開拓村・平神





図を見ていただきます。左は鉄道の通っていた時代。右は廃止後数十年を経た現在の図です。
鐘ヶ嶽北麓の原野は富越原と称する、近年までは無人の荒野でした。僅かに地元の猟師が熊撃ちに出掛ける位で、定住人口はありませんでした。
昭和に入り、国策に添う形で各地に発電用ダムが建設されると、立ち退きを迫られた住民の代替用地が必要になります。この富越原もそうした代替地の一つとして、近県の農山村民の受け皿となり、開拓の槌音が響きました。
こうした入植は戦後も外地からの引揚者を対象に続行され、それなりに賑わいを見せていました。彼らの外界との連絡手段は専ら豊電に頼る事となります。一時は農閑期にこの平神や、隣の鐘ヶ嶽駅から間ノ沢温泉行き臨時列車が運転される程で、よく新聞やラジオニュース等で「明るい開拓村」の引き合いに出されたものでした。

そして今、産業構造の変化や農政の失策を原因として、この暖かい開拓村一帯は、右図の如くなってしまいました。豊米郡新宿村の資料によると、2000年現在この平神地区は、昼間人口、夜間人口共に0。