逃した魚はデカかった SANYO PH-WCD850





 私のゼネラルオーディオに対する持論のひとつに、「ラジカセだって本当は、スピーカー分離型の方が『箱鳴り』しないぶん 音質面で有利」、という動かしがたい現実がある。

 これは『CDラジカセ』と聞けば どこかキンミライを予感さす 宇宙船のごときデザインを、または ビクターのCMにデザインモチーフとして登場したイルカやクジラのごとき伸びやかな一体成形フォルムを思い描く自分にとっては認めたくない『不都合な真実』でもある。というのも、コンポの外見を真似たラジカセは、往々にして見た目がフォーマル過ぎて、ギミックを愛でる系のオーディオとしては どこか物足りなく、少々面白味に欠けてしまうデザインだったからだ。

 高校の頃、自転車で行ける距離に、今でいうホームセンターの はしり のようなディスカウントショップがあって、奥へ入ると照明を最小限に落とした薄暗い店内に、当時の世相を反映した高級ラジカセが、電源入らない状態でホコリよけのラッピングを施され、無造作に並んでいた。

 その陳列棚の中に、およそラジカセらしからぬラジカセ? が混じっていた。先輩の家で CDコンポなら見慣れていた私でも、スピーカーが着脱可能なCDラジカセ? というのは はじめて見た。後述するが、私がそうであったように、店員も、その見た目で本機を置くべきカテゴリを間違えていたようだ。外観は一見コンポのようだが近づくとラジカセ風味、持ち運びにも便利なようにハンドルが付いている。ではラジカセか? というと 乾電池駆動でも無さそーだし、やっぱり大分類的には、コンポ? と、首をかしげつ その時は別な目的で来てたから、カタログだけを手に取って その場を離れたのだった。サンヨーの、おそらくPH-WCD850型、もしくは その一つ前のPH-WCD800型だったと思われる。

 しかしそれでも結局、当時私が遣りたかったこと(ゲーム音楽のフェーダー録音 with ノイズリダクション)の出来るラジカセは松下製くらいしかモノが無く、だから当時買えもしないのに眺めていたビクター・シャープ・サンヨー・ソニー・アイワといったカタログは私にとっては二番手三番手、「あー 松下の(RX-)DT9が欲しー。でも後発のDT7と比べると、角張らせたかったのか丸み付けたかったのか、どちらともつかない意匠が ちょっとね〜〜そもそもDT7にレベル調整機能は無い → 待ちか? 待ちなのか?? 」・・・などと、コンポやスピーカー分離型ラジカセには目もくれなかったのである。当然その時貰ってきたカタログにも ろくすっぽ目を通してなかったと思う。

 しかしそれだと私と本機との接点は そこでオシマイだったはずだが、そうならなかった。その後社会人となり、今度は職場の半導体工場で、私はその種のラジカセ? と再び対面することになる。

 職場の開発部門や設計部門、品質保証部のフロアを歩いていると、計測機器に混じって供給先メーカーのテレビやビデオ・コンポ・ラジカセ等がラックに満載された並びがあって、それらの機器は、しばしば裏のキャビネットや天板が取り外され、いろんな配線がICソケットやマイコン、テンキー、オシロなどを介した評価基板へと繋がっていた。

 そんな所にあったのが、ラジカセ用ICの評価にビクターのRC-X750型と松下のRX-DT707型が、コンポの評価用にはソニーやケンウッド、パイオニアのシステムコンポが(興味無かったので型番失念。アイワの『CD三昧(ざんまい)』だけは、どぎつい蛍光色のステッカーで覚えている)。そして持ち出し用として、かつてディスカウントショップで見かけたPH-WCD850型と その後釜 PH-Z300型が控えていた。

 これは、ラジオ局で 視聴者が実際に聴く音の確認に使われていたのがソニーのZS-F1型や同M5型であるなら、音響エンジニアのベテランが、ICの特性評価やエージング試験に加え、音にうるさい音響メーカーの顧客をデモンストレーションで唸らせるために採用したのが、このPH-WCD850型や、同Z300型だったことになる。

