[ 第6章 変調 ]
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出発する時に小降りだった雨は、上信越道に乗る頃に強さを増した。 インターを降り病院に向かう間、徐々に減少していく会話。まるでそれと 反比例するかのように雨量は増えて、到着する頃には本降りになっていた。
ロビーに入るとMさんは既に来ていて、彼女と何やら話し始めた。 所在の無い俺は確か、ロビーをきょろきょろと見渡し、院内の 地図を見つけて売店はどこだろうなどと探していた。
やがてMさんのお父さんがやってきた。 このお父さんがここの院長先生と知り合いで、今回口利きを してくれることになったのだ。
自分で云うのも何だが、俺は結構初対面での印象は良い方である。 それは多分、挨拶から始まる会話の中で、相手の気持ちを 読み取る技が備わっているからであろう、と推測している。
良い印象を持てば気持ちは和やかになり、自然、雰囲気は 良い方向に流れて行く。姑息だ太鼓持ちだと云われるかもしれないが、 俺はこういう対処ができる自分を、嫌いではない。
いがみ合うことから生まれるものの多くは、憎しみや怒りなど、 ネガティブな感情だ。そして、マイナスの気持ちはたやすく 人の心を占領して、余裕を無くす。余裕を無くせば、人は優しさを失う。 結果、争いは連鎖する。
俺の人との接し方が、総ての人間関係を円滑にしているなどという おこがましい気持ちは微塵もないが、笑いや楽しさを提供できたらいい、 と思う気持ちが形になる事例が多いことは、素直に喜んでいる。
多大な心遣いをしてくれた、Mさんのお父さん。 何ひとつ差し出せるものがない俺は、せめてその能力らしきものを 発揮し、穏やかな気持ちを掘り起こすことで厚意に報いるしかない。 そこで俺は、まず云った。おはようございますと。
しかしその声は、自分でも驚くほどに小さかった。
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