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2007年6月28日(木)
コンディションと発想


 周りの目や言葉、いろいろなことを気にしすぎた。
 プレッシャーにー潰されてしまうところだった。

 玉葱が人のと比べて小さくても、夏野菜の生育が遅くても、その1つのいのちを
軽んじることは決してするまい。作物を否定することは自分を否定すること、こころを失うこと。道に迷うこと。
 今日、まだ青くて小さい初めてのトマトの実りを見つけて、そのけなげな姿を見て強く胸に誓った。「もう迷わない」

 6月は少し厳しかった。我が作物達、慣行の畑の作物の姿とその差は歴然とする。
 大きなものに羨ましい、という気持ちが少しでも湧きあがったのは何故だったのだろう。

 「採算取れなきゃ続けていけない」そんな言葉に浮き足立つ自分がいた。
 6月の陽の長さに目を眩まされたのかもしれない。今思うと視野が狭い。
 自信を失い軸が不安定になった時期だった。

 こんな状況には睡眠を取ってコンディションを整える事。寝られなければ寝坊して。きっと自信は還ってくる。又お日様と一緒に上って行ける。
 
 「続けたければいくらでも続けられるさ」
 発想も前向きになる。
 波のように繰り返されるポジティブ&ネガティブ・シンキング
 それは体のコンディションに依るものだと、
 農繁期のピークにあって今月はそれを実感した。
 

  

トマト実り
2007年6月26日(水)
オクラ蒔き


 自家採種を続けてきた八丈オクラ700粒余りの種をポットに蒔いてから1月以上経った。
 ポットに蒔いたのは、昨年、1昨年と入梅前ほとんど雨が降らず発芽に苦労したことを考慮してのことだった。直播は100粒だけ。
 
 育苗オクラ現在の発芽状況!草が約30本

 
 見て見ぬふりをしてきた。発芽しかけの1番大事なときに水遣りが間に合わず枯死したのだ。悔しさのあまり全滅の現実を直視できず続けてきた水遣りも今日限り。今日「星型オクラ」の種を少し蒔いた。
 
 時すでに遅し・・未練がアダとなり・・いやいやもうネガティブな発想は止めよう。この夏は記録的な猛暑襲来といわれるだけにまだ間に合うかもしれない。
 オクラが食べたい。

 

八丈他界
2007年6月20日(水)
品種


 葉物のとう立ち著しく、夏野菜が出来るのはまだしばらく先という
この時期にスナップエンドウがザクザク出来れば嬉しかった。

 今年買った「ニムラサラダスナップ」が芳しくない。
 二村さんという人が育種した品種。
 去年なかなかうまくいったサカタの「スナックエンドウ」の種採りがうまく出来ず、買いに行った先でつい衝動買いしたものだ。
 
 大仰な支柱&ネット。万全の準備を整えたそのネットには播種から3ヶ月以上経っても何一つ巻きついていない。
 背が低い、分枝しない、巻きつかない、どうもそういう品種みたいだ。

 種袋の裏を読んでみると、1メートル当たり30〜33粒も蒔くように書いてある。
 僕は1メートル当たり3粒しか蒔いていない。だからかなりのスペースを使っている。
 ちゃんと読んでおくんだった。苗床ほどの面積で今と同じぐらい採れただろう。

 出来ないわけではない。ちゃんと着莢している。
 草の中で。
 あー収穫のたび地際まで草刈りなんて大変ですよ二村さん。
 
 それにしても同じスナックエンドウでもこんなに違うものになるなんて。

 
 

ニムラサラダスナップ
2007年6月19日(火)
睡眠時間は削らない


 いつものように大好きなお父ちゃんの帰りを待ち構えていた優芽と遊び始めて数分、わが娘に覆いかぶさるように倒れてしまった。貧血で。情けないことに。

 うっすら残る意識の中に
優芽の泣き叫ぶ声が刻み込まれた。そして決めた、これからは6時間はしっかり寝るようにする。4時半から7時半まで明るいからって全部働かなくってもいいと考えよう。たまには6時まで寝てたっていいじゃないか。
 「まずは心身を整えるように」そんなことを川口さんも言っていた。
 大根よりもわが身を守るように沖津さん(徳島の実践者の方)も言っていた。

とうもろこし生育中
2007年6月16日(土)
ロー・テンション・デイ


 先日田植えをした。

 といっても黒米を200本ほど1本植え。1時間で終わってしまった。
 
 忙しさにかまけて草だらけになった苗床から取り出した苗はそれだけだった。育苗箱に蒔いたコシヒカリは枯れてしまった。

 今年はお米を買って食べる。
 
 野菜の販売に主眼を置いて以来、抱いていた自給自足の憧れが遠のいていくのを感じる。

 ”味ぽん使って忙しい人のためのお手軽クッキング”が今では”我が家の食卓”だ。
 結局経済社会の輪から離れるつもりなんて始めからなかったんだと思う。
 
 ・・・・・

 その経済活動・・
 今のこのやり方で自分が栽培する野菜が人様の大切なお金をいただくに値するものなのだろうか。
 肝心の野菜の姿は小さい、虫食い、(出来るのが)遅い・・・・(絶品!も時にはあるが)
 果たしてこの自然に沿って行なう農は今の時代の中で融合していけるのか。

 精神衛生上良くない、だからあまり考えない。自然と向き合って夢中になって毎日過ごしている。でも時々悩む。
 ”妙なる畑に立ちて”の写真のお米、野菜。僕はあれがどんなに素晴らしくおいしいものか直感出来たからこのやり方で始めた。
 いつか辿り着ける日は来るのか。そのときまで中途半端なこの居心地の悪い位置から抜け出せないのか。

 

 

2007年6月12日(火)


 小さなことにはあまりとらわれずにやっていきたい。
 大きなことを見失ってしまうから。

 生きることは対応すること。
 移ろう”今”、最善の選択を。

 歩んでいきたい道に立ちその道筋を辿って行く。
 こだわることにこだわらないで。


ズッキーニ開花
2007年6月8日(金)
大豆播種


 1週間ほど前に大豆を蒔いているおばさんを見かけたので「もう蒔くんですか?」と声をかけてみた。
 僕は昨年6月17日に蒔いてなかなかの出来だったので
、今年もその辺をめどに考えていたから。
 するとおばさん「豆はかっこうが鳴いたら蒔くんだよ、昨日から鳴いてるよ。」

 へぇ、知らなかったなぁ。カッコウが鳴いたら豆蒔きか。
 そんな農事暦があるなら守らねば、と思いながらなかなか蒔けず、それから日に日に大きくなってくるカッコウの鳴き声が気になって仕方がなかった。「カッコウ!カッコウ!(早く蒔け!早く蒔け!)」
 
 今日になってやっと蒔くことが出来た。
 蒔きはじめるとカッコウは不思議なもので満足なのか鳴きやんで、それから2度と鳴かなくなった。(いや明日はまた鳴くかもしれないが・・・)

 自然のなかで他の生き物達と共生し知恵を磨き、百姓は昔からそうやって生きてきた。なんて素晴らしいことだろう。受け継がれてきた知恵は1つでも多く学びたい。
 このあたりの人は皆代々百姓だ。積極的に話しかけてみよう。
 
 とにかく今年の大豆は、カッコウが太鼓判で大豊作!・・ホントかな


大豆播種
2007年6月6日(水)
ミニトマト植え付け

 近くの果樹農家のおばさんが「こんなところに植えて大丈夫?」とお決まりのセリフを言う。
 
 ”白樺ファーム”2年目はミニトマトがメインだ。
 木の根、萱の根は昨年ほどではないがまだ縦横に張り巡らされている。
 そこにぼこぼこ植え穴を空けて植えつけた。230株余り。

 こいつらきっとやってくれるはず、そう信じている僕はいつものように不敵に笑って「大丈夫ですよ」と1言。叔母さんもいつものようにあきれた様子。
 これまで3年間、どんな悪条件も何のその、しっかり実ってきた。今年は最高の種を取った、と自負している。
 
 いつもならこれで終わりなのだが、今日は自然に言葉が口をついて出てくる。この間の自信がまだ続いているのか・・「心配ご無用です。いいんですよ、そんなにたくさん採れなくったって。いろんな草とかいろんな生き物もいて、こういうところで働けるのがまず楽しいし、少ないかもしれないけどそれなりに出来るし。、出来たものは格好は良くなくてもおいしい。」「楽しいの、畑が?」「楽しくて仕方がないですね。夜なんてなくてずーと居られればいいのにとか、よく思いますよ。この間なんてヘビが・」調子に乗ってきたらおばさん、行ってしまった。あまり聞きたくないようで・・・。
 
 さてミニトマト。
 「おいしいでしょう?ほんとに。・・タダの偏屈男じゃないでしょ?」なんて言ってみたいけど・・・。


 
ミニトマトインしらかば
2007年6月4日(月)
ヘビ君と僕の幸せな1日


 黒もちとうもろこしの植え付けをしていると2匹のヘビがちょろちょろといったりきたり。
 しばらく手を止めて眺めてみた。2匹の若いヘビの浮き浮きとした様子が感じられた。

