世界(インチキ)博物誌2

白髪三千丈‐語源説・交燕徐



燕荘王代在宰相徐穎。相好色無類、漫行巷間、市井忽隠其妻女娘子、母又老母。相有三人妻女、又数多財貨堆雖、未得治過多女色。

燕の荘王の頃、「徐穎」と言う宰相がいた。この宰相は無類の女好きで、彼が町を通り掛かると男達は皆妻や娘、母や祖母までも家の中に隠す程であった。
彼には三人の妻が居り、財産も抱えきれない程持っていたが、漁色の癖だけは治らなかった。

其代有燕国一美人庚氏、是李去病将軍娘也。相致信重度雖不叶逢庚氏、是李将軍武威為也。相漁間他女子、不通想事焦焦。

当時燕国最高の美女と謳われた「庚氏」は「李去病」将軍の愛娘である。宰相は何度も彼女に恋文を送ったが、燕国第一の将軍が睨みを利かせている間は、如何な宰相と言えども勝手な真似は出来ない。彼は想い焦がれながら他の女を漁る日が続いた。

荘王二十四年、胡人大入。将軍悪戦努頗有功漸殲敵、此時捉損敵将孤閻単于、而王惟将軍不快。

荘王の二十四年、北方民族が大挙侵入し、李将軍の指揮の下、漸く撃退する事が出来た。しかし敵将孤閻単于を取り逃がした為、王は李将軍を不快に思った。

相是議好機。相王讒訴、以王激怒俟相諌謂、李将軍即燕国無双人士也。是事簡不在、何不可損国威其一事。王得心此事一任相。

宰相はこれを好機と考えた。彼は王に有る事無い事吹き込み、王が激怒するや、
「王よ、李将軍は燕国に無くてはならない人士です。彼の命を奪うのは簡単ですが、どうしてその為に国威が損われて良い物でしょうか」と諌め、王も納得して処罰を宰相に一任した。


相訪将軍房子曰、我宥王而確言、供罰一千金換爾一族助命。将軍応曰、武人知恥、我不思得可長命以供罰銭。

宰相は将軍の家に赴くと、
「将軍殿、小官のとりなしで王は将軍殿と御一族の命を留める換わりに、一千金の罰金で済ますお考えですぞ」
「宰相殿、武人は恥を知る者だ。罰金を払ってまでこの身を永らえようなどとは思わぬ」

相答曰、其言不忠為不他、王言明向後可一層尽力為燕国。将軍必可忍辱。将軍落涙曰、給許我不知王仁。而今我不持一千大金。

「いやいや、将軍殿それはいけませぬ。王は燕国の為、大所高所からお考えになったのです。将軍には一時の恥を忍んで、更に国の為に尽くすようにと言い遣っておるのですぞ」
「王はそこまで身共の事をお考えか。忝けない事だ。しかしなぁ、一千金などこの家の何処を漁ってもありはせんのだよ」

相曰、将軍可放心、我可換払。将軍曰、我無返徒次。相莞爾曰、爾持有貴担保。

「それでしたら小官がご用立て致しましょう程に」
「いやぁ、返す宛ても無い故なぁ」
「何、あるではありませぬか、それそこに」

斯庚氏為相令禦人。後人曰、銭以為婦子情交通誼事、交如燕徐頴。是交燕徐語源也。

かくして庚氏はまんまと宰相のものになったのである。
このように金に物を言わせて婦女と交誼を持つ事を後の人は「燕の徐穎の如き交わり」と呼ぶようになった。
「燕徐の交わり」、即ち「援助交際」の語源である。以来二千五百有余年、そのニュアンスは多少変りながらも言葉は生きている。