早戸川方面は徐々に奥地の集材拠点まで延伸している。金沢から先は規格が低く、蒸気機関車での空車引き上げは困難であった。大正11年から、米国ダーペンポート社製と、ドイツのコッペル社製ガソリン機関車を導入して、追々に試験を行っている。



一方、中津川本流に沿った、所謂中津川本線は、大正12年4月に宮ケ瀬本村に延長された。宮ケ瀬は東丹沢の森林鉄道網が完成した暁には、運行、整備の中心となるべき場所で、構内は広く、機関庫や修理工場、運輸署等の施設を備えた一大基地へと変貌して行く。
同年9月1日に発生した関東大震災は、山間部のこの地域にも激甚な被害を齎したが、被災地再建に要する木材を迅速に運び出す必要から、南下の工事は優先して進められた。