 かなり若い、きっと人間で言えば中学生だろう。
 ・・授業をエスケープして抜け出した2人、誰もいない公園に滑り込んできた。または
 ・・昨日思いを打ち明け晴れてカップルとなり今日が初デート・・ そんな雰囲気。

 そして、
 よりによって目の前で愛の行為を始めやがった。
 構ってられない!珍しいので写真を1枚取らせてもらったが、後は「勝手にやって」と呟いて、すぐ横で植え付け再開。
 
 ・・・・
 しばらくして、心の中に温かいものが込み上げてきて涙が出そうになった。
 ヘビたちはごく普通で、僕を少しも怖がらないことがたまらなく嬉しい。
 この場所は彼らのオアシス?
 少なくともこの畑で、彼らが違和感を持たず緊張することなく過ごしていることが、僕に大きな勇気を与えてくれる。
 
 ”勇気百倍”
 100度の辛さも、1度こんな思いを味わうととてもやめられなくなってしまう。

 

ヘビお楽しみ
2007年6月3日(日)
ジャガイモ


 ジャガイモ(レッドムーン)の生育がなかなかいい。
 写真はジャガイモを覆いつくすカラスノエンドウだが、これがポイント。
 
 カラスノエンドウの茂っている場所の作物の出来栄えはこれまでの経験では、全て良かった。そこでは何故だかは分からないが土の芳香が漂いしっとりと団粒構造だ。
 
 放任ではだめだろうが、このつる草に多少まとわり付かれていても作物は良く育ってきた。草刈りをちょこっとやってやればそれだけで。

 それだけで、今年のレッドムーンは今までにない出来になる、かな。

 

レッドムーン生育中
2007年6月2日(土)
サツマイモ


 去年から寒い家に引っ越した為に、寒さでいたみやすいサツマイモの保存ができなかったので、自家採種を続けてきた紫芋は今年は苗を10本だけ買って植えた。
 ベニアズマはスーパーで買った10個を種芋にした。トロ箱に土を入れ芋を伏せこみビニールで覆って室内で芽だし。
 1月近くかかって芽がでてきた芽を切って植え付け。これで150〜200本の苗が取れる。(1度には取れないが)。
 苗は結構高いから芋をスーパーで買う。
 冬が越せない地域、家。これからサツマイモ作りは毎年この裏技を使う予定。

ベニアズマ苗
2007年5月30日(水)
緑色の月


 ポットに蒔いたモロッコの種が発芽。
 きれいな模様の皮を突き破って緑の芽が顔を出してきた。

 今年色々種蒔きしたが、種のデザインがどうであれ発芽
してくる芽は皆緑色。
 このことに今更ながら強いインパクトを受けた。
 
 最もエネルギーに満ちた神秘の色、”緑色の月”5月は明日で終わり。これからそれぞれの成熟に向かって、農園では様々な展開が繰り広げられていくことだろう。


モロッコ発芽
2007年5月28日(月)
日中の暑い時間は山仕事


 山は涼しい。
 蚊がまだいない快適な中で除伐作業。木漏れ日の差し込む雑木林にしたい。
 
 本来冬の仕事かもしれないが、落葉後では、樹種の判別がむづかしくなるのと、”木漏れ日”の加減がわからないので今がいいのだ。

 1600坪あるが汗ひとつかかずにとりあえず終了。
 自生するコシアブラ、タラノメ、ハリギリ、山椒、山栗・・食べられるものばかり伐らずに残して、これは”おいしい山”になりそう。ますます山に入り浸ってしまうかも。

 

木漏れ日の山
2007年5月27日(日)
着々といい勝負


 草が勢いを増してきた。
 田畑が活気づいてきた。

 6枚の畑が分散しているため、しばらく足が遠のく畑もあって時々ぶったげることがある。今日久しぶりに行った1番遠い畑で思わず「うわっ」と叫んでしまった。

 ちょうどタイミングよくこのサイトを発見した。
 ー毎日が「自然農」ーインチキ百姓的生活日記

 インチキ百姓氏の日記の1節に目が留まった。
  
   畑の雑草の勢いは1瞥するとまるで適わない相手のように思えるが、
   いざ畝間に腰を下ろして手を動かし始めるとなかなかどうして着々と
   いい勝負になるものだ。例え周りから見たら、雑草に埋もれた畑に変
   わらずとも、中を見れば播種した箇所や草刈りを済ませた箇所が存在し
   静かに背丈を伸ばす野菜たちが雌伏して佇んでいる。

 我が意を得たり!
 見事な表現。この人文章上手だなぁ。
 
 適わないことはない。
 
 29歳のロートルボクサーだった頃、元国体チャンピオン、二十歳、連戦連勝のホープが相手。
 ”かませ犬”だと言われたけど・・。
 そんな試合もグローブを合わせれば、相手の表情、息遣いが感じられ一体となる。
 着々といい勝負になるものだ。映画やドラマのようなストーリーは生まれなかった(つまり負けた)けど。

 自然農は地道な作業。
 人の倍の時間畑に居ても出来るものは、大きさ半分、量半分(ということも多い)。皆気の毒がってくれるけど、この時間は僕にとって何物にも変えがたいもの。
 機械で一刀両断、は好きじゃない。ボクシングでもあっさりKО勝ちすると全然つまらないし、勝っても負けても着々と(いい言葉だなぁ)打ち合った時には、相手が愛しく感じられ、ねぎらいたく、抱き合いたくなる。
 
 この時間、草との格闘、その間隙を潜り抜けてゆっくりと育まれた野菜たちの命に反映するものが何もないことはないだろう。そう信じつつ・・・

 僕はかなり自己満足的な人間なのかもしれないなぁ。
 そのためにいつも苦労するのは家族なんだよなぁ、きっと。
 

 
 

2007年5月21日(月)
次から次へ


 夜が明けるとすぐ畑に向かった。
 霜は降りていない。昨日植えた茄子もキュウリも無事だった。

 ところが別の畑で、トマトが大ピンチに。
 約3分の1が枯死状態。発芽→育苗で3分の1になった苗は、更にこれで100を切ってしまった。

 ズッキーニも活着不十分で危ない。
 土がかなり乾いている。水遣りが必要みたいだ。

 20リットルタンクとジョウロを携え水遣りしてまわることにした。
 
 自然農の手引書等では”水遣り不要”なんてきっぱり書いてあるが、栽培年数を重ねるほどに、そう簡単なものではないことが分かってくる。

 雪の少なかった冬の後も、3、4、5月と雨不足、せめて植え付けの翌日、灌水するべきだった。

 ・・気まぐれな自然に拠るところの仕事。たくさんの作物を抱えて、悩みは尽きない、ハラハラドキドキ、ガックリと。
 でもそれは長引かない。濃密な人間関係を伴う仕事との違いかもしれない。悔やみ続けることはない。怒り続けたり、恨み続けたり、そういうことはない。

 そんな暇はない。日々、全く違った表情、違った状況を表す田畑に向かい、対応に追われていると、悩みがストレスに発展することは決してない。
 
 次から次へ・・やらなければいけないこと、やったほうがいいこと、やりたいこと、もう脳みそから溢れ出んばかり。

 こんなに働き続けているのは、間違いなく生まれて初めてだけど、嫌な疲れは全く感じない。

 「充実しているな、幸せだな、」と、ふと思うことがよくあるのだ。
 
 
 

茄子キュウリは無事
2007年5月20日(日)
澄みわたる空 来るか遅霜


 「今晩から明日の朝にかけて急激に気温が下がり、霜の降りる恐れがあります。農作物の管理には十分にご注意下さい。」
 ちょうど茄子とキュウリの植え付けを終えると、それに合わせたように町内放送が聞こえてきた。

 確かに今日の風は冷たい。そして夕方ちかくには雲は残らず強い風に運ばれて、真っ青な空が広がっていく。
 
 ”放射冷却”遮るもののない冷気が直接地表に降り注ぐ。
 明日の早朝、本当に霜が降りそうだ。
 不繊布で覆うか、とも考えたが気力体力足りず、結局”何とかなるさ”と帰ってきてしまったから、あとはもう祈るだけだ。

 今日植えた苗、やっと芽が出揃ったジャガイモ、どうか無事でいてくれますように

 

空澄みわたる
2007年5月17日(木)
除草


 となりの畑は・・
 草が真っ赤に枯れている。除草剤散布後の気味の悪い色が目に付いて困る。
 
 草が勢いを増してきて、今が除草剤の蒔きどきらしい。あっちこっちでじゃんじゃん蒔いている。

 「スギナ早くどうにかして、あんまり荒らすなら除草剤蒔くよ」
 80過ぎのおばあちゃんから今年お借りした畑で言われた。
 
 「スギナは酸性土に生えるといわれるけど、スギナが生えることで改良され、土壌のバランスが取れてくるって聞いたことがありますよ。他の草でも少しぐらい生やした方がいい事だってあるんじゃないかと思ってやっていますが・・」なんて言ってみても(言ってみたが)全く通じるわけもなく、逆に気分を害してしまう。
 
 おばあさんの長い百姓の歴史は、草との戦いに明け暮れていた、・・皆そうだったんだろう。
 草をきれいに取り去って作物のみが育つのが、畑。

 実際おばあさんが大根やねぎや芋を上手に作っていたのを知っている。
 だから僕が、作物より草が目立つ畑で、何を言っても能書きにしか聞こえないのは当然かもしれない。除草の重要性は僕も認識するようになった。
 
 何より80年の人生経験を60年の百姓の経験を切り捨てるわけにはいかない。折に触れ色々学ばせてもらいたいとも思っている。

 ただ
 「除草剤は絶対に蒔かないで下さい」
 何はともあれ、ここだけは、はっきりと伝えた。

 

コントラスト(生、死)
2007年5月14日(月)
キジの声


 ココハホントニイゴコチガイイ
 イツデモアンシンシテイラレル
 
 ダカラマイニチココニカオヲダスンダヨ
 イツマデモアナタ ココニイテ ココデノーギョーヤッテイイヨ
 
  って言ってる気がした
 

雉来園
2007年5月11日(金)
発芽率100パーセント!

