お伊勢ロケット




昭和13年から始まった大阪伊勢直通超特急電車は、その速さで夙に有名になった。





流行の流線形をした前頭部にはスピーカーが設置されていて、駅を通過する時には伊勢音頭を流す。伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつヤートコセ…
所が余りにも電車が早いので沿線の人の耳にはドップラー効果を伴った「ヤートコセ」しか聞こえない。

大和柏木駅。ここは数キロにも及ぶ直線区間の中間にあり、超特急電車が最も速度を上げる場所にあった。
折しも木造や昭和初めの野暮ったい半鋼製電車の各駅停車が慌てふためきながら待避線に収まる。近在の暇人達が見物に押し掛けているが、それを眼鏡の老駅長が声からして制止している。

「それ、そこのあんた、何かに掴まっとらんと衝撃波ちゅうもんに吹き飛ばされまっせ、そこの女子はん何してますねん、頭にお釜被って」
「あんた知らんのかいな、これは流行のパーマネントや、衝撃波の後にアッツい風が来まんねやろ、写真見たら皆頭にお釜被ってるさかいあたしも…あっしもた、お釜にご飯粒残ってたわ、どないしょ髪の毛にくっつくがな」
「長生きしなはれ、さあさ、もうすぐ来まっせ、吹き飛ばされんようにな」

「清やん、ホンマに飛ばされるんかいな」
「ああ、こないだは酒屋の甚六が台湾まで飛ばされたらしい」
「ホンマかいなそらえらいこっちゃがな、で六ちゃんどないした」
「ひと月もしたら頭にバナナ乗っけて帰って来よった」
「んなアホな」

見物が呑気にワイワイ騒いでいる内に、列車接近を知らせるサイレンが遠くから響いて来る。
聞く人の血潮を凍り付かせる程の恐怖心を呼び覚ますハイピッチの金切り声があっという間に近づいて来る。

「来よった」
「へええ、妙法蓮華経南無妙法蓮華経、お祖師様どうかお助け」
「お婆さんあんた拝んどる場合ちゃいまっせ。怖いんやったら見物に来なければええですがな」
「冥途の土産ですよってに」
「ホンマに冥途に持ってかれまっせあんた、あかん、来よった!」

運転席上のサイレンは相変わらず甲高い叫びを響かせる。運転席前にある運転手の喉頭マイクと直結しているスピーカーから、血走った眼をした運転手の独り言が全部響いて来る。

「どけどけえ、お伊勢参りのお通りじゃあっ、ボケっとしとったら吹き飛ばすでこのアホンダラあ!」
「何かに掴まれえ、口をおっきく開けえ、何でもええから叫んどれば大事無いでえ、うわあーっ!」

マッハ0.8の亜音速で海老茶色の何かが通り過ぎた、と思うとコンマ数秒後には猛烈な衝撃波が襲って来る。印半纏に腹掛け姿の男が笑い転げながら空を飛んで駅前の池に頭から落ちて行ったりする。



衝撃波の後から数千度の高温域が一瞬だが襲い掛かり、同時に列車の後を追い駆けるように吹き返しの烈風が吹きすさぶ。紙やら木の葉が燃えながら列車の後を附いて行くように飛んで行く。先を見れば、補助動力のロールスロイス製ロケットエンジンの青い炎だけが見えるばかりである

「ああ驚いた、皆無事か、怪我しとるモン居てへんか? お婆さんあんたエライ二つ折れになってますがな」
「これは元々でござりますよって」
「持ち運びに便利や。女子はん、あの頭に飯炊き釜被った女子はんどないした」
「どないもこないもあれしまへんがな、ご飯粒がくっ付いとって焼かれたモンやから、頭が焼きお握りになってしまいましたがな」
「ええ歳して何してはるんや…一人吹き飛ばされたヤツがおったが、誰じゃ、大工の喜八か、あいつどないしてんねやろ…ああおったおった、駅前の溜池から鯉を咥えて這い出して来よった、おおい喜八、大事ないか」
「風邪ひきそうやがな。しかしあのロケットちゅう電車速いなあ、大阪からお伊勢はんまで1時間やがな。遠くて近きは電車の道、近くて遠きはこいの道や」