 さて、では、そんな使われ方をしていた機器の実力やいかに? と、興味が沸いたのは、震災を機にその半導体メーカーをリストラされた後の話だが、島流し先でホコリ被っていたPH-WCD850型(もちろん中古)を見つけて入手、聴いてみた時の第一印象は、「・・・コレが本当にAMラジオの音なのか? 」と、思わずファンクションを確認してしまうほど、私が今まで聴いてきたデザイン/ギミック優先の 中高生向けラジカセとは一線を画す音質であった。メーカーが、製造原価の範疇で、箱鳴りや共振を気にせず設計できた『造りの余裕』のようなものを感じた。

 そして思い出した。中学の音楽の先生が言うには、「合唱に限らず音楽は、まず土台として男子の低音部に しっかり支えられて はじめて、その上に乗っかる女子の声が活きてくるんですネ(だから男子、もうちょっと声を出せー)」とのことだった。私もそれから二十余年経って、その先生が言わんとしていたことを理解した。そして、なぜに当時のラジカセメーカーが こぞって重低再生に重きを置いていたのかの理由もわかる気がした。小口径スピーカーを 普通にマウントしただけでは なかなか再現の難しい音域だったからだ。本機は特に奇をてらわないベーシックな造り、そして着脱型スピーカーも これまた一般的なバスレフ方式。ただし要となるスピーカー部は、ウーハーとミッドハイ、そしてツィーターの6スピーカー構成である。また、内部線材に電気の通りの良い無酸素銅線採用がセールスポイントたりえた頃は、ドンガラの素材にも各社こだわりがあった。前述の松下RX-DT9は、ドンガラに『パナテトラ』と呼ばれるウィスカー材が添加されている(ウィスカーは、当時の釣り具にも使われており、新素材と目されたカーボンリールの『足が折れる』トラブルを受けてモデルチェンジされた強化樹脂の位置づけ)。本機のスピーカーBOXの素材にはカルプ材が添加されている。プラ成形してる人じゃなきゃピンとこないかも知れないが、ラジカセが3980円までコモディティ化してしまった今では ちょっと考えられないほど さり気に贅沢だった。それもそのはず、本体裏を見ると、ラジカセではなく『コンポ』と書いてある。メーカーは本機をコンポの土俵で造っていた。



 不思議なことに、低音は、ただ出りゃーいいだろってモノでもない。一時期パソコン用の外付けスピーカーとして使っていたB○SEの『madia mate』は、あらゆる特許で固められ、オートラウドネス相当機能に 便利なミキサーやヘッドホン端子も付いた、小さくても重低音がウリの高性能スピーカーだったのだが、自分はどうもこの音は『聴き疲れ』してしまい、我慢しながら半年使うも結局手放してしまった。本機のスピーカーに戻して、何が違うか説明つかないが「ホッとした」覚えがある。この辺はどちらが良い悪いではなく ひとえに好みの問題だし、私もB○SEの音造りは、忠実度からは最も遠いところにあるメーカーのひとつと知ってたうえで嫌いじゃなかったのだが・・・(おそらくイベント会場などで良く採用されていた事によるブランドイメージ)。

 しかし結構気に入ったのも つかの間、私は本機と長くは居られなかった。メンテしたくメーカーからベルト類まで取り寄せ、部屋に展開図よろしく部品とネジ類並べて放置していたその時に突如の転勤命令がくだり、時間内には元に戻せる気がせずに泣く泣く廃棄してしまったのである。せっかくスピーカーは単体でも使えるようになっていたのだし、あれだけでも残しておくべきだったか? 否、あの引っ越しの時は、ノートPCに繋いでたソニーのゴルフボール大スピーカーさえ目障りに感じ捨ててしまったほどだから、それは無理だったろう。引っ越し終わってみれば「あー何で一時のパニックで捨ててしまったんだ・・・」と、後悔しても もう遅い。そして その時ガックリ来てしまったのを境に、私の趣味のオーディオは今や すっかりフェードアウトしてしまった。今、政治中枢の食うに困らぬ無責任な人たちは「雇用の流動化」「解雇しやすい(されやすい)」社会の実現をめざす などと まるでヒトを部品か何かのように思ってそうな感じだが、だがそれで自分の家や倉を持てない人々を さらに増やすような政策は、その時だけは良くっても、結局『焼き畑』みたいなもので、中長期的にはますます経済を冷え込ませ、民衆を不幸にするだけではないのか?

