国鉄(インチキ)車両図鑑-5(その1)


「通勤形客車」
それはオハ16系に附けられた異名である。
元来地方の幹線鉄道は、地域間を連絡する性質の「長距離列車」に客車列車を、短距離の都市近郊輸送や都市間連絡に気動車を用いるのが普通であった。

昭和40年代に入ると地方都市の急激な発展、進学率の向上、更に産業構造の変化によって朝夕の通勤時間帯には首都圏並の通勤ラッシュが見られるようになる。
これが首都圏であれば詰め込みの利く通勤電車が使用されているのでまだ良いのだが、地方都市圏、分けても交流電化されている地域では事態は深刻であった。

客車と言えば、両端に狭いデッキを持ち、デッキと客室の間には間仕切。車室に入ると詰め込みの利かないクロスシートが列を成している。これではラッシュアワーに対応出来ないのは明白で、当局は早急な事態の改善を各方面から求められていた。
根本的な解決方としては、電車運転に切り替える事であるが、交流電車のコストは非常に高く、また輸送の状況に合わせて1両単位で運用出来る客車と異なり編成毎で運用しなければならない等、不利な点が続出する。そこで国鉄では昭和46年、急行用12系客車をベースにした「通勤形客車」の製造に踏み切ったのである。


形式オハ16 1~87


形式オハフ16 1~42



「通勤形」と言っても、ラッシュ時とデータイムとの輸送格差が激しい為、電車で言えば「近郊型」に属すると言えよう。
外観は見ての通り、両開き扉が2箇所。運用される線区を考慮し車体幅は2800ミリに押さえられ、低い汽車ホームに対応する為、ドア部にはキハ30系と同様のステップが設けられている。
自動ドアを作動する為のエアータンクとコンプレッサーは床下に、サービス電源は自弁式の12系と異なり機関車から供給を受ける。

16系だけで編成を組む事が多いが、基本的に電暖装置を備えている客車であれば何系であろうと混結が可能であるのがミソで、例えば郡山発盛岡行きのこのような列車があったとしよう。


途中の白石で、


後部に増結。その後仙台の通勤客を捌いて小牛田まで、


このように16系を後部に併結しラッシュ輸送に対処する等と言った柔軟な運用が可能になったのである。

室内は中央窓3個分と車端部にクロスシートを、それ以外はロングシートを設け、乗降時間の節約とラッシュ時の詰め込みに対応したデザインとなっている。
これは実現はしなかったが、3扉ロングシートの「完全通勤形」も計画の内に入っていた。



16系は通勤時の混雑が特に著しい仙台地区と北陸地区に集中配備され、乗客にも現場にも好評を以って迎えられた。
北陸地区では昭和61年まで、仙台地区では701系電車に置換えられる平成11年まで使用された後、一部を除いて形式消滅した。

16系の登場によって仙台地区では仙山線と一部の長距離列車を除いて旧型客車は姿を消し、また一般型交流電車の登場を5年遅らせたと言う「戦果」を上げ、役目を終えた。


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