 
 今年のミニトマトは
丸い品種1種類。

 今までいろんな種類作った中で1番土地、栽培にあっていると感じたもの。2年自家採種している。

 なんて素晴らしい途中経過!250あまり蒔いた種は100パーセント発芽して順調に育ち鉢上げまできた。

 まだこれからが肝心なのは当然だけど、今の段階ではイメージ以上、いやが応にも気持ちが昂ぶってしまうのだ。

ミニトマト苗
2007年5月8日(火)
急逝


 「この土地がよほど素晴らしいんだろう」
 と、いつもの冗談の後、
 「このやり方でこんなに良いものが出来るなんて驚いた。これは
立派なニンニクだ。」
 と初めて褒めてもらった、そのときのそのままの笑顔を夢の中で見た。

 厳しく怒られることも多かった。

 自分にも厳しすぎたのかも知れない。

 いろいろな役員にもなっていて、かなり忙しく、疲れていたようだ。
 それでも前日も、作業服を着て畑に出ていた。

 ・・・・

 おとうさん。おおやさん。
 
 相次ぐように逝かれた職人気質の厳しい2人に、認めてもらうのが僕の中の大きな張り合いだった。
 ・・すごく寂しい。

 だけど、大屋さんの顔、安らかだったのが、せめてもの・・・ 僕は嬉しかった。
 
 ご冥福をお祈りします。


 

花
2007年5月7日(月)
適期、適時(赤ロメ)


 勝手に1人で”赤ロメ”と呼んでいるレッドロメインレタスの植え付けをした。
 
 4月は雨が少なく(降水量20mm)、1日の雨も僅か1mmだったそうで、やっと昨日
 雨らしい雨が降った。

 地温の感じ、湿り気・・・日差しは強くなったが、かなり植え付けに適した日ではなかったか。
 そして苗の出来、成長度合いもベストに近い、と思う。

 今までレタス類はうまくいったことがなかったが、「今回はきっと・・」 なんて考えて、
 ・・今が1番楽しい時かも。

 

レタス植え付け
2007年5月6日(日)
キビキビ朝型生活


 寒さが去るとすぐ暑くなる。
 
 農繁期の百姓、涼しい朝食前に出来るだけやりたい。

 冬の間深夜にダラダラやっていたパソコンも、最近はなるべく朝開くことにしている。但しケツカッチン日の出まで。

 体操して、水を飲んだら速やかに出発。山菜採りもササッと早朝に。
 凛とした空気に身体が軽く、頭も冴えてる感じで気分がいい。

 上が100切る低血圧人間でも、朝型生活全然OK。 
 

タラノメ
2007年5月2日(水)
適期・適時


 今週は当地の百姓にとってのゴールデンウィークでもあるのだ。
 
 遅霜も強いのはもう来ないと思われ、いっせいに皆が畑に苗を植えだした。
 田んぼは、田植えに備えて水を入れ始めた。
 
 そして昨日は久々雨が降り、我が農園も、植え付けラッシュ、種蒔きラッシュ。


 

田入水
2007年4月30日(月)
水がうまい!


 とにかく暑い。
 今年初めての夏日。
 毎年この日だけは、寒いほうがまだいいのかなぁ、と思う。
 
 これからは、こまめな水分補給を心掛けなければ。
 中身は・・水!これが一番。
 
 
信州に来た当初、水道の水がおいしいことに感動したものだった。
  この要素は暮らしの中で重要だ。
  風呂上りに飲む1杯の水は、実際ビールよりおいしい。

  この夏は、深刻な水不足になるのだろうか。
  そんな心配をしつつ、喉を潤し、又猛烈な暑さの中、草と格闘。
  

 
 

中身は水
2007年4月29日(日)
遅霜

 
 今朝の霜は強烈だった

 
 霜に弱いズッキーニの定植を昨日しなくて良かった。
 ジャガイモもまだ芽が出ないから、被害がない。
 
 芽を出し始めたばかりの、葉物達もじっと耐えている。

 お昼頃から、今度は暑くなった。
 この温度差が、おいしい野菜の下地を作るのだと信じる。

 予想するに、これほどの霜は多分最後だろう。
 成長期の野菜がためらいながら、5月の爆発に備える。。

遅霜
2007年4月28日(土)
黒もちとうもろこし


 この夏の主力品目にしようとしているのが、この「黒もちとうもろこし」
自家採種2年、昨年の出来が上々だったので。
 これから、7月頃までどっさりと蒔く予定。

 ただ気がかりなのが、この種が交雑(異品種から受粉)していないか、ということ。何でもとうもろこしは、1キロ離れていても交雑してしまうことがあるらしい。
 1キロ以内で同時期にとうもろこしを作っていないことはまずあり得ないから、あとは運を天に任せるしかない。作ってみなくちゃわからない。
 
 運だのみ。所詮農業は、いつも。
 大らかな気持ちで・・祈ろう。

 

黒もち種
2007年4月27日(金)
発芽


 今年最初に芽を出したジャガイモは、畑の隅の生ごみを放っている場所。
 今朝の霜で少しやられてしまったが、まだいくつか元気な芽が顔を覗かせている。

 そういえば腐りかけの芋を幾つか、ここに捨てた記憶がある。
 他にはニンニクが2芽見事に生育している。これは、これはどうしてだろう。記憶にはないが、きっと小さなニンニクが、生ごみに混ざってここに来たのだろう。

 これから、あちこちにトマトや紫蘇やカボチャなんかの芽が現れる。
 そして時々、頑張って栽培しているものよりうまく出来たりすることがあるから
 
 これも楽しみの1つ。

 

ジャガイモ発芽
2007年4月26日(木)
変わり者


 先日の口内炎の余波で顔中がかさぶただらけで、伸び放題の髭面が輪をかけて汚らしい。
 
 雨上がりの畑では、草の成長が著しい。
 「ひでえ、草だな!」
野次を飛ばしていった人がいた。
 醜面と草だらけの畑。
 あの人には、2つがリンクして見えていたかもしれない。

 まだ作付けの済んでいないこの時期、草は生えるにまかせている。だから毎年春先に野次られる。幾十も並ぶ集落の田畑でこんなところは1つだけ。

 このやり方で始めて4年目。豊かに変わっていく畑を実感できるようになって、もう気にしちゃいない。他人の土俵に乗せられることはない。
 
 ”変わり者”呼ばわり、昔から慣れている。

不耕起草生
2007年4月19日(木)
4月10日頃


 冬の間に大体の年間作業予定表を書いた。それを見ると”4月10日頃”のフレーズがやたらと多い。この頃にやるべきことが集中しているのだ。

 全て予定通りに行くなんてことはありえないけど、身体が不調だったせいもあり、非常にずれ込んできた。
 ジャガイモをやっと半分蒔いた。植え替えなきゃ(鉢上げ)生けない苗が、たくさんある。葉物の蒔き時も終わってしまう。忙しさはこれから雪だるま式に膨らんで押し寄せてくるのだろう。

 ”4月20日”そうこうしているうちに山菜採りの時期になった。採れても採れなくてもこの日、最初のタラノメ採りに行こう、と決めていた。 
 
 明日の朝だけは、全て忘れて行ってこよう。
 わくわくする、今夜は寝れないかな。
 

レッドムーン蒔いた
2007年4月16日(月)
白樺ファーム検証


 当サイトの”自然農のこと”の頁に載っている「白樺ファーム」はその後どうだったのか、興味を持ってくれた人がいたので、昨年の結果報告です。
 
 オクラ、枝豆、ゴーヤ、ミニかぼちゃ、ゴマ、かぶを作付けして結果的に(収量、品質)”中の下”というところでした。甘くはなかったです。
 (検証)
 全体に思ったような成果につながらなかったのは、初期成長が極端に悪かったこと、に尽きる。やはり木の根がビッシリと張り巡らされた中で、野菜たちの根は思うように広げることが出来なかったようだ。
 各種それぞれ何株か、特に後半の追い上げには目を見張るものがあったから、土の養分がたっぷり、なのと、根の競合にメリットはあった、とは思うが。

