンドの乱の原因ともなった事件を追う。
 この事件がなければフロンドの乱は起きなかったとも言われるものである。
 当然この二人の歴史に残る絶世の美女達、ロングビル公爵夫人とモンバゾン公爵夫人の揉め事に端を発する事件である。
 



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