「親分の陸蒸気」第11回



前回までのあらすじ

山岡鉄舟から駿府江尻鉄道の建設を任され、人夫や資材の調達に奔走した次郎長だったが、次郎長を毛嫌いする商人達の妨害に遭い思惑通りに資金が調達出来ず困り果てていた。この事態を憂慮した鉄舟は当時駿府にあった十六代徳川家達を動かす事に成功。「御当代様」の鶴の一声で資金は順調に集まり始め、ようやく「駿江鉄道」の建設は軌道に乗ったのだが…。



明けて明治16年2月5日深更。恐ろしい寒気を伴った強風が吹き抜ける。

ここ清水湊美濃輪町、清水一家の居間では未だにランプが灯り、二人の男が酒を酌み交わしていた。一人は関東綱五郎、今一人は相撲常である。

藤枝長楽寺清兵衛方の法要に呼ばれ、次郎長は増川仙右衛門を供にして出掛けており留守である。一家の重鎮、大政亡き今、留守を守っているのは客分から次郎長の子分に直った関東綱五郎である。博徒から実業家へ転進した清水一家にあって、元々武州草加の庄屋の息子で財政に明るい綱五郎は相談役と言った感じで皆から頼りにされていた。その綱五郎と差しで飲んでいるのが相撲常。名前の通り相撲取り上がりで、怪力無双、猪突猛進の武闘派であった。

「だけどよ、綱五郎さん、そこが俺ぁどうも判んねぇ。何でうちの親分が鉄道普請なんか引き受けなきゃならねぇんだ? これまでの蒸気船やお茶屋で充分儲かっていたじゃんか。…山岡の旦那も旦那だ。鉄道普請なんてのはお上がやる事じゃねぇか。去年親分がアメリカから陸蒸気を買ったのは良いけどそんでスッテンテンだら。その払いで蒸気船から茶屋から全部売り払っちまって、今一家に残っているのはこの家だけだ。親分がどんな辛い思いをしたかと思うとよう、俺ぁ泣けて泣けてしょうがねぇだよう」

「…」

「よう、綱五郎さん、一度お前さんからとっくり話を聞いて見たかったんだよう。一体山岡の旦那は親分をどうしようって腹なんだ? 俺ぁ学問もねぇし読めると言ったらサイコロの目ぐれぇだ。頼むよう、綱五郎さん。俺にも判るように教えてくりょう」

「…常。もう大分前になるが、石松の仇だって都鳥の吉兵衛をバラした後、俺達は国を売って伊那から信州へ草鞋を履いたなぁ」

「あぁ、忘れるもんでねぇだ。石兄ぃもさぞかしあの世で溜飲を下げた事だろうよ」

「中仙道、木曾街道は名だたる山道だったなぁ。でっぷりしたお前は山越えのたんびに泣き事ばっかり言っていたっけな。親分から飛んだ尻腰のねぇ奴だって叱られてたろう」

「ほい、綱五郎さん、その話はもう良しにしざぁ。それがどうした?」

「あぁ、中山道は本当に山道だった。それが問題なんだ」

「だからよう、焦らさず教えてくりょう。それが一体何だってんだ?」

「お上はあの中山道に東京と京都を繋ぐ鉄道を通す腹らしいぜ」

「そんなら結構な事じゃんか。元々海道は海に面してらぁ。清水の湊がある限り鉄道なんか要らねぇら」


風が一段と強くなった。表を桶か何かが転がる音が聞こえる。綱五郎はちょっと声を落とした。


「常。仙右衛門や啓次郎や俺は親分から聞かされていて先刻承知の事だが…お前口は堅いな」

「綱五郎さんだって知ってるじゃんか。俺は石を抱かされても喋ちゃならねぇ事は喋らねぇ男だ」

「そうか、間違いねぇな…俺は親分から、何時かお前や鶴吉達から不満が出たら言って聞かせろって言付かっていたんだ。今がその汐だ。これから語って聞かせる事は誰にも言うんじゃねぇぞ」