 初期の生育期、作物の根が競り合いに勝てるかどうか、そこが、”自然農”(不耕起)栽培の最大のポイントか、と思う。

 2年早く始めた「あさまファーム」の方は何を作ってもうまくいく。
 こちらでは萱(すすき)の根も土の中で腐植して、上質の堆肥の状態。

 「白樺ファーム」で今年はミニトマトを作る予定。
 定植場所の状態をよくチェックしてみよう、木の根はまだ生きているか、勢いはどうか、ミニトマトの根は・・十分に根を張ってくれるか。
 

 

白樺ファーム
2007年4月15日(日)
野生


 道の駅「雷電くるみの里」へ出荷に行くと、「カンゾウの芽」を買って帰ったお客さんから「たくさん食べたらおなかをこわした。」との連絡があったことを伝えられた。どうやら僕の出したものではなかったが、僕もよく出しているものなのでいろいろと説明を受ける。

 ・・・野草や山菜等は、(体質にもよるが)決して食べすぎないように、と消費者の人に明示しなくてはいけないのだと思った。特に「カンゾウの芽」は味が良く、いくらでもいけてしまう。

 もしも僕がネットで販売していた野草セット”を買ってくださった方で、少しでも身体に異変を感じた方いらっしゃったら、ぜひ連絡してください。当方の責任だと思いますので。

  
  ”野生”と”人間の生”のあいだには ガラス窓
  快適な家も密度を増して 不快な暮らし
  ガラス越しの躍動に こころを灯す
  でも
  この窓は開かない 開けてはいけない
   

 

桜一気に満開
2007年4月13日(金)
屈してしまった


 10年以上前に「薬は絶対飲まない」と立てた誓いは、ついに崩れてしまった。
 
 三日三晩におよぶ高熱と顔のこわばり、痛みに耐えかね、昨日ついに病院へ。
 破傷風ではなかった。あごの先からこめかみまで腫れ上がった原因は、何かの菌の感染による重度の歯肉炎とのこと。

 痛み止めを飲むと胃が荒れる、ということでで胃薬までくれた。抗生物質だけは断ったが。
 ここ2,3日口が良く開かず満足に
ものもたべられなかった。食べないと薬も飲めないので無理して少しだけご飯を味噌汁で流し込み、祈るような気持ちで薬を口に入れた。
 
 すぐに反応が出た。
 胃が痛い、胃薬も飲むのか、やっぱり。でも顔の痛みは消えた。昨夜は早く寝た。
 夜中痛みで目が覚めた。薬の効果が切れたのだ。
 朝が待ちどおしい。早く何か食べて薬を!薬中毒だ。そしてまた胃薬。
 結局3回これを繰り返して、身体は少しよくなったけど気分は良くない。蕁麻疹まで出てきた。

 最近いろんなことに、考えがあまり偏るのは良くないな、と思うようになっていた。
 バランス感覚を持って生きたい。
 ・・・娘に予防接種させようかな、と考えている。薬は悪とは言えない。

 そんな変化があって、屈してしまったんだ、今回は。

 結婚式の1週間前に顔を大やけどを負って病院に運び込まれた時、先生が手を合わせて頼んでも断固として全ての薬剤を拒否した当時の僕の”頑なさ”が今では眩しい。

 

 

薬
2007年4月11日(水)
破傷風の恐怖


 出荷作業中で使う古い新聞を走り読みしていたら、破傷風のことが書いてあった。
 
 全国どこにでもいる破傷風菌というものに感染した人は、10人に1人は死んでしまうのだという。いつも誰でも感染する可能性がある、これは言ってみれば死の病だ。

 僕は今まで知らなかった。破傷風という名前以外。
 野良仕事は素手基本。生傷絶えない。傷ついても平気で土に手をつっこむ。傷口は真っ黒だ。
 自然治癒力を信じ、最悪膿んでしまえば直るから、放っておく。
 
 新聞によるとこれら全ていけない。
 記事には怖いことが次々に書いてある。
 首の周りが固くなり、口が開きづらくなり、2週間の潜伏期間中に死んでゆく。

 ・・・今僕には気になっていることがある。
 首がうまく回らな
い。口がちゃんと開かない。熱が高い。ほんとうに。

 

傷口真っ黒
2007年4月9日(月)
栽培の工夫(手抜き)


 右の写真では分かりづらいが、昨日、今日植え付けしたスナップエンドウが写っている。更に見えないが、キュウリネットと昨年のキュウリの残滓
 
 スナップエンドウを除けば、昨年10月のキュウリの最後の収穫の後触れたものは1つもない。草の中から伸びたキュウリの残滓はネットに掛かったまま、その隣に(株間も同じく)エンドウの苗を植えるだけで蔓を這い上がらせようというアイディア。

 1人でする農業。種蒔きなど手を抜けないところはしっかりやって、その他なるべく省力化。そのために無い知恵絞る。

エンドウ植え付け
2007年4月8日(日)
寒冷地の春


 天気の良い日曜日。
 朝夕まだ少し寒いけど、日中は気持ちよく晴れ渡った。

 僕は(今年初めて)6時前から畑に出て作業。
 家の周りでも、大分人が出て野良仕事に精を出していた。
 
 信州の冬は長く厳しいから、プロ野球の開幕のようなこの日、どの顔も
爽やかな緊張感に満ちあふれている。 

 冬は長く、夏(農繁期)は凝縮される。もう2ヶ月ちょっとで夏至だ。
 この2ヶ月はフルパワーで過ごしたい。

 この徒然草・・・(戯言)もこれからは農作業のなかで感じたことを、歯切れよく綴りたいなぁ。


 

蕾もぷっくり
2007年4月4日(水)
年輪


 人から頼まれて伐採した、ハリギリの木の年輪を数えてみた。
 
 1、2、3、・・・・・・・38 あ!同い年。

 なんか急に寂しくなってしまった。

年輪38
2007年4月3日(火)
継承


 先頃亡くなられた義父(お父さん)と僕は、みごとに正反対だった。

 隣り合った畑で耕作していた一時期、2つの畑が2つの個性を如実に表した。
 草だらけの畑と全然草のない畑。

 
 台風がきてもびくともしない支柱を感心してみていた。
 シンプルなのに頑丈。”職人気質”を感じさせるものだった。

 ある見学会で拝見した(自然農を育てた)川口さんの作業の仕方は、まさに”職人気質”だった。その動きが誰かに似ている、とその時思った。お父さんだった。
 
 お父さんの趣味は盆栽。山で採取してきた松の幼木をみごとに仕立てた。

 ・・・

 あれからずっと気に掛かっていた。盆栽はどうなるんだろう。枯れてしまわないだろうか。
 植木の親方に尋ねたら「そういうものは分身だ、奥さんが守っていくものだ」といった。
 
 四十九日の日、思い切ってお母さんに聞いてみた。「大事に育てます、もらえませんか?」
 「そのほうがありがたい、お願いします」
 嬉しい!「ありがとうございます」・・と同時に責任が急に胸に迫ってきた。ひしひしと。


 お父さんがいた時は全く興味がなかった盆栽だが、こうして我が家に根を下ろし・・今日は眺めて、少し手を掛けて又眺めて・・・楽しいものだ。落ち着くものだ。

 この冬、僕は植木職人で、”職人気質”に毎日触れていたせいだろうか。”管理すること”も喜びだと今は思える。
 
 ・・・自然農は”投げやり”な農業ではない。”放任”栽培ではない。より手が掛かる、ことも多い。成り立たせていくのは細かく緻密な管理能力なのだ。

 

盆栽(分身)
2007年4月2日(月)
自然からもらう


 昨日は法事で埼玉へ。
 早くも桜の花は散り、”葉桜”になっていた。
 何のしなくても汗が吹き出るほどの陽気だった。

 一転明日(3日)からは、また”寒の戻り”しばらく続くらしい。備えて今日は薪集め。
 最近集めていた薪は、来年用(生木)ばかりだったので、今日は枯木を・・・

  先日読んだ『複合汚染』に、今は「米・・俵とった」と言うけど、昔の人は「・・俵もらった」と言っていた、と書いてあったのを思い出した。
 ・・・うん、そうだ。薪だって自然の産物、本当にありがたい。「いただきます」と言って、もらうことにしよう。

 こうして自然の偉大さに思いが届くと、暑いの、寒いの、といちいち騒ぐ人間(僕!)、実にちいさい。
 

 

いただきます
2007年3月29日(木)
自然回帰


 まだ小さな流れかもしれないが、最近は、稗、粟、古代米等雑穀がブームを超えて、この21世紀の中に定着してきたようだ。 
 
 前世紀、人間の生活は自然から離れすぎた。反動から、転じて身体は自然回帰を始めたのかもしれない。
 そこで・・”雑穀に続いて雑草も”という今回の野草セットの販売企画なのだ。

