アメリカ歌舞伎「冬椿聖職者忠義」
これは南北戦争中の架空の話です。南北戦争中の1862年、アメリカ連合国のジェファーソン・デイビス大統領はナッシュビルでテネシー軍を視察して指揮官と会談しました。その後専用列車でリッチモンドへ帰る途中、テネシー州アトックビル付近で機関車が故障して立ち往生し、更にその周辺を折あしく侵攻して来た北軍が瞬く間に占領してしまい、絶体絶命のピンチに陥りました。
丁度その時リッチモンドに所用があったレオニダス・ポーク将軍は、大統領に随伴していたので、二人は汽車を捨てて近くの無人になった牧師館で聖服を借り、徒歩で北軍の哨戒線を抜けようとしている所。ポーク将軍は牧師となり、大統領は従者、在家の牧師「勧士」に身をやつしていますが、果たして―
ロバット中尉「さてかく候うはビリー・ロバット、合衆国ミシシッピー軍中尉にて候。ケンタッキー州はレキシントンよりテネシーへ遥々遠征なし、アトックビルの町を落としたる所、拠無く敵国南部の大統領主従、ナッシュビルより都へ帰参途上に機関車故障致しおり、作り牧師偽牧師となりて徒歩にて帰参しつつあるとの電信あり、シャーマン将軍よりこの地に関を設け、もしも怪しき聖職者あらば厳しく詮議せよとの厳命により、それがしこの関を承る。方々さよう心得てよかろう」
兵卒A「仰せの如くこの程も、怪しき牧師を引っ捕え、矢来へ押し込め並べおきましてござりまする」
兵卒B「随分物に心得、我ら命に従い、もし牧師と見るなれば、御前へ引き据え申しまする」
兵卒C「聖職者たるもの来たりなば、即刻に縄掛け絡め取るよう、いずれも警護、致してござる」
ロバット「いみじくも各々申したるかな。尚も牧師の来たりなば、謀事を以て虜となし、リンカーン様のお心安んじ申すべし。方々きっと油断致すな」
兵卒ABC「かしこまって候」
デービス大統領「如何にやポーク、道々申す通り、斯く先々に関所ありては、所詮リッチモンドへは思いもよらず、名もなき兵の手に掛からんよりはと覚悟はとくより極めたれども、一同の諫めもだし難く、ポークが言葉に従いてかく勧士と姿を変えたり。そなたに謀事胸算用ありや」
ポーク将軍「容易くリッチモンドへは参り難し。それ故にこそ袈裟兜巾を除けられ、負櫃御肩に参らせて、閣下を勧士と仕立て候。とにもかくにもそれがしに、おん任せあって、おん労しくは候えども、おん帽子を目深に召され、如何にも草臥れ果てたる体にもてなし、我より後に引き下がり、おん通り候はば、中々人は思いもより申すまじ、遥か後よりおん入りあろうずるにて候」
旅の衣は篠懸の 旅の衣は篠懸の
露けき袖や しおるらん
時しも頃は如月の 如月の十日の夜
ナッシュビルをば 立ち出でて
これやこの 行くも帰るも別れては
知るも知らぬも 逢坂の
足曳きの 破る汽車こそ 恨めしき
陸路遥かに行く道の アトックビルにぞ着きにけり
ポーク「如何にこれなる牧師の、おん関を罷り通り候」
兵士A「なに牧師のこの関へ掛かりしとな」
ロバット「何と牧師のおん通りあると申すか。心得てある。のうのう牧師共、これは関にて候」
ポーク「承り候。これはメソジスト会派により、北軍勝利の為国々へ客僧を遣わされ、テネシー一帯はこの牧師承って罷り通り候」
ロバット「近頃殊勝には候えども、この新関は聖職者なる者に限り、固く通行なり難し」
ポーク「心得ぬ事どもかな。して、その訳は」
ロバット「さん候、聞けば南部大統領、テネシーへ行幸あらせられ、都へ帰る道すがら、機関車故障で詮無くも、メソジスト僧に身をやつし、徒歩にて帰り給ると、我が将軍聞こし召され、厳しく詮議せよとの厳命以て、それがしこの関を承る」
