D'Artagnan物語・三銃士T

第 6 章  その後の  シュヴルーズ公爵夫人

三銃士では 「二十年後」の第3巻「我は王軍、友は叛軍・10デルブレー神父」
にその後の様子が書かれている。
アラミスがダルタニアンに語る部分である。
すこし長々と引用する。
「なにしろあの枢機官(リシュリュー枢機卿)は手ごわい相手だったからな。シュヴルーズ夫人を捕えて、ローシュの城へ引っ立てろという命令をくだしたんだ。シャレーや、モンモランシーや、サン・マールのように、危うく首をはねられるところだった。夫人は男に変装し、あのケティという侍女を連れて逃げ出した。妙な噂を聞いたことがあるぜ。夫人がどこかの村である坊主に一夜の宿を求めたところ、馬に乗っているので男と思ったらしい、部屋は一つしかないが、いっしょに寝ようと答えたそうだ。あのマリーという人には、男の服がじつによく似合った。あれほど着こなしのうまい女は、他にいないであろう。…………」

「………国王がお亡くなりになると、ブリュッセルから帰って来たが、きみは会ったかね?」「うん、もちろんさ、まだなかなかきれいだった」
「……そうこうするうちに、ボーフォール公の陰謀に加わったりしたものだから、馬鹿者の枢機官(マゼラン)がボーフォール公を逮捕し、シュヴルーズ夫人を追放したというわけさ」
「帰って来るお許しはでているんだぜ、知っているかい?」
「うん、夫人が帰って来たことも………いずれ馬鹿な真似を仕出かすだろう」
……( )内は作者 荒井 注

ここで実際の史実によってみると、
(1)最初の亡命は1626年シュヴルーズ公爵夫人の宰相リシュリュー枢機卿暗殺計画の時である。この事件でシャレー侯爵は処刑され、シュヴルーズ公爵夫人はロレーヌ公領に亡命した。(シュヴルーズ公爵夫人25歳)
その後、1632年リシュリュー枢機卿は種種の国王の女性問題に頭を悩まし、国王の愛妾マリー・ド・オトフォールを王妃のスパイにしようしたが失敗する。
そこでリシュリュー枢機卿は陰謀好きな女性の必要を感じ、ロレーヌ公領に亡命していたシュヴルーズ公爵夫人(31歳)に宮廷復帰の許可を出した。
この処置は画期的なものだった。王妃の懐柔とシュヴルーズ公爵夫人の感謝を手に入れたからである。、
王妃とシュヴルーズ公爵夫人は喜び、リシュリュー枢機卿に全面協力を申し出た。
これを良いことにリシュリュー枢機卿はシュヴルーズ公爵夫人に、ロレーヌ公との条約の締結の協力を願ったのである。
そして、ロレーヌ公の愛人の一人にもなっていたシュヴルーズ公爵夫人の助力によりロレーヌ公と同盟条約・ヴィック条約の調印に成功する。
(実際には1631年よりドイツの30年戦争にフランスが介入し同年ロレーヌ公領に侵攻した。…1633年首都ナンシー陥落)
シュヴルーズ公爵夫人は「心からの優しさを込めてリシュリューを遇し、優美さの極を示した」とある。
…ギー・ブルトン「フランスの歴史を作った女たち・第3巻・第22章・ルイ13世、愛妾の乳房に触れず」
………余りよく判らない表現である。
 リシュリュー枢機卿はその若い美女シュヴルーズ公爵夫人を愛人にしようとした。だだ単に結構な快楽だけが目的ではなかった。籠絡すれば王妃との間に楔を打ち込めると一挙両得を考えたのである。
そして、リシュリュー枢機卿は愛人にするために弛まぬ努力を傾けたのである。
しかし、色事の達人であるシュヴルーズ夫人には通用しなかった。

シュヴルーズ公爵夫人の謝礼・優美さの極…この頃の「優美さの極」とは何であろうか。
「優美さの極」とは、一般に夜を共にすることであろうかと思われる。
この頃(AnshanRegime時代)の貴族と言うものは(色々な小説に書かれているように)大方そんなものである。即ち寝たのである。

その後、国王の男妾サン・マール侯爵とマリオン・ド・ロルム(貴族の超高級娼婦)の時はマリオン・ド・ロルムを愛人にすることでリシュリュー枢機卿は成功しているのだけれど。

(2)1637年8月、王妃アンヌ・ドートリッシュのスペインとの秘密書簡事件が発覚した。
リシュリューの秘密警察は、王妃がスペイン大使に送った手紙を入手した。リシュリューは王妃を監獄へ送り込んでやろうと目論んでいたのである。
これに加担したのは又シュヴルーズ公爵夫人であり、公爵夫人は露見したとなると男装逃走しスペインを経由して、英国に亡命した。(シュヴルーズ公爵夫人36歳)
尚、王妃を救ったのは元国王の愛妾マリー・ド・オトフォールであった。
そして、シュヴルーズ公爵夫人がフランスに帰還するのがリシュリュー枢機卿、国王の崩御(1643年5月14日)された後の1643年(42歳)である。
マリー・ド・オトフォールその後追放。

又、「ボーフォール公の陰謀」とはルイ13世崩御後の摂政(アンヌ・ドートリッシュ)
にマゼランを罷免させようとした陰謀である。
国王の崩御直後に起こった事件である。
即ち、リシュリュー枢機卿路線の反ハプスブルク家政策の政治の継承を大貴族が懸念したからである。この中心になったのがボーフォール公…王族でもあるヴァンドーム公の子(アンリ4世と愛妾ガブリエル・デストレの認知された子)である。 マゼランの暗殺まで企てたが逮捕される。
…三銃士ではこれにもシュヴルーズ公爵夫人が関与している。いつも重要な役割を担っているのである。
これはフロンドの乱の前哨になった事件であり後に詳しく述べる。

三銃士 「二十年後」の第3巻「我は王軍、友は叛軍・22マリー・ミッション、旅先での一夜」
リュイーヌ公爵の遺産である広壮な邸宅にアトスとラウルが訪ねて就職の世話を頼む。
推定すると1646年(45歳)になる。…小説では1633年から17年後1650年(49歳)になる。ラウルを生むきっかけになるアトスとの一夜(1633年10月11日)
小説では、「いまでもなかなかの美人だという評判である。じじつ、このころはもう44、45歳になっているはずなのに、せいぜい38、39しか見えなかった。」とある。

この先を書くと「二十年後」のフロンドの乱になってしまうので次回へ回すことにする。
いずれにせよ、シュヴルーズ公爵夫人はこの後もフロンドの乱の陰の中心人物の一人となり色事と策謀によって30年間にも渡り政治上の権力を掌握したのである。

残されている肖像画を見ると中年以降のもので、明らかに美貌というものは判らないがしっかりとした才女の面影は伺えるのである。

尚、モンモランシー公爵は、1632年6月王弟ガストンが外国人傭兵部隊を率いてフランスに攻め込んだ時、王弟が頼った大貴族(元帥・ラングドック総督)で国王軍と内乱になった。破れ大遺族の特権を剥奪、全財産没収、公爵の勲章、フランス元帥剥奪(元帥杖返還)処刑、名門断絶。
サン・マール侯爵は、国王ルイ13世の男妾である。宰相リシュリュー枢機卿暗殺計画から、王弟ガストンを利用してスペインと結び国家反逆を企てた。大逆罪。断頭台処刑。1642年9月
2003_9_23修正



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