 郷里の家電量販店が輝いていた頃に比べ、すっかり売り物を無くし ジリ貧に陥ってしまった国内オーディオメーカーは、近年 かつてソコソコ売れた商品のリバイバルや、一度は消滅したブランドの復刻など、ショボいラジカセには見向きもしない購買層の需要を喚起すべくアプローチを試みてはいるようだ。

 しかし、そうして出してくれる単品コンポーネント/システムコンポーネント製品群がいかに『Hi-Fi』『ハイレゾ』『ブルーツス』等々を謳ってても、残念ながら現時点の私は どうにも食指が動かない。それは別に“酸っぱいブドウ”なワケじゃなく『一式揃えられるだけの現金は用意できるが てんで買う気が起こらない』のだ。理由は二つ。

 リストラと、それにともなう引っ越しだ。

 自分の実質賃金が非正規雇用とさして変わらないことに、そして ちょうど年功序列と成果主義との切り替え時期でどちらの恩恵も受けられないことに愕然としてからは、いかに趣味にはカネをかけてた私とて、もうそれほど無い袖は振れなくなってしまった。それでいて政府はデフレ脱却を目指し、物価を上げて喜んでいる。また、モジュール交換を前提に造られてはいない 古いラジカセの性能を維持し続けるには、相応の時間と手間とカネがかかる。今やビンテージオーディオを愛でることさえ、多くの人から見れば『小金持ちの道楽?』と 受け取られかねない事態だ。

 さらに、引っ越しのたびに裏の配線を繋いで外してを繰り返していると(都合13回)、そのうち単品オーディオは勿論のこと、システムコンポのフラットケーブルの着脱(相部屋のソニーやケンウッド製)さえもがウンザリでイヤになってしまう。かといって、ひとたび本格的なスピーカーの音に慣れてしまえば、いかに高級ラジカセいえどもメカとスピーカーを一つのドンガラに収めた一体成形型の音質では やはりケチがつく。

 ということは、このテの『取っ手が付いて、スピーカーの着脱可能なラジカセ型コンポ』は、『見た目のフォーマルさ』と『ギミックの弱さ』など、我慢するところを我慢すれば、私のような転勤族には非常に有効な選択肢だったことに遅まきながら気づいた。

 それで私は もう一度、今あるラジカセコレクションの、何台かの お気に入りを除いてあとは すべて手放してでも、この種のラジカセ型コンポが欲しくなった。8万円といわず18万円でも欲しい。今さらカセット付きにというほど私も懐古趣味者ではない(付いてたら褒めるが必須ではない)。もっとも、どこのメーカーも今そういうのは造っておらず(?)実現していない。

 ところで、ではなぜ一時期各社こぞって出してたコンポ型ラジカセには目もくれず、私は本機のようなラジカセ型コンポを特に望んでいるのか? 単に不運な経緯で“逃がした魚”を大きく思っているだけか? 否、 あながち それだけでも無いはずだ。

1:まず、6スピーカーともなれば、ラジカセ型でも見た目が豪勢な点が挙げられる。もしフルレンジスピーカー単体で同様の音を出せるなら、それはそれで部品点数の削減にも繋がり結構なことではあるだろう。それでも私は あえて多少値段が上がっても、6スピーカーの見た目が欲しいのだ。

2:次に、スピーカーBOXの寸法が、本体のそれと ほぼツライチな点も大きい。なぜなら 昨今の、カセットやMD部が無くなり ほとんどCD+アンプだけのスッキリし過ぎなコンポは、スピーカーとメカとの体積差がチクハグで うら寂しいからだ(最近のコンポしか知らない若い方なら、今のが普通で何ら不満は無いのだろうか?)

