厚木地区の鉄道網の変遷-3(全3ページ)




Fig8:1963(昭和38)年

時代は少しく飛んで昭和38年の様子である。

東海道新幹線鴨宮実験線が試運転を繰返し、小田急電鉄には流麗なロマンスカーが行き交っている。建設中の東名高速道路は厚木にインターチェンジが設けられる事が決定し、町とその周辺は大きく変貌して行こうとしている時期である。

これまでの路線図と比較して大きく変わっている所が一つ。それは厚木から「砂利」と言うお客が消えてしまった事である。昭和25年の図と比較すると判りやすいが、それまで厚木近辺に乱雑に敷かれていた砂利運搬用鉄道が悉く消え、それを受ける鉄道駅の構内配線もやたらにすっきりしているように感じられる。川砂利の採取禁止が鉄道に与えた影響は誠に大きかった。

「本厚木」と名を改めた「相模厚木」には、それでもまだこの時代、構内側線にトムやトフが留置されていたものであり、川向こうの「河原口」改め「厚木駅」では、新たに開始された日産座間工場からの自動車輸送を受け持っている関係で相変わらず構内は賑やかである。

一変してしまったのは「厚木町駅」である。

市街地の中心が次第に「本厚木」寄りに移って来たこの時代、旧市街に位置する「厚木町駅」は砂利輸送が無くなると一挙に火が消えたようになってしまった。裏町の淋しいターミナルと化してしまったのである。
相陽線の厚木町~伊勢原間廃止が取り沙汰され出したこの頃には、データイム厚木町~伊勢原間1時間1本、平塚行きの直通電車は朝夕のみと言う廃れ方で、車両もかなりくたびれて来ていた1100系や1400系の2連と言うものであった。構内の線路は片端から外されており、僅かに一本の線路とホームのみ、駅舎の手入れも行き届かず、看板や広告の影に隠れているような駅と言う印象が強く残っている。

結局同区間は昭和42年3月19日付で廃止されたが、もし今も残っていたとしたら、50年代以降奥地において為された団地開発と相俟って有力な通勤路線と化していたに相違ない。




Fig9:1977(昭和52)年

次に大きく変貌するのがこの頃である。

「本厚木駅」連続立体交差化と、それに連動した駅前の変貌は著しく、その後の新しい厚木の顔を形作ったと言えよう。
湿っぽく汚らしい「古の郊外電車の駅前」を象徴する吸殻の山や寒々しい水溜り、不揃いな建物のスカイラインは瞬く間に整理された。この頃登場した9000系電車の斬新な顔と共に、目に馴染んだ町が一夜にして全く見慣れないピカピカの街に生れ変ってしまったようで、かなり戸惑った事を覚えている。

こうして本厚木側が整備されて行った一方で、川向こうの厚木駅側は昔ながらの佇まいを残している。炊事なのだろうか薄い練炭の煙を吐き出す煙突、黒いタール塗りの低い家並み、その間から高く枝を伸ばす欅や杉の木。そんな町から発着する列車は煤けた気動車か茶色い電車なのであった。十年一日、そんな鉄道情景が広がっている空間であった。
国鉄側でもしかし、丁度この頃から神中線には中古の103系が入線するようになり、相模線にも朱色一色のキハ30系が主流を占めるようになる。貨物はとうの昔にDD13に変わり、それもやがてDE10に取って変わられるであろう。

一挙にその姿を変えてしまった本厚木側と、徐々に、人がそれと気付かない程度に変化して行く厚木側。その対比はこの時より30年の間は楽しめるのである。




Fig10:1991(平成3)年

最後に近年の厚木近辺の線路配置図をご覧頂こう。

1987(昭和62)年、JR東日本に引き継がれた相模・神中線は、この頃になってようやくその顔を現代向きに変えた。従来の103系・キハ30系のコンビから205系2700代、3100代に置き換わり、相模線は電化によって、神中線は柏ヶ谷までの複線化完成によってそれぞれ運転本数が著しく増加している。貨物列車は姿を消し、両線共旅客輸送に特化した様子が線路配置からも伺える。

かつて、未だ砂利線の面影を色濃く残していた時代の相模線では「1時間に1本」「2時間に3本」と言った長閑なダイヤで運転されており、踏み切りで引っ掛ったらその日は一日ツイていないとまで言われたローカル線であった。
今、両線の沿線はそれまでのまどろみを振り払うかのように急激に変貌を遂げている最中である。水田と藪と松林の他には青空に屹立する富士山しか無かった場所に高層マンションが続々と立ち並び、埃っぽい街道は廃れ立派なバイパスが通り、川沿いには新しい高速道路が急ピッチで建設されている。



過去を振り返れば、水田の中に突如出現した小田急「相模厚木駅」の気ぜわしげな佇まいは、昭和初年代の人々に「新しい何か」を感じさせたに相違ない。そして長い人々の生活がもたらす様々な澱が積み重なり、昭和40年代の私の目には古く黴臭い駅前風景に映った。
その黴臭い駅前風景がまるで漂白されたように真新しい景観に急変した昭和50年代。「本厚木駅前」の猛烈な様変わりと同じ現象が、一世代を経た今、川の向こう側で繰返されている。そして正に出現しつつあるこの真新しい景観は、もう30年もすると古く懐かしい景観として目に映るに違いない。

その時私は生きているか?