山間の宿場・豊米新宿駅






左図は鉄道の通じていた頃、右図は現在の図です。

豊米新宿は元々豊米郡より、山向こう間ノ沢温泉を経由して珊澄(みずま)郡へ至る珊豊街道の宿場でした。慶長14(1599)年冬に活火山鐘ヶ嶽が大噴火、前鐘山と称する寄生火山の山体が完全に吹き飛び、溶岩によって熱せられて発生した熱泥流によって、一帯は壊滅しました。その宿場の跡地に再建されたのが「豊米新宿」です。
鉄道が通っている頃の新宿は、高い樹々に囲まれた静かな宿場町の面影を遺し、映画の撮影やTVドラマの撮影などに用いられた事もあったようです。しかし普段は殷賑を極めた昔の事など偲ぶよすがも無い様子で、平凡で退屈な田舎町でした。それでも硫黄鉱山関係者や行商人などの宿泊客はあったので、当時でも六軒の旅館が営業していました。

鉄道が廃止されてから、一日五往復の代行バスが通い始めました。それを追うように道路は次第に整備され、現在では線路跡の大部分はバイパスに転用されています。道路が立派になると宿泊客は絶えてしまい、現在では宿屋はゼロ。僅かに商家が四軒残っているばかりとなっています。
バス停の手前に、かつてのホーム跡と線路が保存されているのですが、ここには車両は展示されていません。