 戦時中、ごぼうの入った食事を「木の根っこを食わされた」と米国人捕虜が言って、後で日米間の問題になった、という話を聞いたことがあるが、皆様も「草食わせようなんて!」と言って怒らないでいただきたい。
 太古の昔に思いをはせているわけではないが、”野菜”でなくこの”野草”が我々の遺伝子の中に深く刻み込まれているような気がするからだ。

 
 自然農園・・・途切れることのない命の舞台、エバーグリーンの畑に自生する、ヨモギもノビルもナズナもギシギシも
クローバーやタンポポだって先入観を持たずに口にすれば自然に味わうことが出来る。季節と一体になれる。今、緑の絨毯のように地面を覆っているカラスノエンドウも又、”美味”ということはないが、何の抵抗もなくスッと身体に入ってくる。
 ”身体が喜ぶ”というコピーは、こういうときに使いたい。

 これまで自然の調和の外へ外へ出ようとしてきた人間が、いつかその歯車の1つにぴったり納まる日が来るのだろうか。
 まだ”美食”だなんて言いながら滅亡への道を駆け下りていくのだろうか。

緑の絨毯
2007年3月28日(水)
経験


 ここ数日、毎日が楽しくて楽しくて仕方がない。完全に躁の状態だ。
 色々やりたい。明日が待ち遠しい。気候のせいもあるのかもしれない。
 
 今までもこういうことが何度かあった。
 思うより先に身体が動く。全然疲れない。季節は決まって春。
 自分の中の動物的な部分の仕業なのか・・・どこまでもいけそうな感じ。心が高ぶる。

 
 さっきから”ちょっと待てよ”と考えている。こんなことは言いたくないが、今までの人生経験では、これは不吉な予兆でもあるのだ。・・大体怪我をする。それも大怪我・・。
 いくら飛べそうでも人は飛べないのだ。
 
 要注意!足を地に着けよう。怪我したら台無しだ。我を忘れずに、分をわきまえて・・・。
 
 苦い経験もだてじゃない。今こういうことに思いが及んだのはそれだけ年を取ったということだろう。ここから先”経験の動物”人としての道がようやく始まるのかもしれない。

 動物と人間がハッキリと同義でなくなる年代へ

 これから年輪をどう重ねるかで、人間の値打ちは決まるんだなぁ。


たそがれ時
2007年3月27日(火)
複合汚染


 日本有機農業史のその名を残す本書。人からお借りしたものの、重そうなイメージが邪魔をしてなかなかとっつけずにいた本だったが、著者は意外にもユーモアがあって読みやすく、上下2冊一気に読んでしまった。

 昨年になって”有機農業推進法”という法律が制定された。
 本書の書かれた有機農業創世時代から30数年。”ついにここまで来た”といってもいいだろう。
 何が貢献したのか、1番は消費者の願い。ひいては子を思う母の強さ・・・
 本の中で印象に残ったフレーズがあった。

  ”こと子供に関する限り、母親は実際的な責任者であり、男性のように社会の仕組
  みに対してすぐ絶望するような意気地なしがいないからである。”

 その通り!その強さが消費者運動を支えてきたんだよなぁ。
 母は強し。

 うーん、心配だなあ。これから山菜採りの最中にばったり熊の親子に出くわしたりしないだろうか。いざとなった時、熊と戦っても負けっこない、なんて思っていたけど、思いの強さが違いすぎる・・勝てないよな、きっと・・・。

 
 

複合汚染 有吉佐和子著
2007年3月26日(月)
団粒構造だ!


 今日はルッコラの種蒔き。蒔き溝を掘ってみた。目を見張った!

 「土が出来るまで3年かかる」とよく言われる。
 どうやら本当みたいだ。
不耕起今年4年目になる畑の土は、誰でも(百姓なら)よだれの出るような団粒構造で構成されていた。雨のあとでも固くならずふかふかしている。
 まさに”何もしていないのに”

 この土ならきっとうまくいく、と思うと嬉しくて、時々「お前のおかげだ」といってミミズ構いながら、ほぼ1日かけて種を蒔いた。

 
 1日かかった!ずっとかがんでいた。腰が痛い。
 (路地への)種蒔きのスピードは年々遅くなっているかもしれない。
 初めは良くわからなかった。ちゃんと発芽するか心配だった。元来雑な性格もありドバドバ蒔いてしまった。発芽すると、種の袋をひっくり返したような具合になっていた。
 去年から丁寧にやり始めた。
 今年は更に(馬鹿?)丁寧に。小さな種を一粒ずつ、きっちり7,8センチぐらいの間隔に蒔いていく。植木屋で磨きをかけたこの根気強さ!
 そしてよく親方が言っていた「損してもととれ」が少し強引だがここに当てはまる。

 種蒔きに要した時間の長さ(損)は、忙しい時期に重なる間引きの手間を省くことや種の節約に繋がる。この土なら1粒1粒しっかり育つだろう。全く無駄ではない。
 最後に笑えればいい・・・。


 色々勉強になった植木屋の仕事もほぼ終わり、今週からは(晴れて!)農業専業だ。
 (腰の)ストレッチしようっ

 

団粒土
2007年3月25日(日)
自然賛歌


 言い伝え通りで、ちょうどお彼岸から風が暖かくなった。
 ワクワクした気持ちが膨らんでゆく。
 
 太陽さん ありがとう

 北風さん さようなら
 長い間 ごくろうさん
 また いつか会おうね

 春風さん どうぞいらっしゃい
 ”ああなんだかいいきもち”
 長い冬が過ぎて 待ちに待った春が来た
              待ちに待って  
               春が来た

 15年経つが、この時期になるとつい口ずさんでしまう。
 僕はその頃人形劇団員で、イソップ童話「北風と太陽」をモチーフにした音楽劇風の作品を作った。物語の主人公、上着を脱いで、最後は丸裸になった子供(創作)がラストでこの自然賛歌のようなワルツを踊り歌いあげる。
 
 僕はその頃、CDを自主制作するほど曲作りが好きで、”日々の暮らし”をPCではなく弾き語りで(ボブ・ディラン調だといわれた)作った曲は100曲以上だけど、劇中のこの挿入歌が実は1番気に入っていた。
 だが、この作品は、たった3回の公演でポシャッてしまった。

 
 ”マスターベーションなんだよ”
 連夜の酒の席でよく突っこまれた。
 (お前のやることは自己満足に過ぎないという意味です)

 ・・かもしれないが、真っ直ぐな自己陶酔が、時には光を放ったりはしないだろうか。
 
 僕は今でも、そんなやり方しか、知らない・・・。

 その後、ボクサー、整体、資源リサイクルの仕事、林業、農業。
 人付き合いは得意ではない。
 その分自分の身体や自然と深く関わってきた、と思う。

 一番間近な自然物、”自分”にまず敬意を払おう。

 
 百姓は皆で一緒に賑やかにやるのが楽しいかもしれない。
 そういう人は多いと思う。
 1人より2人、2人より・・・ 能率も上がる。

 それは認めるけど、きっと僕はうまく出来ない。
 嘘はつけない。
 
 自然と向き合うことの出来る大切な時間を これからたっぷりと楽しもうと思っているから。

 
 

ノカンゾウ新芽
2007年3月21日(水)
デビュー


 大分寒さも緩んだので、娘を畑にデビューさせた。
 こかぶの種蒔きを一緒にやった。

 女の子でも外で泥んこになって遊ばせたい。
 
 お父ちゃんは毎日畑に行くのだから、これからは可能な限り連れて行きたい。
 蒔いた種は発芽して、成長していき、それをやがて収穫し、食べる。
 こういうことを小さいうちから目の当たりに感じさせたい。
 
 「いただきます」と心から言える子になってほしい。
 命の尊さ、日々刻みこまれていくような経験になることを願う。
 

優芽デビュー
2007年3月20日(火)
薪割り


 運んできた木を昨日早速割っておいた。半日かかった。
 もう水をたっぷりと含んでいるから早く割って乾かしておかないと今度の冬に使えないかもしれないので・・。命にかかわるので・・。
 昨日はたっぷりの薪に見とれて幸せな気分に浸っていたが、今日になって嫌なことを思い出した。
 ”確か去年も半日がかりで薪割りしたっけ、随分有ったと思ったけど1ヶ月しか持たなかったよなぁ。”

 今日もう1回戦。
 自分の借りている山へいき、去年手入れで倒した木から、適当なものを玉切って運んできてまたまた半日斧振りまくった。これで2か月分出来た計算。(まだ2か月分か・・)

 今年の冬は良く動いたせいか、現時点でベスト体重(65キロ)をキープしている。農閑期スキー場で過ごしていた去年は、72キロもあったからいよいよ農作業が本格化して体が重くて困った。
 今年はそういうことはないだろう代わりに脂肪のよろいが薄い分だけ寒さがこたえるというわけか・・・・・
 
 寒さがこたえるといえば、10年前の冬は今より10キロ軽い(スーパーバンタム級の)ウエートで試合に備えていた。あの時はほんとに骨身にしみたなぁ。
 そしてその頃モハメド・アリの真似をして薪割りトレーニングやってみたっけ。
 今なら良く分かる。ストレートを打ち込む時と薪割りの、インパクトの感覚が全く一緒だっていうことが。


