自動車教習所風景
「はい、安田さんですね。教官の今井です。よろしく。
実技は初めてですか?あぁそうですか。学科は? はぁ、2ヵ月学科を受けて実地が初めてとは珍しいですね。主婦の方ですか。時間があればなるべく集中して実技をマスターした方が良いですよ。
では、今日は始業前点検をして、その後時間があればコースを回って見ましょうか。じゃぁ教習車の方へ行きましょう。
この教習所の教習車は全部AT車だとは聞いてますね。あぁそうですか。運転に集中出来るから今じゃ殆どAT車になりましたよね。はい、ではこの74号車で、今日は教習を行います。
始業前点検。はい、やってみましょうか。先ずは、そう、ボンネット開けましょう。そうやって、そう、うわっと! ボンネット開ける時は必ず掛け金を掛けてから頭を突っ込みましょうよ。何かの拍子でボンネットが落ちて来たら大変な事になりますからね。はい、掛け金掛けて。
では先ずどこから点検しますか?・・・そうではないですね。オイルバーナは後です。先に見る所は・・・そう、パンですね。パンの中が一杯になっていないかどうか、確認して下さい。
ついでですけど、10月から道交法が改正になりました。その中に、アシュを指定場所以外に棄てると1点減点になります。ではパンを元に戻して下さい。ロックして、そう。カチッと音がするまで。そう。
次はファンベルトを見ましょう。そうですそうです。指で押して見て僅かでもたわみがあれば直ぐにスペア部品と交換するんですね。ファンベルトは高熱に常に晒されていますから、特に長時間運転した後は必ず点検しましょう。え? それはですね、送風機がイカレると走行中に出力が上がらなくなるからです。上り坂でこうなると目も当てられませんからね。
送風機の左側に顔を出しているのが「AMS」、で右側に突き出しているのが「オートインゼクタ」です。覚えておいて下さい。
はい次。オイルバーナを見て見ましょう。ハンドピストンを軽く押して見て、自然に抵抗があれば内圧は大丈夫です。もし押して見てスカスカだったりしたら、内部の圧が抜けている可能性があるので、その手前のコックを閉めてハンドピストンを2~3回押して見ます。そうするとその内に抵抗が出てきますからそうなったらコックを解放して完了です。これを怠るとエンジンが始動出来なくなりますから、神経質な位点検して下さい。面倒がらずに。
・・・え? そうですよ。皆教習所で勉強している内は教えた事をきちんとするんですけどね、免許を取った途端に点検しなくなりますからね、今の内からしっかりと点検をマスターしといて下さいよ。
はい、ボンネット閉めて。バタン。
では車の周りを回って見ます。
ここでは何をチェックするかと言うと、タイヤの空気圧ですね。・・・そうそう、そうです。指で押して変形しない程度が理想ですね。例えば高速を運転する時なんかは多少圧を掛けて置く方が経済的ですし、タイヤのバーストも防げます。
はい、それでは運転席に座って下さい。・・・そう、良く出来ました。ドアを開ける時は必ず後方を確認する事ですね。自転車が走ってきて避け切れない事がありますから。
ではエンジンを始動する前に、一通り機器の説明をしておきましょう。真ん中にある、それ、ハンドル。そうですね。言わずもがなですね。
で、ハンドルの左側に出ているスティック状のレバー、・・・そうです。普通はバルブと呼んでいますが、正しくはレギュレータハンドルと言います。出力の調節をするものです。・・・あぁ、試験にも出ますよ。必ずね。
レギュレータハンドルの右に、丸くて赤いボタンが見えますか?これが「AMS作動スイッチ」です。これまでのマニュアル車では手作業で行っていたMSの動作を、AT車では自動でやってくれちゃうんですね。便利なものですよ。
あなたの座席の左側にあるレバー。これは逆転器です。そうです。バック運転の際はこれを引き起こすんですね。普段は寝かされている状態で、これが順向の状態です。
ではハンドルの右側。小さいレバーが見えますか? これがブレーキ弁です。ハンドブレーキとも呼びますが、一番良く使うブレーキなので扱いには良く馴れておいて下さい。
ブレーキ弁の左側に今度は丸い青いボタンがあるでしょう? そう、それです。それは「オートインゼクタ作動スイッチ」です。
判りますか? ハンドルの左側が燃料系で、右側が給水系のパネルになっているんです。これは世界共通です。良く聞かれるんですが、外車の右ハンドル車だと、この順序が逆なんですかって言うと、そんな事は無いんですね。アメ車だろうがディムラーだろうが、絶対に燃料は左、水は右なんです。覚えて置きましょう。
ハンドル正面のインジケータパネル左端のメーター。この水量メーターと燃料メーターを確認します。条件によって水の減り方が異常に早い場合もありますから、こまめに確認して下さい。
さぁでは始動してみますか。怖がらなくて良いですよ、今の自動車は安全に出来ているんですから。
まずイグニッションキーを少し回して見ましょう。一度目にカチッと言うまで回します。言いましたか? カチ。はい、そうしたらハンドル前のインジケータパネルを見ましょう。上の方に丸い青いインジケータが点滅していますね。
