標準型気動車の登場







昭和28年に登場した液体式気動車キハ10系の成功に気を良くした当時の国鉄の運営部門は、未だ全国に散在する狭軌軽便線の近代化を一挙に推し進めるべく幾つかのプランを策定、試作を開始した。
既にこの時点で国鉄経営陣は「昭和40年度までに狭軌線は全廃する」旨言明していたにも関わらずである。
経営側と現場の乖離が始まっていた当時の国鉄らしい無計画さを露呈した形である。

そうは言っても、実際に出来てきた車両は華奢ではあるが十分に実用に堪えるものであり、軽便線沿線に新風を吹き込むものであった。
昭和30年に登場したこれら気動車こそが「軽便線の寿命を20年延ばした」と呼ばれたヶキハ10系である。



両運転台のヶキハ10と片運転台のヶキハ15が製造されたが、製造年次により窓回りや出力に若干の差異がある。
イラスト左は両運転台30年度納入のヶキハ10。右は片運転台32年度納入のヶキハ15。

形 式 定 員
(座席)
自重(t) 最大寸法(mm)
長×幅×高
発動機出力
(ps)×個数
回転数 製造年 製造所
ヶキハ10 54(46) 12.8 13,880×2,150×3,130 110PS×1 2400rpm 1955 帝車・日車
ヶキハ15 58(50) 12.5 13,895×2,150×3,130 125PS×1 2400rpm 1957 帝車・日車



平坦区間では、気動車による客車の牽引も盛んに行われたが、別項のヶコハ41系の内若干は、気動車の増結用トレーラーとして整備されたグループもあって、ヶキサハ41を名乗っていた。



更に千谷軽便線で昭和35年6月改正から運転を開始した「準急千谷」用にキハ55系の弟分、ヶキハ25が登場。冷水器や枕カバー等を備えた軽便線唯一の有料優等列車として昭和43年10月改正まで運用した。その後は一般車に交って普通列車に用いられ、千谷軽便線の末期は経年の少ない同車ばかりとなっていた。
ヶキハ25には、WCと室内縦置型水タンクを備えた0番台と、WCの代りに汎用業務台を備えた50番台が存在した。イラストは双方を示している。



形 式 定 員
(座席)
自重(t) 最大寸法(mm)
長×幅×高
発動機出力
(ps)×個数
回転数 製造年 製造所
ヶキハ25 63(51) 12.8 14,10×2,180×3,130 140PS×1 2400rpm 1959 新潟

これらの一連の車両が出揃った昭和30年代後半は、狭軌軽便線そのものの衰退期に当たる。
昭和35年時点で8路線510キロあった軽便線は、10年後の昭和45年には2路線105キロに減少している。活躍の場所が徐々に狭って行く中で彼女たちの内状態の良いものが、軽便線最期の牙城となった千谷軽便線に集結。昭和53年の同線改軌まで「だましだまし」使用されたのである。