その終末は意外な程時間が掛かった。
昭和46年度の堂平地区伐採終了に伴って同年度中には廃止される予定だったが、折も折、8月に発生した台風25号によって風倒木が大量に発生した。塩水川最奥部では946ha、被害総額21億円(当時)の大被害を被っている。その風倒木の搬出に新たに林道を建設する暇は無く、あっても道路建設に取り掛かれるような環境では無かった。
そこで既存の森林鉄道の廃止を1年間先延ばしにして、道路完成までの間中継ぎをさせる事になったのである。こうして塩水川線だけは少しの間命脈を保った。
昭和47年9月まで運行は継続され、その間に作業用林道が線路脇に建設されて行った。9月26日の軌道運材最終日には宮ケ瀬運輸署長、平塚営林署長が現地に駆け付け、ささやかなお別れセレモニーが行われたと言う。



山を降る運材列車。塩水川線の末端は地形を利用した「傾斜土場」方式であった。