「くどいぜ綱五郎さん。俺も清水一家に相撲常ありって言われた男だ。必ず誰にも喋らねぇよう」

「よし、そんなら聞かせよう。その代わり聞いちまった以上は二度と山岡の旦那や親分に楯突くような物言いはするんじゃねぇぞ」

「判った。約束すらぁ」

「さっき俺は、お上は中仙道に鉄道を敷く積もりだって言ったな」

「あぁ」

「実はお上は一枚岩じゃねぇんだ。中仙道に通したいって言ってるのは山縣様だけだって事だ」

「誰だら? 俺の知っているお人かい?」

「馬鹿、知ってる訳ねぇじゃねぇか。相手は陸軍大臣様だ。お前はただの博打うちじゃねぇか」

「それを先に言ってくりょう」

「もし外国といくさ騒ぎになったら、この駿河の沖合いに敵の軍艦が来るかも知れねぇ。沖合いから大砲でもって線路をぶっ壊したらそれでもう日本は仕舞いだって言うんだ」

「どうして?」

「だってそうじゃねぇか。敵が東国に上がっても西国の兵隊を動かす事が出来ねぇ、西国のどっかに上がっても東国の兵隊を動かす事が出来ねぇだろう」


「歩かしゃ良いら」

「東海道五十三次飲まず食わずで駈けて10と3日だ。そんな呑気な旅をしてる間に敵の軍勢は付け火やかどあかし、押し込みなんぞ働いて、尻に帆掛けてずらかってる頃合だろうよ」

「敵って誰だ?」

「だから例え話しだよ。陸軍はそこを心配してるんだ」

「良く判るよう。なら中仙道を通すが良いずら」

「中山道は山道だったよな。なぁ常、お前もそうだったが、陸蒸気ってのはお前以上に坂道が苦手なんだ。それに汽車の道を通すにしても山を崩したり橋を掛けたりしなきゃならねぇ。海道沿いの平地に鉄道を普請するのと、山中の中仙道にするのとじゃ、掛かりが相当違うんだそうだ」

「詰り銭金の話しかい?」

「そうだ。海道なら一里宛て千円掛かる所が、中仙道だと同じ一里でも五千円から掛かるんだとよ」

「そいつは物要りだが、それがうちの親分と何の関係があるんでぇ?」

「それよ。今東京じゃぁそんな事で談判の真っ最中だ。政府の中でも無駄なお銭を使いたくねぇと考えるお人は、海道のどっかに取り敢えず鉄道を敷いちまっておきたいと考えたのさ。そうすりゃなし崩しに海道沿いの鉄道が敷かれるって訳だ」

「そんなら政府の誰様だかが普請すりゃ良いだら」

「話しは続きがあるんだ。良いか? 中仙道に鉄道を通したがってる山縣様のご権勢はそりゃ飛ぶ鳥を落とす勢いだ。政府のお人が表立って海道に鉄道を敷いたら、そりゃ良い面当てになるだろうよ。そこで天子様お側用人山岡様があちこちへ頭を下げて、一私人である手前親分次郎長に鉄道を敷かせる免状を頂いたとこう言う訳だ」



「親分は反対じゃなかったのかい、だってこないだ…」

「何、反対なもんか。親分は何時ぞや東京の山岡様を訪ねて行った時、陸蒸気の凄まじさを見知っていたんだ。駿河を栄えさせるにゃこれがなくちゃいけねぇってな、これは親分の天性の勘だ。知ってるか、昔上州国定のお貸元は自分のお客衆を大事にして、自腹で用水を掘ったり子分を使って溜池浚いをさせたんだそうだよ。今は俺達はやくざじゃねぇが、堅気の衆が豊かになるにはどうしたら良いか、ちゃーんと心得ていなさるんだぜ、親分は」