まきわり
2007年3月18日(日)
人のつながり


 50歳を過ぎて新規就農、無農薬のお米を作られている内田さんの計らいで、小諸市で長年自然農をされている美斎津さんのところに来年用の薪を取りに行く。
 
 美斎津さんが近所で頼まれた
胡桃の伐採を代わりにさせてもらって、その木は蒔用に持ち帰るということで。

 どれも直径50センチ以上の3本の大木。電線に架からぬように伐倒!(腕は鈍っていなかった!!)
 間切った材を軽トラックいっぱいに積んで帰ってきた。

 来冬こそ薪をケチらずあったか〜く過ごせるように、今のうちにたくさん集めておきたい、ちょうどそう思っていた時のお話。ありがたいことです。

 
 その他今年もいろんな方に、稲藁、米ぬか、鍬、おから、廃材、廃トタン、鎌・・ありがたいものたくさん頂きました。人のつながりに感謝です。
 

ハスク チェーンソー
2007年3月17日(土)
感性農業


 突風の吹きすさぶ午後、こかぶを蒔いていると近くの果樹農家が農薬散布を始めたので「うわっ」と思い、引き上げようと思ったが、風が逆だったのでこっちには来なくて助かった。・・と風の流れるすぐ先には1軒の家。庭先に子供用の服がたくさん干してある・・。
 
 僕も以前住んでいたアパートの隣が果樹畑でしょっちゅう農薬散布。洗濯物は真黄色になることもあって、その頃いわゆる慣行農業にとても不快感、憎しみさえ覚えていた。
 
 せめて早朝や風の無い日にすればいいのだが、農業を取りまく劣悪な環境が、農家の余裕を奪い、他への配慮を奪い、こんな恐ろしい状況をつくりだしているのだろう。

  カッパ、マスク・・完全防備のこの人。それでもきっとかなり険しい顔で撒いているのは容易に想像がつく。苦渋の思い。”出来るものならやめたい・・・”

 ・・農薬なんてみんなやめてしまえばいい。
 傷ついた、虫食った、点々のある、小さい、変な形の林檎。
 ・・消費者が歩み寄ってはくれないだろうか。
 ”傷ひとつ無い”なんてない。大きさを揃える必要なんてない。”1年中同じもの”なんてない。山のようにどっさり採れない。食べ物を作ることは、人間の営みの中で最も重要なことだ(大変なことだ)。大切に食べよう・・。
 
 農家は非農家を思いやり、消費者は生産者を盛り立てて・・・。

 そんな時代が来ることを願っている。

 ・・・・・
 
 ”理念や理想だけで飯は食えねえぞ”
 先輩に言われた重みのある一言。
 ・・さて今の現実の問題!頭でっかちになるのはいやだ。営農もうまくやりたい。

 僕も農薬を撒いたことがある。勤めていた農業法人で、仕事だから・・。食うために・・。 
 昼間のおじさんのように・・・。
 
 そのときの嫌な気持ち・・2度と触れるもんかと思った。

 何故自然農なのか。職業として農業を選んだ僕が・・。
 答え・・・自分の感性の声に従って。
 拍子抜けするようだが、そんなかんじ。心地よさというのか・・。

 ところで、今日蒔いたこかぶは、不繊布で覆った。保温&発芽後の霜よけに。
 大事に使っても何年後かに不燃ごみになる。自然素材ではない。罪悪感はないか?

 では育苗のためのビニールハウス、これはいいのか?営農のため?
 それならビニールマルチ張れば早期出荷と収量アップ間違いなしだぞ!そこまでやるならトラクター貸すぞ。堆肥入れろ!いっそ化学肥料入れろ!!・・・食えるぞ!!

 ゴミの問題やら、有機栽培や自然栽培で営農を目指す人たちは皆ジレンマに直面すると思う。ではその解決法、そして線引きはいかに・・・。

 不自然性極まりないともいわれる”農業”において、線(ライン)をどこに置くかは又拍子抜けするようだが、結局各々の感性がものを言うのだろう。同時に生活者としてのバランスを保つのも感性だと思う。
 少なくとも僕は理念や、取り決めと照らし合わせようとは思わない。
 
 信じているから、自分という人間のなかの感性を。


農薬散布
2007年3月15日(木)
寒の戻り


 今年は「三寒四温」というのは当てはまらないようで・・・。
 
 やっぱりだまされてしまった。あんなに暖かい日が続いていたから。
 あのまま春が来て良かろうはずも無いけれど、あのまま春になると信じたわけじゃないけれど、今になってこんなに寒い日が続くとは思ってなかった。心と体が油断してた。つらいつらい
 
 
 今日も又薪を集めて持ち帰り、冷蔵庫より冷え込んだ部屋で薪ストーブを焚く。どかどか薪を突っ込んでやっと一息入れる。
やれやれ。
 も束の間
 「今度は(薪)いつまで持つかなぁ。」なんとも心細くなる。
 
 「早くあったかくなんないかなあ。」
 なんて言いながら天気予報を見ると、あ〜あまだしばらく寒そう。
 
 「寝よう、寝よう。」夜更かしは止めだ。今日は9時就寝。

 
 

薪ストーブ
2007年3月12日(月)
トマト蒔いた


 3年間自家採種した「アロイトマト」の播種。
 同じく自家採種を続けている「八丈オクラ」、「黒もちとうもろこし」と並んで特に思い入れが強い。

 期待は大きい。種が気候や栽培方法にあってきたと感じた昨年の成果に少しは自信を持っていいんじゃないかと思う。

 とはいえ、不安も十分。
 発芽さえ確実とはいえない。育苗中の温度管理、我が家の育苗施設でどんなに頑張っても本等に書いてあるような生育適正温度を保つことは出来ないし、1つ間違えば、凍死、枯死してしまうだろう。
 5月の植え付け後の渇水。ここは全国でも有数の少雨地域で毎年5月にはほとんど雨が降らない。ほぼ間違いなく・・・。
 収穫まで幾多の困難が待ち受けているのは分かっているが、生命力を信じて待つしかない。
 ・・手を出しすぎず。時にはフォローを適切に・・・。

 期待と不安、わが娘の未来を案ずるごとく。

トマト播種
2007年3月10日(土)
克服


 植木屋で働き始めた時、本当に不安だった。
子供の頃から自他共に認める高所恐怖症の僕に果たして植木屋はつとまるのか、と。

 三脚の上に立つと血の気が引いた。気が遠くなりかけた。最初の1週間ほんとに怖かった。でも辞めようとは思わなかった。”これは越えなくてはいけないかべ”だと自分に言い聞かせた。もうすぐ植木屋の仕事も終わりに近づいて今、「完全に克服した」といえる。

 生きているものには”慣れる”という習性がある。
 やる気(その気)になれば大概のことは出来るのかもしれない。
 世の中に怖いものなんてそんなに無いんじゃないか、と思う。

 肝心なのは、人生に目的をしっかり持つ、ということ。
 「目的が定まればきっとうまくいく」 は川口さんの言葉。
 困難な道のりも、遠回りしながらでも、大石内蔵助みたいに、軸を失わず、僕は生きよう。

庭木手入れ
2007年3月4日(日)
大変な年


 農家の人達が口々に言っている。
 「今年は大変な年になるぞ」
 暖冬の影響による水不足、虫害などを危惧している。
 
 僕は先の心配をするのは好きじゃないが、あまりにも暖かいのでかなり信憑性が出てきた。

 標高2500メートル超の浅間山山頂付近の雪も溶けている。
 
 皆農薬代がかかることを憂えているようだ。
 じゃんじゃん蒔くことになるんだろうか。農薬がじゃんじゃん売れて農協は1人勝ちするんだろうか。そしてスーパーにはいつも通りのきれいな商品が並ぶんだろうか。

 自然農は、変わらない、いつも。
 この暖冬が、人間の行為が招いた人間にとってのよからぬ現象だとしても、自然は自然。それもこれも自然そのものなのだから・・・僕は出来るだけ寄り添って。
 覚悟を決めよう。もしかしたら野菜が、本当にうまくできないかもしれない。
 それでも、恨むまい。悔やむまい。

 

浅間山雪解け
2007年3月2日(金)
落ち葉集め

 「このへんは落ち葉がなくて・・・」前に静岡で有機農業をされている方から聞いてびっくりしたことがある。
 あの辺りでは常緑樹が主体で落葉樹はあまり無いそうだ。それに比べて、長野県、何という幸せ。落ち葉集めはあっという間、何の苦労もいらない。
 ここは寒冷地の厳しさもある反面、いいところも結構あるよな、と最近よく思う。

 集めた落ち葉を今日踏み込んだ(踏み込み温床)。温度が上がれば夏野菜の苗づくりが始まる。いよいよ本格的にシーズン・インだ。

 
 
