豊米電気鉄道の車両1<専用鉄道時代>





1920年、東洋化学社が既存馬車軌道の豊米以遠を電化して硫黄鉱石の運搬に供していた。左は豊米のヘッポコ電気機関車、デキ1の輸入時の姿。台枠が簡易仕様なのでトラクション台車を履いているのが分かる。仏、レオン・ロジワール社製の安価な鉱山用電機で、陸軍砲兵隊の観測用気球の躯体に電装したものであって世界的な成功は収めなかったようだ。この(成功しなかった)電化版ドコービルの実用例は南米に数多くある。LR社の総代理店はチリの貿易商社「バイアブランカ社」で、硫黄採掘に関する特許を幾つも持っていた関係で豊米電鉄の親会社「東洋科学社」と親交があった。現場は「バイアブランカ」が言いにくかったせいか、これらの怪物の幼虫を総じて「ボウフラ機関車」と呼んでいた。バイアブランカからの転訛なのか見た目からの連想かは分からない。
晩年は硫黄積出駅の塩ノ沢で構内の入替に従事していた。この時点では豊米までがコッペル、その先ではボウフラが担当していた。それとは別に越浦駅前から越浦城大手前(皆成園)までの狭軌単線の路面電車の運行が見られる。