相模軌道運輸の記憶-師匠連御難-
まあ何だかんだ言ってもよ、鍵和田の親爺は大した変人だったなあ。
杉山善作さんって人がいらいてよ、あのあれだ、あの杉山のおじい知ってらんの。あの髭の。そう古沢の。ああそうかね、あの髭の大伯父さんだったせえ人でよ、真面目な人で固え人でよ、その善作さんがいらいたから鍵和田商会もやってらえるだせって皆そう言ってらいたんだけんどもよ。
鍵和田の親爺ってなあ、はあ何だなあ、一口で言やあな、上の空な人だよ。そんですぐ熱中してすぐ飽きるだ。何か考えてえらえる時にゃ何話し掛けても無駄だっただと。へえ、何か良い考えが浮かんで、それが当りゃ言う事無しなんだけんどもよ、まぁ世の中そうそ
う巧く行くとは限らねえやなあ。
競り合ってた相央が鉄道馬車の馬を一頭立てから二頭立てにしらいた事があっただ。まだ鍵和田がオットを買う前の事だあよ。でな、あの親爺が何しらいたかせえと、余り深く考えねえで、馬の代わりにオートバイでトロを牽いて見たそうだ、俺あ見てねえけんどな。どうなったかせえと、あ、お茶冷めんべぇ、で、どうなったかせえとよ、鍵和田は全治2週間で病院行きだなぁ、アッハッハ。そりゃそうだんべえ、馬は止まっても倒れねえけんど、バイクは止まったら寝ちまうからなあ。免許かね。さあてなあのんびりした時代だったからなあ。
平塚の八幡様の角に鍵和田と相央が線路引っ張って来てらいてよ、駅前で馬方が客引きしてらいただよ。そらあ客は堪ったもんでねえべえやな、両手引っ張らいて腕が伸びたなんて話しは良く聞いたもんでよ。で、ある日、へえ震災前だったんべえ、駅前で鍵和田と相央の馬方が大出入りでよ、何人も警察に捕まっただ。で、面白えなぁ相央は血気の若いモンばかりだったせえのに、鍵和田の方で捕まったなあ他ならねえ鍵和田の親爺だ。社長のくせに先陣切って棒切れ振り回してたんだとよ。まあどんな人か大体判んべえ。
オットが入った後の事だったけんどもよ、鍵和田が社長専用のトロをこせえただ。威張る積もりだったんだか何だか良く判らねえけんどもな、夏の暑い盛りにこせえたもんだから風通しが良いヤツだっただよ。江ノ島かどっかでそんな電車が走ってえたのを見た事があんけどよ、そんなもんだ。鍵和田らしいやな、冬は寒いって事何も考えねえでこせえただから、窓も扉もありゃしねえだ。
俺ぁ偶に見かけたけんども、鍵和田の他に馴染みの芸者を乗せたり、役員連中乗せたりしてよ、鍵和田は楽しそうだっただ、乗合の人はへえどうだったんべえなぁ。
鍵和田って親爺は良く何でも思いつく人でよ、オットを買わいた時もそうだったしなあ、オットに「夫号」だ「妻号」だ名前付けらいたのもあの親爺だったせえから、まあ大した人だっただよ。
大正の、へえ何年だったかなあ、三月の節句に沿線の神社へ奉納浄瑠璃の興行を打ったのも鍵和田の思い付きだあよ。だせってもよ、境内に浄瑠璃の舞台をこせえて人を集めるのでねえや、折角社長専用トロがあんだからせって、わざわざトロの上に舞台こせえてな、夫号と妻号で前牽き後押しでよ、へえ豊田では何時頃、大竹では何時頃って広告打つべえ、そうするとへえその時分は娯楽なんて物あ無かっただからなぁ、皆野良仕事おっぽり出して見に集まるだ。
「お染久松」をやってらいただ。俺あこれが好きでなあ、「橋本座敷の場」のよ、…その悲しみをかけるのもこのお染から起こった事。死ぬるがせめて身の言訳け、なんて謡いながら野良仕事してえた程でよ、だから飯も食わずに見に行っただ。
何事も巧く行かねえせえ事があるもんでなあ、村に回ってきた引き札によ、何日何時、東大竹停留場にて公演なんて書いてあったけんども、俺あそれ見てあれあれと思っただよ。東大竹には線路が一本ぎりでなあ、他の列車が入って来ると逃げられねえようになってただ。行き違いの出来る大竹坂下の間違えでねえかと思ったけんど、まあそう書いてあるだからなあ。その日にゃ仙松やら辰っつぁんやら誘って東大竹に出向いただ。
東京からわざわざ呼んで来た師匠連がトロの上に居流れてらいてなぁ、流石に本場の唸りは違わなあ、って俺達ぁ喜んで見てえただ。そんでよ、一番の見せ所だ、大詰めの「向島道行の場」で見てえらん人もシンとするねえ、さあこれから心中だドカンポコンだってハラハラしながら見てるとよ、後ろから燕尾服着たチョビ髭が走って来ただ。これがはあ、鍵和田の親爺でよ、「いけねえいけねえ、すぐ発車しろい、後ろから次のトロが来てらんぞお」って叫んでよ、俺達と舞台の間を物凄い勢いで駈けて行かんだ、鍵和田がよ。
ああ、どうなったもこうなったもねえやな、急にオットが勢い付いて走り出さんとな、謡の太夫はバランス崩して左手をこう突き出して、隣の三味の師匠をドーンと突いただ、三味線先生は豪儀なモンでなあ突っ飛ばされても顔色一つ変えるでねえだ。そのまんま黙って隣の客車に頭こうぶつけてコブをこせえてただ。人形の師匠は舞台の向うででんぐり返るわ人形は大の字になって飛んで行くわ、もうそりゃぁひでえもんでよ。あんな面白え見世物はあれからこっちお目に掛かってねえだよ。
言わねえこっちゃねえやな、引き札が間違えてたんだってよ。やっぱりな、やっぱり大竹坂下でやる筈だったんだと。前の晩に気が付いたせってただな。それで引き札が間違ってたもんだから鍵和田あ怒ったけんども、もう明日の話しだ、だから今更造り直すのも面倒だせって、へえ何とかなんべぇってやっつけたせえのが本当の所らしいや。
あの後師匠連の怒ったの何のってよ、もう鍵和田の言う事なんざ聞くもんでねえせって頭から湯気出して帰って行かいたせえけんど、へ
え何だ、あの親爺は俺らと違って、別に浄瑠璃だの義太夫だのが好きでなかったらしいんだな。ただ宣伝にゃあなんべえせった所が、如何にも鍵和田らしいやな。なぁ。