常は相変わらず不満顔である。綱五郎はそんな心情をとうに見抜いていた。


「常。お前の言いたい事は俺も判ってるぜ、親分はこう言って聞かせたんだ。これからは学問の時代だ。筆が立って算盤が立たなきゃいけねぇ。だがお前や鶴吉、大熊みてぇな、腕は立って度胸もあるが、学のねぇ人間は隅っこに追いやられやしねぇか。なぁ、鉄道普請の話しが出だした3年ばかり前から、親分は五郎さんや小笠原様とばかり付き合って、子分の事を構ってくれねぇ、それがお前の不満なんだろう。図星だろう」

「…」

「言わなくても良い。お前は子分の中でも筋目の通った男だ。親分に口返答は出来ねぇよな」

「…」

「親分が心配してなさるのはその事だ。お前ばかりじゃねぇ、子分共ばかりじゃねぇ、この駿河に何千といる、文明開化の世で浮かばれねぇお人の事を心配していなさるんだ」

「どう言う事だ?」

「良いか、鉄道はえらく儲かる。けどまた鉄道って奴は一度敷いたらそれっきりじゃねぇ。長脇差と一緒で日々手入れをしねぇとすぐに鈍っちまうもんだ。その為には大変な掛かりが要るし人手も要る。その人手はどっからかき集める? 親分が心配していなさる『浮かばれねぇ』お人の中から頼んで来るんじゃねぇか。その人手を束ねて暮らしが立つようにしてやりてぇってのが、そもそもの親分のお考えよ。駿河の為、六十余州の為に働けるようにってな」

「…」

「学のある人はある人なりに、腕のある人はある人なりに活かしてやりたいって事だ。鉄道が通れば駿河は栄えるが、それは一握りの商人だけが儲かったんじゃあ話しにならねぇのさ」

「親分は、そんな事まで考えていたのか…」

「そうよ。お前が腕を揮える時も近いんだ。そう落胆したもんじゃねぇぜ。それにな、これは俺の考えなんだが…」

「あぁ」

「どうもこれは親分一世一代の大博打だと思うんだ。この勝負に勝って見ろ、面白い事になるぜ」

「…?」

「この普請をさせていなさる山岡様は元お旗本だろう。詰り賊軍だ。その手足になって働いている親分にしたって、今じゃ足を洗っても元はやくざ風情じゃねぇか。その親分を助けている近郷のお百姓衆にしたって、この世の中じゃ日陰者に違ぇねぇ。それにな、駿府に住んでなさる英語塾の先生な」

「うん、あの二人の異人か」

「そうだ、あの人は今は先生をしていなさるが、本来は陸蒸気を動かすのが本職だ。所があの人達にした所で、在所のアメリカに帰れば賊軍なんだぜ」

「…」

「お前は知らねぇだろうが、俺達が荒神山で安濃徳相手に斬り合っていた頃な、アメリカじゃあ国を二つに割る大いくさがあった。あのお二人は負けた方に与したから国を売らなきゃならなかった」


「…」

「どうだ常、これだけ半端者が集まってどんな事が出来るか、大向こうに見せてやろうじゃねぇか。乗るか反るか同じ釜の飯だ」


相撲常は大兵ながら感激するとすぐに面に出る。既に細い目からは熱い涙が流れ落ちている。鼻水を拭こうともしない。



「綱五郎さん、ありがとう、ありがとうよ。俺ぁそれを聞いて安心しただ。親分の為に俺ぁなぁ、もう明日死んでも悔いはねぇんだよう」

「判ったな。判ったらもう夜も遅ぇや。明日は草薙の普請場詰めだろう、酒はその辺にしてもう寝るとしようぜ。おう、洟拭けよ洟」

「あぁ」


二人が酒器を片付けようと腰を浮かせたその時、勝手口の戸を激しく叩く者があった。

ドンドンドン


「開けてくれぇ、開けてくれよう。俺ぁ小豆餅の喜助だ。誰かいねぇかよう、開けてくれよう」


ランプの光の中で二人は顔を見合わせた。長年に亙る無職渡世の業がそうさせるのか、それとも次郎長の用心深さがそうさせるのか、例え身内であっても夜半の訪問者にうっかり気を許さないだけの了見があった。身内の名を騙って殴り込みを掛ける等は、彼らの常套手段だったからである。
言葉を交わさず頷き合っただけで二人は持ち場に付いた。綱五郎は仕込杖を引き寄せ、相撲常は半身を引きながら心張棒に手を掛けた。