落ち葉集め
2007年2月27日(火)
死生観


 曾おばあちゃんがなくなった日のことを良く覚えている。
 東海道線の先頭車両に乗って会いに行った。良く晴れた日だった。(中抜け)夜皆でお茶を飲んでいて、飲んだお茶にむせて止まらなくなり、お医者さんを呼び
寄せた。(後抜け)
 ・・・
 その日のうちに亡くなった。次に見た曾おばあちゃんは、仏壇の上の写真だった。
 そのとき僕は1才11ヶ月だった。当たり前だけどまったく悲しいと思わなかった。

 誰に教わったのか、死後”天国”という幸せのイメージ。これを僕は人1倍強く持って・・ 額縁の中の曾おばあちゃんは幸せそうにしか見えなかった。

 娘の優芽1才7ヶ月。亡くなったおじいちゃんの仏壇の上でおまんじゅうを繰り返し積み替えている。
 
 死がいつからか悲しくなるのだろうか。

 友達が死んだ時、少し寂しかったけど悲しくなかった。何か大きなものに呼び寄せられたんだと感じた。呼んでもらえたえた友に憧れを持った。
 
 僕のイメージ”天国”は漠然としてはいるけど明確でもある。言葉を付けるなら”許し、開放、自由”かな。
 自分から死のうと思ったことは無いけど、死を「怖い」とか「悲しい」と思ったことも無い。

 
 人から情が薄いと言われることもある
 ・・・。僕は死を肯定的に考えているだけ
なのに

 夕方自然農の畑にいる時、ときどきノスタルジックな気分に胸を締め付けられるのは何なんだろう。
 そしてそれは、体中がゾクゾクしてきて”天職だ!”と思う瞬間・・・。

 生と死の歴史の重なり。今僕は天国のイメージを自然農の畑に重ね合わせているのかもしれない。
 天国にいる夢。
 
 

夕景
2007年2月26日(月)
ケール恐るべし


 昨日の日記の翌日の偶然!!
 野草化した野菜を近所のおばさんが見せてくれた。
 その名は「ケール」 僕はよく知らず”青汁の成分”という認識しかなかったが、初めて見てあまりの逞しさにビックリ!
 
 3年間この庭の1角に陣取って、冬も全然平気で年々巨大化していく様、「毎日食べているけどね!」おばさんとっても誇らしげだ。これかぁ、おばさんの元気の源は。
 
 その時、足元にうようよとこぼれ種から芽が出ているのを発見。こういうときは躊躇せず「これください。」   ・・・抜け目なし

 頂いて持ち帰った小さなケールの苗、畑にポンポン植えてって、さあ生え抜きの野草たちと勝負。活着さえうまくいけば底力出して・・・この戦いはかなり”ハイレベル”。


 こんな”躍動”?を、あっちでもこっちでも・・・。
 今日もう1枚畑借りることが出来て、あっちこっちに6枚の畑、約6反部(6000u)まで増えてきました。大変だ!
 

 

ケール3歳
2007年2月25日(日)
四季の山菜


 ナズナのお浸し。何て美味。
 今度はギシギシ食べてみよう。

 山菜や野草の図鑑を調べて採ってきては食べている。
 年々レパートリーが増えている。何かあって食糧危機が来ても知っていれば大丈夫、生きていける。
 実際その辺の草もケッコー食べられる。ケッコーいける。
 
 ちなみに去年のヒットはクローバー、お浸しで。甘みがあっておいしくてビックリ。
他には葛の新芽、ニリンソウ、あとヨモギの天ぷらはかなりうまい。

 言ってみれば自然農の栽培って野菜を自然の野草に近づけていくやり方。”生命力の強い野菜を”って。
 
 元々人間の口に合うように野草が野菜に改良されてきたようだけど、野草が、山菜がおいしければコレを食べない手はないと思う。進化の果てに軟弱になった野菜がもてはやされ今世を席巻していることに疑問を抱くと同時に、そんな(風変わりといわれるけど・・)人が増えて欲しいと思う。

 野菜の端境期といわれる冬から春、ビニールハウスやビニールトンネル無くっても食べられるものは結構あるんですよ。もっと体に良いもので。

山菜、野草図鑑
2007年2月21日(水)
越冬


 春の陽光がとても心地良い。もうこれからはたまらなく寒い、なんていうことも無いだろう。
 
 黄緑のような春の色、畑に充満している。
 
 ”越冬したね、おめでとう”畑の中グルグルと声をかけて回る。
 取り込まず藁で軽く覆っただけのかぶや人参。畑でたくましく冬を越した。じっくりと甘味を増しているに違いない。
 
 暖冬とはいえ信州の冬は寒いから、春を待ち焦がれるのは皆同じ。

 かぶも人参も小松菜もほうれん草も、野菜より一歩先を行く草達も、もそもそと歩き始めた虫たちも・・いたるところ喜びの声が飛び交っていたのを僕は聞き逃さなかった。
 

冬越し人参
2007年2月17日(土)
今を精一杯


 だらしのない、けじめのない、そんな僕にとても厳しい人だった。自分にも、他人にもものすごく厳しい。何をするときも決して手を抜かなかった。いつも精一杯生きていた。
 
 畑の草を許さなかった。1週間朝から晩まで抜き続けていた。
 山歩きはとうとう最後までかなわなかった。山菜採り、植木いじりが好きだった。
 孫が生まれたとき、心から笑いかけてくれた。植木屋になった、と言ったときも笑ってくれた。

 伝説的な義父の話、お通夜の後大工仲間の人がたくさん教えてくれた。
  
 アスベスト吸入による中皮種。早過ぎる死、理不尽な死、悔しい・・・。
 
 でもお父さんは、最後まで屈しなかった。背筋をまっすぐに伸ばそうとした。男の生き様を強烈に示してくれた。

 

今は蕾(梅)
2007年2月12日(月)
家族旅行のような・・神戸泊


 10日、カミさんが主役をしている人形劇の上演が芦屋であり、僕は運転手兼子守り役で急遽駆り出され、おかげで寒い長野を脱出し(昨日雪が降った 寒かったと植木の親方が今日鼻声で言っていた)、昔の仲間と再会し、頑張ってるなと刺激され、メールだけで通じていた野菜のお客さんに初めてお会い出来、娘と水族館へ行ったりして遊び、夜景を眺め、朝陽を拝み、大都会の真ん中で土付きズボンと首タオルのイデタチだけど気分はすっかりおのぼりさん。気温の高さもあいまってボーとしたまま我を忘れて2日間すごしました。”家族旅行”って子供が生まれてから、また百姓になってからしていなかった。
これは劇団に感謝です。考えてみれば優芽もこの劇団なくしてこの世に誕生していないんだよなぁ


都会の眺望
2007年2月7日(水)
ふきっ玉


 知っているうちで最も標高が低く、日当たりのいい群生地で早くもピークを迎えていた。
 あっちこっちで薄いグリーンの真ん丸い玉がぽっこり顔をだしている。”ふきっ玉”という呼び方が好き。
 ここで毎年たった1人でする恒例行事ー摘みとったふきっ玉、皮を向いてかじってみる。・・・口の中にじわーと広がるなんともいえないほろ苦さ。
 それは目覚まし時計。心と体が春の訪れに感応する。ここ何年か僕の生活の中で、1年で1番大切で嬉しい日。生きているって実感する日。
 

ふきっ玉
2007年2月4日(日)
初(てんてこまいの)蒔き


 今まで、種蒔きは育苗3月〜、路地は4月〜と決めていたけど、あまりにも暖かい日が続き、天気予報で調べるとこれからもずっと温かそう。
 
 「よし!」と決断して不繊布を買ってきた。少しでも早く待ってくれている人の下へ届けたい、という思いが大きい。熱い思いだ。昨日風邪を引いて熱があったせいかもしれない。とにかく自分の脳がゴーサインを出した。ホウレンソウの種を水につけて、寝た。
 ここまでが昨日の話。
  
 さて、今日は朝から喉が痛い、頭いたい、くしゃみが止まらない。更に、なんてことだ、外は北風ぴゅーぴゅー吹きまくってるじゃないか!なにが「あたたかくなります」だ!
 
 天気予報はあくまで予報で・・・、こんなにも外れるものか、と信州に住むようになってよく思う。山に囲まれてるせいらしい。
 とにかく浸水した種のためにも蒔かなきゃいけない。又明日から植木屋。1週間は延ばせない。

 午後になってようやく畑に立つ。午後2時でー1度。それ以上に風の強さが半端じゃない。
 それでも土は中の方まで柔らかい。これはとても今が2月初旬とは信じられない。
 無事蒔き終えて保温のための不繊布登場!

