国鉄(インチキ)車両図鑑-5(その2)
昭和30年代から国鉄では「推進運転式客車列車」所謂ペンデルツークの研究を進めていた。
これは欧州でしばしば見る運転形態で、終端駅での機関車付替え作業を省く効果がある。殊に頭端式の駅が多数見受けられ、尚且つ動力集中式(機関車牽引の客車列車)が主流の欧州各国では盛んに用いられている。
日本の場合はこれと異なり、製造費・保守費の安価な客車を使用して電車並の高密度運転の可能性を模索していたのがその理由であった。その1で述べた理由から交流電化区間の電車化は当時非常に困難であり、増して速度も用途も異なる各種の列車が一本の線路上を右往左往する幹線区にあっては、在来の旧型客車を使用しての輸送では早晩限界を来す事は明らかであった。
日本の鉄道は欧州の頑丈なそれと比較して脆弱な路盤とレールを持ち、山がちの地形の為急曲線や急勾配が至る所に存在する為、当時の運輸省は推進運転時に厳しい制約を設けていた。
昭和42年から北陸線で開始された実験には、このような列車が充当された。
何れも首都圏でお払い箱になった旧型国電であるが、先頭のクハ79には電気機関車と同様の運転台を、中間のサハ17には各種の検測装置を設置し、各種の試験を行って貴重なデータを得る事が出来た。
そして昭和48年に登場したオハフ16形300番代においてこの研究成果は見事結実したのである。
形式オハフ16 301~323
前出のオハフ16に機関車の運転台を設けた形式で、300番代を名乗った。
当初は青15号で塗装され、前面警戒色としてクリーム色1号が飾られていたが、後に50系に合わせた赤色に順次変更されている。
最低限機関車とオハフ16300番代の2両で運転が出来、もちろんその間に他の客車を挟む事が出来る。
推進運転時に必要なパイピング類を設置した客車でなければならないと言う制約こそあったが、融通性、柔軟性、経済性と言う客車が本来持つメリットと、小回りが利くと言う電車のメリットが融合した「夢の客車列車」と言えた。
中間に挟む客車には、順次必要な工事を施したオハ16形式(施工車には300番代を付与)、同じく12系や後には50系も使用された。
本形式は全て仙台地区に集中配備され、東北線の白石-一ノ関、常磐線の仙台-相馬間のフリークエントサービスに供用された。
平成11年に701系電車の配備が始まると同地区の16系は次第に姿を消し、同年9月、運用を離脱した。
しかしこれで終わりではない。
オハフ16300番代の内12両は、運転機器を気動車のそれに改造された上で気動車に編入。キクハ24形式を名乗り、現在でも平坦線に措ける増結用としてキハ40やキハ58等と共に活躍中である。
尤も現在JR東日本では在来型気動車の置換えが急ピッチで進んでおり、楽観は許されないのが現状である。
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