兵士B「牧師を詮議せよとの命で、我ら番頭仕る。殊に見れば怪しき勧士、いずれも通す事罷りならぬ」
ポーク「委細、承り候。それは作り牧師偽牧師をこそ留めよとの、仰せなるべし。真の牧師を留めよとの、仰せにては候まじ」
兵士C「いやとよ昨日も牧師、三人まで撃ち果たしたる上は、仮令真の牧師たりとも容赦はならぬ。たって通らば一命に及ぶべし」
ポーク「さて、その討ったる牧師首は、これなる指揮官殿か」
ロバット「ああら、むずかしや。問答無用。一人も通す事罷りならぬ」
ポーク「言語道断。神も畏れぬ、かかる不祥のあるべきや。この上は力及ばず。さらに最期の勤めをなし、尋常に誅せらりょうずるにて候。これよ勧士、近うわたり候へ。いでや最期の勤めをなさん」
ロバット「近頃殊勝の、おん覚悟。先に承り候へば、北軍勝利の勧進と仰せありしが、勧進帳ご所持なき事はあらじ。勧進帳を遊ばされ候へ。これにて聴聞仕らん」
ポーク「何、勧進帳を読めと仰せ候や」
ロバット「如何にも」
ポーク「畏まって候」
ポーク「それ、つらつら、惟ん見れば」
ポーク「神宣う、神垂れさせ賜う御綸旨は、その造物たる霊長に、全く矛盾あるべからず。尚有難き御綸旨に、人の持ちたる生業と、その神性の確かなると、御教えに背く共輩を、地獄へ追うて仕置きをなし、正しき信者を永久に、救い賜わざるべからず。美しき御霊に帰依なして、浄め賜いし者共は、畢竟如何様なろうとも、後々堕落致すまじ、その者最後に至らんまで、固く結びし結縁の玉、久遠の救いあらざるなし。それその持久なるものは、信徒の意志に非ずして、父なる神より携せらる、不変無量の救いに依りて、主キリストの功績と、これこの普遍なる功徳を俟ち、賜る恩恵を契約となし、そは無謬たりとの証なり」
天も響けと 読み上げたり
ロバット「勧進帳、聴聞の上は疑いは、あるべからず。さりながら、事のついでに、問い申さん。世に信徒の姿様々あり。中にも牧師と言えるは、ことつましき姿にて、神の僕とはいぶかしし。これにも謂われあるや 如何に」
ポーク「神に仕えし牧羊者と言えるは、固より私心些かもこれなく、黒は私欲を絶ちたる色なれば、それ故聖服は黒色なり。聖服に飾りなきは、世俗の虚仮虚飾を忌避なし、以て全霊を神に捧ぐる故にて候」
ロバット「使徒信経とは如何に」
ポーク「されば、造物主にして父なる神、全てを贖われし一人子イエス、生命の与え主たる精霊を三者となし、三位一体に帰依致すべきを説いて候」
ロバット「教会は何を信仰の基と致すや」
ポーク「くすしきは神のおん言葉、み業を基となし居り、そは聖書に遍く、示しありて候」
ロバット「聖書とは如何」
ポーク「されば聖書は、古き民の賜りし、神のおん言葉記す旧約、救世主の啓示賜いし、神示す道則を記す新約、これ二通りあるべし。救済の道は、全く記しこれあり候」
ロバット「しからば旧約聖書に、神は何を示しおられるや」
ポーク「造作もなき事。我の他崇むるべからず。我を形取るべからず。我が名を濫りに唱うべからず。安息日を設けざるべからず。父母に孝を尽くさざるべからず。殺生すべからず。邪淫すべからず。偸盗すべからず。妄語すべからず。非時食すべからず。数えて十の戒めにて候」
ロバット「その金言、救世主は如何に諭しありしや」
ポーク「真に至誠を以て己が神に帰依致すべし、また己に同じく他にも寛けれと訓え候」
ロバット「さてさて、有難き金言なれども、各々自ら律しそれを護り得ると思うや」
ポーク「そはなり難し。されども神の援けにより護り得べし」
ロバット「そも信徒とは如何」