 まずは、広げて「うわっ」突風。はさみで切ってて突風。端を押さえていると突風。ぜんぶまくれあがってやりなおし。そこで突風今度は飛ばされて、僕はあせって追いかける。日曜日国道沿いの畑でいい見世物だ。・・「しゃらくせえパオパオ(不繊布)め!」 叫ぶ。今日の作業を後悔する。・・・
 
 ・・・気を取り直して、涙と鼻水で顔をべちょべちょにしながらも日暮れまでには何とか作業終了ふらふらになって帰ってきた。

 果たして今日流した涙、実を結ぶのでしょうか・・・。
 

on保温資材
2007年2月2日(金)
都会と田舎で


 また観測史上初か。
 12月と1月、標高1000メートルの軽井沢でも真冬日(最高気温が氷点下)は1日しかなかったという。
 この”観測史上初”というあまり気味の良くない言葉をよく聞くようになった。

 悲観していう訳ではないけど・・・、今地球は人間が、”君臨”していて、君臨している人間は嘗ての恐竜みたいに絶滅する日がきっといつか来るんだろう。

 ・・・・
 
 懐かしい東京、”環七”がテレビに流れた。付近では車の排出する公害で喘息に苦しむ人がいる。生死をかけて、涙ながらに訴えていた。”環境問題”を切実な現実の問題として。

 田舎の人にとってはどうだろうか。人口密度が低く、水と空気がきれいな田舎であの映像を見ても”他人事”と思う人が多いと思う。
 ”どんどん人がやって来て、経済が発展して、雇用が増大して、便利で住みよい街づくり”と皆願っている。生きていくために。

 人間だって、努力してきた。爺さん達、親父達だって生きるために必死で頑張ってきた。人間は頑張って発展した。科学の発達、医学の発達すごいじゃないか。
 そして今、多くの人が危機意識を持って取り組んでいる。種の延命に向けて。

 ・・きれいな環境で生命力のある野菜作り、それが都会から逃げ出した自分の今出来ること。
 作物を都会までお送りする。「おいしい」と食べていただいて・・・都会の生活の中、そう言っているのは多分皆様の生存本能なのかもしれない。

 そして皆様に田舎での暮らしを支えていただき、生きている自分がいる。


 

暖冬記事
2007年1月26日(金)
暖冬


 いくら木の上で寒風にまともにさらされていても、今年は暖かいと思う。
 今日は、庭木の手入れをしながらびっしょりと汗をかいた。

 去年ひと冬スキー場で過ごして、−17度!なんていう所にいて寒さに対する抵抗力がついたせいもあるかもしれない。冬つらくないなんて珍しい。

 大雪が降ってから3週間、その後は晴天続きで、根雪になると思っていた畑の雪もかなり溶けている。
 所々に顔を出している、毎日少しだけ採ってきて食べる小松菜が絶品だ。寒さに対して糖を身に纏っている、小さな葉にキラキラとエネルギーが凝縮しているのが感じられて感動的だ。1番寒いこの時期に畑で毎日収穫できるのも暖冬だからだろうか。

 冬に備えてビニールやその他保温資材の利用も考えていた。出来るだけ出荷や自給の切れ目を作りたくないから。
 新たな可能性が開けるかもしれない・・。でもきっとそれをしたらこの清々とした感動はなかったと思う。

 大寒も過ぎて春の足音がはっきりと聞こえてきた。このまますぐに春突入・・とさえ思う。
 年間を通した野菜作りには向かないといわれる寒冷地ではあっても、この自然農の畑には宝物が詰まっている。今年の暖冬がそのことをはっきりと気づかせてくれた。
 

青空と雪解け
2007年1月21日(日)
味噌作り


 前日から浸水した4リットルの豆を薪ストーブの上で3時間ほど煮詰め、柔らかくなったものをすりこぎで潰し、麹、塩と混ぜ込んで、玉にして、樽に投げ入れ、塩をふり、重しをしたらふたをする。もう3年目だから大分要領がつかめた。
 これで12キロ(1月1キロとして1年分)の味噌仕込み完了。
 この行程で大変なのが、大豆を手作業ですり潰すところ、あまりきれいにいかないけど、それでかえって豆の形が残ってて、それが子供の好物だったりして、そこがみその手前味噌づくり。今年は苦労することもなく、まるっきり大雑把にやってみた。
 今は何でも本やネットで調べられたり、世の中便利だけど、マニュアルを離れた先に自給自足の喜びがあるのだと思う。さあ次は酒(どぶろく)だ。

大豆煮込み
2007年1月19日(金)
ハウスハズバンド


 「別にそんなに力むことないでしょ。織りの内職精出すわ。子どもの世話お願い。」
 今日はカミさん朝から織りに没頭している。
 

 さてどうしよう。まず「いないいないばあ」「おかあさんといっしょ」。あまりテレビは見せたくないけど、これだけは優芽、絶対譲らない。相当はまっているらしい。
 僕もそそのかされて踊ってみせる。人形や、体操のお兄さんに合わせて(といってもでたらめに)歌う、踊る。

 無精ひげの汚いオヤジも人の親。娘が喜ぶとなれば歌います!!踊ります!!”パワーアップ体操”喉をからして。息を切らせて。
 
 そのままパワーが切れてそのあとが長いこと・・・。外に出て雪だるまの補修、滑り台、お散歩、お昼をはさんでお絵かき、絵本読み、積み木遊び・・・。次から次へ気が移る。ついていくのに精一杯。もうくたくた。

 「つかれた〜」
 今まで1日1人で(おっぱいを除く)子守はしたこと無かった。世のお母様方毎日毎日大変だ。ごくろうさま。
 
 でも今日の寝顔いつもに増してかわいい。疲れたけど、精一杯やった。その充実感もある。
 「うん、しあわせだ。疲れたけど楽しかった。」
 「そう、じゃあしばらくこれでいいわ。わたしがんばるし。」

 で、ジョン・レノンみたいに”ハウスハズバンド宣言”。

優芽と母
2007年1月15日(月)
家族を養う


 7日に降った雪が溶けず植木の手入れの仕事は再開せず、未だ長い正月休みである。
 この間単発日雇い仕事に2日出て、僅かな小銭を頂いたけど、我が家は、いよいよいけない。
 もう今は販売するだけの野菜は無い。春までの自家消費分を確保するのでいっぱいいっぱいかもしれない。

 逼迫した家計をここでわざわざいうこともないが、自分を奮い立たせるために書いている。年の初めになんとも情けないようだが・・・。

 理想と現実。もう何のかんの言ってられない。
 今月末から、牛乳配達を早朝にやることは決まった。
 早起きは3文の得というし・・・。
 
 ”銭金”から出演の打診が来た。出てみるか、”牛乳屋さんビンボー”
 
 もちろん本業は農業。販売農家。商売だ。それを自然農でやっている。
 
 養わなくちゃいけない、大切な家族を。
 農業一本では無理なら他に仕事を・・・。食わせるために。破産する前に・・・。

 前に書いた(愛読書だった)「脳内革命」の著者が、破産宣告したらしい。まったく縁起でもない。550万部の大ベストセラーの著者だ。印税で6億円入ったともいわれている、・・のに。

 ・・・まったく関係の無い話。僕は儲けたくもないし、買い物や遊ぶことも好きじゃない。
 日々家族が質素に暮らせるだけのお金があればそれでいい。

 「それならできる。難しくない。」と口にだして言ってみる。いや違うぞ。
 
 「やるしかない。」 ただそれだけ。



 

 追記
 NHKの「ザ・プロフェッショナル」。12月に放映された、自然農法のりんご農家、木村秋則さんの回のやつ、どなたかビデオ撮っていましたら貸してください。観たいです。
 以前本で木村さんについての紹介の記事を読んで知っていたので、忙しかったし、(意地も張って)観なかったのですが、あまりにも皆が「良かった、良かった」というので、その映像から滲み出る(らしい)木村さんのオーラに触れてみたくなった次第です。宜しくお願いします。・・・まあほとんどあきらめていますが。
 

ソラマメ越冬中
2007年1月10日(水)
春を待つ

 
 
畑一面の雪は、溶けることなく固くしまってきた。
 ”根雪”はその下で越冬する無数の生命・・ホウレンソウや小松菜などの作物、冬の草草、虫達等に休息と新たな活力を与えてくれる。そして新たな生命の源・・種を卵を守り、潤す。人知れずに。
 
 厳寒の1日。真っ白な静寂
につつまれている。
 鳥が、2羽、3羽・・やってきて凍みついてしぼんだ柿を食べつくした。

 ・・・
 しばらくそこにたたずんでいた。時間が止まったような感じがした。目の前で、僅かに膨らみ春への準備を着々と整えている桜の木の芽に気づくまでは。
 
 ・・・
 この中で感傷に浸っいるのはオレだけだ。と思った。
 出遅れないように、乗り損ねないように、心と体、頭の中も整理して、しっかり準備しておかないと。
 

 

桜の芽
2007年1月7日(日)
雪篭り


 朝から降り出した雪が、あっという間に積もった。かなりの大雪。
 結局夕方まで止まず、あたりはすっかり銀世界。
 これでもう、しばらく畑は無理だし、植木屋も出来ないかもしれない。
 
 パチパチッ・・・・パチパチッ・・(薪ストーブの音)
 用が無い。出かける必要なんて無い。一歩も外に出なかったなんて、ほとんど記憶に無い。でも今日はそれが、すごく新鮮で心地よかった。
 
 ”引きこもり”にならないように気をつけなくっちゃ。

軽トラ出動せず
2007年1月1日(月)
あけましておめでとうございます


 良い年になりますように”。

浅間山仰ぐ