 その点 本機は最初から、スピーカーが横に長いので-もちろん置き場は考えなければならないが-本体の積み木が減ったがために、存在感がスピーカーに負けている今のコンポの見た目より、デザイン的にはバランスが取れている。取っ手持ったときの印象は、フロントの方が重くて前のめりになり、重量バランスは決して良くなかったが、それでも常時手に持って鳴らす機種ではないのだし、そこは別に構わない。
 
3:阪神大震災20年の節目の番組によると、激しい揺れを経験し、家財の下敷きになった人たちは、今でも自分の胸以上の高さにモノが有るのを非常に恐怖するので、部屋のレイアウトひとつにも苦慮するという。
   本機のような、重心の低いワイド&ローフォルムは倒れにくく、そんな人にもトールタイプのコンポより心理的圧迫感は少ないように思える。なんなら本体はこれ以上落下しようのない床や畳に設置し、スピーカーだけリスニングポジションの高さに固定することも可能。

4:自分はテレビがブラウン管だった頃、スピーカーとしてラジカセをテレビの上に置いていた。しかし液晶モニタじゃラジカセを上には置けないので、液晶モニタの右か左どちらかにラジカセを設置せざるを得ず、音場に違和感があった。だが分離型のラジカセなら、スピーカーを液晶モニタの両脇に分割して配置できる

5:さらに、見た目がラジカセなら、リビングに置いて客を通しても やっかまれない。よせばいいのに新自由主義路線の踏襲で ますます運のいい人と悪い人との格差が広がる社会において、『やっかまれないこと』は 今後ますます重要なファクターとなるだろう。

6:ラジカセ?でありながら『音の出口』をカスタマイズできる点も見逃せない。物理の先生が、元素か電気の授業の時、こんなことを言っていた。『・・・理論的にもステレオの配線を銀にすれば音の通りは良くなります。私のオーディオルームも配線は銀です。銅よりずっと高いですが確かに音が良くなったような気がしますヨ』と。
    これを受けて、皆で「ほんまかいな」と線材を換え、ブラインドテストで聴き比べる、なんて楽しみ方も可能だ。また、インピーダンスが同じなら、好みでスピーカーも変更できる。これは一体型のような出来合いではまず出来ない。

7:そして何より『見た目はコンポ、聴けばラジカセ』であるよりは『見た目ラジカセ、聴いたらコンポ』の方がガッカリ度が少ない
   これをクルマで例えよう。昔ある日本車が外人に こう評された。「確かに走りはイイけれど、見た目はそんじょのタクシーみたい」と。しかしその酷評は逆に効を奏し、『意外性』を求めるタイプの人や『4を期待したら6か7を返す』ことに愛着を持ったオーナー達に実力以上に持ち上げられて好評を博し、またメーカーもその期待に応えようと奮起、試しに台数限定で輸出したら、話を聞きつけたカーマニアにより速攻完売。何度かモデルチェンジに失敗してもファンには買い支えられるもんだから、その後の経営難で同期の桜が次々車種整理の対象になって消えてった今なお そのクルマだけは現行車種のラインアップに残っただけでなく、今ではフラッグシップモデルにまでなっている。さらに−これは売る側の論理だが−客が「カローラにしとくよ」と親を油断させてレビン買わした時代があったみたく ※ 、親へ「ラジカセにしとくよ」と油断させコンポ買ってもらうことも可能だ。

※自動車評論家、徳大寺有恒氏の著作より

 さて、横に長くてコンポらしくないラジカセ型コンポにも これだけのメリットがある/あったのに、では なぜ今 全滅してるのだろうか?

