瀬島にあった、何だ?何だ?
前記の瀬島軌道を含めた「瀬島の乗り物絵巻」です。
最上段は単端式気動車のジハ1、2。
ジハ2の後ろにはブレーキバンがぶら下がっています。オープンですが雨天時はどうするのでしょうか?
その後ろに、オーベルウールゼルのオットー機関車、キ3がトロッコを従えて尤らしい顔をしています。
瀬島は急斜面が多く、採り入れたミカンを軌道の集貨ホームに運ぶ為、戦前は牛を使用していました。戦後瀬島農協は、海軍陸戦隊から払い下げを受けた94式軽装甲車の砲塔を撤去した軽トラクター「ユキ車(輸送機械)」を保有していました。左端の如くリヤカーを牽引していましたが、エンジンのイカレたバスを牽引する姿も絵になっていました。
スピードについては軌道の
「自働客車」と甲乙、いや丙丁付け難い程素晴らしい遅さを誇っていたようです。
ここまでは島内ドメスティックの輸送手段でした。中下段はインターの輸送手段です。灰色の艀は、主に宿から唐泊、堅浦への短距離航路に使用された「瀬島丸」。旧称「B1737号艇」と呼ばれていました。大発、詰まり上陸用舟艇の民需転用の成功例です。上陸用舟艇なので船への出入りは前部跳上式関門から行いますが、海が荒れた日はどうしていたのでしょう?
最下段はやや長距離の今浜や磯馴への航路に使用されていた「堅浦丸」で元は呉で連絡用に使用されていた内火艇の戦後の姿です。
一体に旧陸海軍は自身の兵器や装備を地方(詰まり民間)に下げ渡す事を極端に嫌っていた節があります。まして終戦のドサクサとは言え、本来連合軍に引き渡すべき装備であるにも関わらず、海軍がこの小さな島にこれだけの好意を見せた事は理由がない訳ではありません。
昭和19年12月に発生した防諜上の一大不祥事、「海軍丙事件」を小説に書くために、昭和30年取材に渡島した折…(以下略)。