柳町遊郭奇譚「深山の芸達者」
「深山」と言えば柳町仲町に位置する大店で、娼妓も馴染客も数多く何時行っても賑わっていた。
その「深山」に「なかよしさん」と言う娼妓が出ていたのは、大正も押し詰まった頃だった。関東大震災に続いて治安維持法、普通選挙法が制定され、江戸時代から連綿と続いた一つの町人文化が大きく音を立てて変革されようとしていた時代である。
音にすれば「なかよしさん」と聴かれるが、字にすると果たして何と書いたかは詳らかでない。一度染め出しの手拭いを貰ったが、それには「丸の中に平仮名の『し』が四つ」と言う変わった紋が染め出されていた。
その時分の彼女はもう中年増と言われる年頃で、小柄で肉置きがみっしりした、それでいて寂しげな様子の妓だった。それだけなら他にもっと良い妓もいるのだが、彼女は実に芸達者だったのだ。
芸妓でもないのに自ら三味を弾き、甚句や都都逸は言うに及ばず、長唄や一中節を湿ったような良い喉で聴かせてくれるので、大抵の客は大いに満足して居った。殊に一中節は技神に入るの如きであり、もしかしたら「なかよしさん」は、苦界に身を墜とす前は娘義太夫か何かやっていたのではないかと勘ぐったりもした。
「なあ、それだけの腕を持っているってのに、お前は何だってまた…」 と無粋にも聞いて見た事があった。
その時「なかよしさん」は嫣然と微笑み、軽く指を口に当てて身振りで「お黙り」と伝え、
「…寝ぬる 朝明の風に かをるなり 軒端の梅の…」と、「梅の春」の続きを謡った。
世が昭和と改まった頃、風の噂で「なかよしさん」は、本光悦寺町の何とか言う旦那に落籍されて、囲い者になったと聞いた。
それを聞いた私は、ああ良かった。幸薄そうだった「なかよしさん」も、これで苦界から足を洗って世間並みに生きる事が出来るだろう、本当に良かったと感じ、一人祝杯を上げもした。
その数年後に起きた大火で旦那が焼け出されてから、ふっつりと「なかよしさん」の噂を聴かなくなった。
人伝に聞いた所では、ある大風の朝、襤褸を着た盲目の乞食僧と身を支え合いながら、御霊街道を西へ歩み去ったそうだ。
何事も殺伐とし、日に日に騒々しく、世知辛くなって行く世に身を置く場所とてない旧時代の人が、この世のどこかに居どころを見つけようと旅に出たのかも知れない。そう聞いた私は、知らぬ裡に「なかよしさん」の為とも、私の為ともつかぬ熱い涙を落していた。