 私みたく、当時「ラジカセはやっぱり一体型なのがデザインのキモ」なんて考えていた人は思いのほか多かったらしく、この種のスピーカー分離型ラジカセ? は『良くても売れない』不人気モデルでもあったようだ。それはサンヨーに限らず、当時トップシェアを握っていた松下でさえ、セパレートモデルのRX-DT300型は当時からレアもの扱いだったし(なのでメーカーもバックライトを省くなど、力を入れてなかった)、シャープだったか日立だったか東芝だったか、学園祭でウチのクラスに持ち込まれた同コンセプトのラジカセに至っては、どう検索しても発見できない売れなさ加減だったことからも うかがえよう。

 『良いのに売れない』。これはメーカーにとって非常に納得いかない話であろう。

  それは 中身よりも、見た目の派手さや斬新さを優先する『まだ未熟な』年齢層をターゲットにせざるを得なかったのだから、致し方なかったかも知れぬ(←もっとも、メーカー自らが そんな事言っちゃったら、以前ダイハツがお客を『そういう連中』呼ばわりした時みたく非難轟々であるが)。かくいう私も当時は本機の良さを理解できなかった高校生、反省しきりの後悔先に立たず状態である。もしあの日、ディスカウントショップのラジカセに電源が通っていて(家に再生環境が無いのに『グラディウスU』のCDは持っていたのだし)聴き比べられる機会があったなら。私の心は間違いなく、ラジカセは一体型でなく、分離型の中から選ぶことを画策していたはずなのだ(それでもREC LEVELにこだわるあまりに結局妥協しなかったのだろうか?)。

 実は家電というのは、設備投資にカネかけて開発競争にしのぎを削るより、枯れた技術(ローテク)の方が儲かる。一例だと、携帯電話は過当競争で名だたるメーカーの撤退が相次いだし、かつてのVTRで儲けた大手メーカーは、フォーマットライセンサだったビクターも含め無いと言われる(唯一、画質競争とは無縁で輸出に徹したフナイが『漁夫の利』を得、それ以外は『利益無き繁栄』だった)。それを考えると、ゼネラルオーディオなんてのは枯れた技術で元手もそんなにかからないはず、なのだが、ご存じの通り かつてのフナイのポジションは 惜しみない技術支援の結果、新興国に お株を奪われてしまい、造らないでいるうちに いつしか失われた技術になってしまった。『継続は力なり』といいまして、いったん造るのやめちゃうと、もう一度こぎ出すのには、細々とでも技術の種火を絶やさなかった場合に比べ多大な費用と時間と労力がかかってしまう。

 ただでさえラジカセひとつ新規に造るにも、成形技術なんて海外に行っちゃったんだから、それをMADE IN JAPANのバリューのためだけに国内で再開するには膨大な新規投資と金型と事前検証が要る。中高生の絶対数が多く、造れば確実に利益が見込めた あの頃と違い、本来次代に命を繋ぐはずだったボリュームゾーンが何でもかんでも“自己責任”と斬り捨てられ、孫の顔を見せることさえままならない/子供の遊び声さえ滅多に聞かれないほど少子化の進んだ昨今では、ごくごく一部のマニアの声に応えても、数が出なけりゃメーカーだって赤字である。私も以前、わざわざ用意周到に『鍋ぶたの詩』まで見せてから、「こんな売りにくいモノ、どーやって売れっちゅーねん!!」と頭を抱えてしまう自社の商材を、(リストラ目的で)課されたことがあったから、良くても売れないモノを造ってしまうことの恐ろしさもよく知っている。だから無理は言いませんです、ハイ。

 この点で せめて私の提唱できることがあるとしたら、『流行り廃りに左右されない枯れたデザイン(なんだそれは)のドンガラ前面に着脱可能なスロットを設け、時代の変化に合わせてメディアやフォーマットがめまぐるしく変わってもシステムは陳腐化せぬよう取り替え可能にする』、『売りっぱなしでなく、ユーザーが望めばアップグレードやお色直しできる見返りに料金がもらえるWin-Winのビジネスモデル』、『手始めにCDドライブを、デスクトップPC用内蔵ドライブをそのままポン付けできるようにし、当面保守部品の枯渇をユーザーメーカー双方心配しなくても良い設計手法』、『もしくはスピンドルがヘタってしまっても、背面USB端子や無線でPCなどのドライブを乗っ取れる』『基本メカは共有ながら、一体型とセパレート型の二種展開』、そして『コンポでも一点だけ無駄にサイバーな電動駆動箇所』などは是非欲しいところだ。

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