売られた花嫁たち





国鉄の軽便線は、昭和53年の千谷軽便線を最後に姿を消した。そして それで全てが終わってしまった訳ではなかった。
各地の軽便線で使用された車両は(国鉄最盛期の設計思想、即ち「使い やすく堅牢、その上万人向けのデザイン」を持参金代わりにして)、一定以上 の建築限界を持つ軽便鉄道に向けて散って行ったのである。
(ここでは説明上「私鉄軽便鉄道」の名称・デザインは実在のものに準拠 しています。2002年現在でも狭軌のまま健在であるものとしてお読み下さい)
最上段のスカーレット色の電車は、近鉄に売却された例。当初湯の山線、 内部・八王子線に投入され、最後に北勢線に転ずる。現在でもこの姿で使用さ れている。
二段目、三段目は越後交通栃尾線に転出した例。この線ではスノープラウ・ 半自動ドアの設備が欠かせない。2000年に三段目のように更改された。
最下段。草軽電鉄の区間列車(新軽井沢-三笠、万座・鹿沢口-草津温泉) に使用されると言う設定。ここに画かれていないが、ドア横には東急グループ のシンボルデザイン「三弁朝顔(と言うのかどうか知らないが)」の社紋。




非電化軽便鉄道は、その数を大いに減らしながら、尚少数が生き残ってい るが、その内の代表格、静岡鉄道と頚城鉄道に渡った車両を上に示した。
最上段は静岡鉄道に渡った例。ヶキハ10→キハD40と静鉄らしく変名 している。
ヶDD10の内少数も静岡鉄道に移った。中段は工事列車を牽引するDD 361。
下段は頚城鉄道に移籍したヶキハ25→ホジ10。究極のバックヤード スペシャル・ ホジ3なき後の主力となっているが、大きな収容力を「かなり」持て余してい る様子である。