横浜幻視



藪の中を手探りで歩いていると、全く唐突に横浜駅の前に出た。

横浜駅は西洋の城のような造りで、中央には木の柵があってそこからも線路が延びていた。それはガランとした駅前広場を突っ切って、真っ直ぐ海へ入っていた。たまに間違えて海へ入ろうとする列車があったが、その都度赤い服を着た誰かに追い返されていた。

駅前からは真っ直ぐな広い道が走り、大勢の人が歩いたり立ち止まったりボンヤリしたり泣き叫んでいたりしていた。道の両脇は締まりのない平屋がズボラに並んでいて、何かを商いしているようでもあり、していないようでもあった。カーテンを閉めたガラス窓の手前に縁台が置かれていて、小瓶に入った飲料を一本だけ置いてある店があった。

辺りをキョロキョロしながら歩いて行くと、やがて道の両脇に一列になった男達が長い竹竿を一本づつ捧げて、無表情に歩いているのに出くわした。竹竿の先には提灯が一個づつ提げられていた。最早理屈等ではなく、彼らの歩いている範囲こそが横浜なのであった。

何時の間にか道の左側は運河のような海のような水面になっていた。艀がもやってあるようにも思えたし、客船が停泊しているようにも思えた。柔道着姿の役者が、慌ててデッキへ駆け上って行く姿だけ記憶にある。
水面は直視できない程ギラギラ輝いていて、水は恐ろしいほど透明だった。沈んだタンカーが手に取る程近くに見えたのだし、シャコ貝が何か虫のような物を触手で捕まえて頭からむさぼり食っているのがはっきり見えたからだ。

前輪が二つ、後輪が一つの小さなトラックが追い越して行った。それは荷台を前にしており、運転台は後ろ側にあった。客を満載した荷台と運転台の間に突き出た煙突から薄青い煙を吐いていた。運転台からは鉢巻を締めた色黒の船頭が半身を乗り出していたが、彼の舵棒を握り締めた手は嫌に白粉っぽかった。

赤い電球の下でラバが同じ所をグルグル回っている辺りが大きな交差点になっていて、電線が横切っていた。その電線に先程の男達が捧げ持った竹竿が引っ掛ってしまうらしく、何十人もの男達が無表情のまま右往左往していた。

交差点を過ぎると、急に後ろが賑やかになった。振り向くと白っぽい衣装を着飾った数十人の女性達が艶やかに微笑みながら、一列縦隊になって歌い踊りながら華やかに通り過ぎて行くのだ。彼女達は桃の一枝を手に持ち、澄んだ声で、

「手枕の 隙間の風は 寒かりき 身は慣はしの 物にざりける」

と繰返し歌っていた。

水面に面して糸杉の並木があって、その一本の根元に二人の学生が腰を下して話しをしていた。雑踏と人いきれの中で、彼らの話しだけが異様に良く聞き取れた。彼等は薩摩訛りで惚れた女の事を話しているのだが、段々と聞いている内にどうやら同じ女の事を話している事に二人とも気が付いたらしく、次第に妙な雰囲気になって行った。

共同募金の箱を持って遠くを見詰めたままの少女が立っていて、そのすぐ後ろから急にチャルメラの音が聞こえて来た。良く聞くとそれはチャルメラではなく、バグパイプを先頭に立てたスコットランド兵の一団だった。

と、思う間も無く、前方から一台の乗用車が人波をかき分けながらノロノロとやって来た。二列縦隊のスコットランド兵は車の手前で左右に分かれ、車とすれ違う時、そのボンネットと言わずフロントグラスと言わず、ベタベタと手形を押して歓声を上げていた。どうやらそれはスコットランドの風習であるらしかった。

先程の交差点まで戻って来ると、そこにはあのラバの姿はなかった。そして電線に竹竿が引っ掛ってにっちもさっちも行かなくなった男達は、今や数百人にもなろうとしていた。

急に日が暮れて真っ暗になったので、再び藪の中へぴょいと飛び込んだ。