大正初年、中津川水系の電源・水利開発が本格的に始動すると、それまで川狩りによって流送していた宮ケ瀬御料林の木材を鉄道輸送に切り替える事になった。
図はその最初期。大正6年に中津貯木場(後の陸軍飛行場、戦後は工業団地)から宮ケ瀬手前の落合より支流の早戸川へ分け入って行く路線が開業した。
強固な永久路盤の上に頑丈なレールを敷いた一級線仕様で、全区間蒸気機関車によって運行されていた。



図はバグナル社製(№1)。戦後改修が進み、エアブレーキ化されるまで、東丹沢の運材方法は単台車の乗り下げであった。中津~田代間には逆勾配が存在し、一旦半原まで降りて来た積車はある程度数が纏まると先頭に機関車が付いて中津へ牽引されて行った。
空車引き上げ時には図のように空台車をスタックして運び上げるのが普通であった。