「喜助か? お前今夜は普請場詰めじゃあねぇのか? 何だって今時分…」

「その声は綱五郎さんで。開けておくんなせぇ。草薙の普請場が一大事で」

「待ってろ」


常は心張棒をゆっくりと外した。綱五郎は油断なく勝手口を開ける、と。
血塗れになった男が転がり込んで来る。すかさず表を見回したが誰もいない。そこまで確かめて綱五郎はようやく怪我をしている男の方に目をやった。


「喜助! どうした、何だそのザマは」


頓狂な声を挙げたのは相撲常であった。


「常兄さん、殴り込みだ。普請場に殴り込みだ!」

「野郎! 相手は誰だ! 何人いた! まだいるのか!」

「待て待て、常。怪我人を揺さぶるんじゃねぇ。喜助、浅傷だぞ、しっかりしろ」


その頃になると異様な気配を感じ取った泊り込みの子分達が台所に集まって来る。


「茂吉、焼酎を持って来い。伊蔵はありったけの晒しだ。初五郎、すぐに良仙先生の所へ行ってな、遅い所を申し訳ありませんがと言ってお連れ申せ。小吉は啓次郎さんに知らせて来い」

「差し出がましいが綱五郎さん」

「何だ岩吉」

「喜助から事の次第を聞いたら、足の速い所であっしが藤枝のお貸元の所にいる親分へご注進に参ろうと思いやす」

「おう、そりゃあ助かるぜ。早く親分に知らせなきゃいけねぇと思っていたんだ。さぁ、喜助、しっかりしろよ。一体普請場で何があった。順序立てて話して見ろ」

「人足衆が寝付いて大熊兄さんや酒向先生やあっし共が寝ずの番に就いた頃、急に奥の飯場から火が出やして」

「うん」

「慌てていると見当違いの方から唸り声がしやすんで見るってぇと、酒向先生が頭から血を流して倒れておりやした」

「何、理心流目録の酒向先生が…」

「へぇ、後は頬被りした奴が大勢柵を乗り越えて来やして、手近な飯場に押し入るとそっから悲鳴が上がっておりやした」

「うむ…俺達だけならまだしも、手伝いのお百姓衆が殺られたってのか」

「へぇ、恐らく」

「馬鹿野郎! 手前、尻小玉抜かれてしおしおと戻って来ただか!」

「違いやすんで。二人相手に斬り合っていた大熊兄さんが、お前は江尻に走って変事を伝えろって…」

「常、止せ。それで、相手の獲物は何だった? 太刀か? 脇差か? 手槍か?」

「竹槍を持った奴もいやしたが、殆どは一本差しで」

「一本差しとなりゃあ綱五郎さん、親分に遺恨のあるやくざ者の仕業でねぇか。ほれ、去年も黒駒身内の」

「あぁ、鰍沢の三蔵か」


去年の夏、大政達を連れた次郎長が三保の線路普請を見回っていた最中、「元黒駒勝蔵身内鰍沢の三蔵! 親分の仇だ」と言って斬り掛かって来た若者を、綱五郎は思い出していた。次郎長は既にやくざではない。だから相撲常や啓次郎に取り押さえられた三蔵は、そのままポリスに引き渡された。
その時、次郎長は絞り出すような声で誰にともなく言った。


「あいつは馬鹿だ。どうしようもねぇ馬鹿だ。俺も大した馬鹿だったが、俺ぁ運良く山岡様に助けて頂いた。でもな、あんな山岡様に会えなかった奴等を、俺ぁどうにかして救ってやりてぇんだよう」


半端者の鉄道か…。綱五郎はほんの一瞬だけ感傷に耽った。(以下次号)