これはインゼクタがスタンバイしていると言う意味です。そうしたらさっきの青ボタンを押して下さい。押せましたか? インジケータはどうなりました? 点灯したままですね。それを確認したら、イグニッションキーをもう少し回して見ましょう。もう一度カチッと言うまで、はい、カチ。鳴りましたね。
そうすると今度はパネル上にオレンジのインジケータが点滅します。してますね? それはオイルバーナがスタンバイしていると言う意味です。もう少しキーを回しましょう。3度目のカチ。鳴りましたか? 次は赤いインジケータが点滅していますね。これはAMSスタンバイの意味です。そしたらAMSを作動させましょう。赤いボタンを押して。いやいや、押してすぐ離しちゃいけません。2~3秒押し続けます、そうそう。ピッピッピ、はい、ブザーが鳴りました。これでAMSは作動します。パネル上のインジケータも点灯していますね。
ここまで済んだら、今度はメーターを注視します。先ずパネルの一番右側のメーターの赤い針を注意して下さい。これはエンジン内の温度を表しています。これが青のエリアに入るとAMSが燃料を供給し始めます。インゼクタも作動を始めます。同じメーターの黒い針が動き始めますが、この針は圧力メーターです。もしも赤い針が規定の温度を差していながら、黒い針が動かなかったら供給系に異常がある筈ですから、一度エンジンを停止して、再度スタートさせて見ます。
さて、作動開始させてから常用圧力になるまでかなり時間が掛かります。かなり時間が掛かると言っても10分もあれば充分ですが、昔は常用圧まで1時間は掛かったものでしたよ。セーフティバルブがブレークするまで誰かしらが付きっきりで面倒を見なければなりません。マニュアル車は本当に面倒なものでした。でも手が掛かるだけに愛着もあったものですよ。
安田さんは免許を取ったらどう使うんですか?車を。
・・・え? はぁはぁ、パート先の往復ですか。あ、託児所の送り迎えもね、まぁ、そうした使い方なら普通の車で充分ですね。
ウチの教官で山重と言う男がいますが、彼は自動車馬鹿でしてね、マニュアル車に乗っていますね。あれはまぁ、好きだからこそ乗りこなせる物、趣味の車ですからね、一般の人にはお勧めはしませんね。
日立製作所 「リノセロスⅢM」
え? ルノアールですか? 確かに始動の速さは素晴らしいですけど、値段が高い上に燃費は言われてる程良くは無いですよ。まぁ、これは聞きかじりなんですけどね。結局ルノアールエンジンにしても、サイクルエンジンにしても、自動車のエンジンに革命を起こす程では無かったですね。
街中であれば電気自動車も良いですけど、あれは架線が張っていない所は走れないでしょう。やっぱり不便ですよ。当分はスチームエンジン車が幅を利かすんじゃないでしょうかね。
私の車ですか?いやいや、大した車じゃないですよ。汽車会社の小型車ですが、良く走りますんでね、気に入っているんです。
汽車会社 「カプリヴィA」
他の教官は日立とか川崎とかですね、後は日本車輌がベスト3って所でしょうね。
私は国鉄を定年で辞めた後、ここの自動車教習所の教官になりましたが、ここは元カマ屋は多いですよ。機関車のカマは大きいんでね、圧が上がるまで半日は掛かるのが普通でした。
あ、セーフティバルブがブレイクしましたね、言い難いな。安全弁が吹いたでしょ。カマの圧が常用圧に達したと言う事です。
そうそう。丁度圧力釜と同じ事ですね。
では始業前にして置かなければならない事、先ずはコンプレッサーへのバルブを少し開きましょう。そう、○にCと書かれた黒いボタンですね、それを一回押して下さい。床下からシューシューと蒸気の漏れる音がしますね、ドレンが出ている音です。
音がしなくなったら、もう一度Cのボタンを押して下さい。それでバルブが閉まります。
今度はブレーキ・・・制動弁を強く締めて、はい締めて。逆転器をフルギヤにする、一杯に引いて。そうそう。加減弁・・・あぁ、レギュレータハンドルを心持ち開いて、少ししたら閉める。
こうしてシリンダを暖めないといけないんです。特に冬場は。面倒でもこれをして置かないとドレンが増えて出力が弱まる上に、ウオーターハンマを起こす事にも繋がりますから、必ずして置いて下さい。
さぁ、コースを回って見ますか。
へへ、定年後3年経っても、運転の時は首タオルとこの帽子を被らないと気分が出ません。気にしないで下さいね。
後方注視!
・・・へ? じゃないだろ、復唱しないでどうするんだ!
後方注視!『こ、こーほーちゅーし』
逆転器フル! 何してんだ、加減弁を手荒く扱う馬鹿があるか! 指の腹で叩くように扱うんだ。少しで良い、少しで良い。閉める。はい、閉める! 閉めるったら加減弁を閉めるんだ。制動!
後方注視、後部オーライ!『こーぶオーライ!』
前方よーし!出発進行!『しゅっぱ、しゅっぱつしんこー』
おい、何してんだ、汽笛吹鳴標識があるだろ。吹け吹け。足許のペダル。汽笛吹鳴標識がある時は適度一声。こんな直線はフルスロットルで突っ走れ。トロトロ走っちゃ石炭の無駄だ! それ交差点だ、短泣二声!」
ポッポォッ
結局彼女は頑張って学科と実技に合格したが、肝心のボイラー技師免許に落ちた為自動車運転を諦めた。託児所への行き帰りは自転車の前籠に子供を乗せて通っているらしい。