ポーク「されば信徒は、主イエスと教会を負い、何処方にても神に帰依なし、神より賜る諸々にて、此岸にて和解の業をなし、教会を援け礼拝の場を守る者にて候」
ロバット「しからば聖職者とは如何」
ポーク「主イエスと教会を負い、信徒諸共神のみ言葉を述べ伝え、み業を崇め聖典を催し、さてまた奉仕の業をなさしむる為、主イエスの聖名を以て建てられし、主教、司祭、執事の事にて候」
ロバット「信徒の勤めや如何」
ポーク「神の望みを知り、我から神の僕となし、その勤めに自ら擲ち、悪鬼を払い礼拝と奉仕に励むべし」
ロバット「そも神の望みとは如何」
ポーク「主イエス此岸に再臨なす時、依って顕るる神の国の建立に如かん。まだこの上にも、神の道におん疑いあらば、尋ねに応じ答え申さん。が、その道広大無量なり。肝にえり付け人にな語りそ。あなかしこ、あなかしこ。天なる父も御照覧あれ。百拝稽首、かしこみかしこみ、謹んで申すと云々、かくの次第」
ロバット「かかる尊き客僧を、しばしも疑いしは我が誤り。今よりそれがし、北軍勝利の勧進の施主にぞつかん。それ、布施物持て」
兵士A「ははあ」
ロバット「近頃些少には候えども、それがしが功徳何卒と、ご受納下さらば。偏に願い奉る」
ポーク「こは、有難の大檀那。神の国はそなたが物なるべし。ゆめゆめ疑いかあるべからず。重ねて申す事の候。なお我々は近国を勧進し、卯月半ばに、再来致すべし。それまでは、かさ高の品々、お預け申す」
ポーク「さらば勧士、おん通り候え」
デイビス「心得て候」
ポーク「いでいで、急ぎ申すべし」
ロバット「如何にそれなる勧士、止まれとこそ」
ポーク「あいや暫く。慌てて事を、仕損ずな。ここな勧士め、何とて通りおらぬぞ」
ロバット「それは、此方より留め申した」
ポーク「それは何とて、おん留め候ふぞ」
ロバット「あの勧士がちと、人に似たると申す者の候う故に、さてこそ只今留めたり」
ポーク「何、人が人に似たるとは、珍しからぬ仰せにこそ。さて、誰に似て候ふぞ」
ロバット「南部デイビス大統領に、似たると申す者の候ふ程に、落居の間、留め申した」
ポーク「何、デイビス殿に似たる勧士めは。一期の思い出な。腹立ちや、日高くは、ケンタッキーが境まで、越そうずるわと思いおるに、僅かな笈一つ背負うて、後へ下ればこそ人も怪しむれ。総じてこの程より、デイビス殿よと怪しめらるるは、己が業の拙き故なり。思えば、にっくし。憎し、憎し。いで物見せん」
ロバット「如何様に、陳ずるとも、通す事」
兵士A~C「罷りならぬ」
ポーク「まだこの上も、おん疑い候はば、この勧士、荷物の布施物諸共に、お預け申す。如何様にも御詮議あれ。但しこれにて、打ち殺し見せ申さんや」
ロバット「いや、牧師殿の、荒けなし」
ポーク「しからば只今、おん疑いありしは、如何に」
ロバット「兵卒の者の、我への、訴え」
ポーク「おお、疑念晴らし、打ち殺し、見せ申さん」
ロバット「いや、誤まり給うな。兵卒共が、由なき僻目より、デイビス殿にもなき人を疑えばこそ、かく折檻もし給うなれ。今は、疑い晴れ申した。疾く疾く誘い、通られよ」
ポーク「大檀那の仰せなくんば、打ち殺して捨てんずものを。命、冥加に、適いしやつ。以後はきっと、慎みおろう」
ロバット「我はこれより、なおも厳しく警護の役。方々来たれ」
兵士A~C「ははぁ」
ポーク「疾く疾く、退散」
ロバット「のうのう、牧師たち、暫し、暫し。さてもそれがし、余りに率爾を申せし故、粗茶など一つ進ぜんと、今ここに持参せり。いでいで一椀、参らせん」
ポーク「あら有難の、大檀那。ご馳走頂戴仕る」
ロバット「先達、厚かましき仕儀なれど、我と我が兵士が武運、是非是非神に祈りくれたし」
ポーク「しからば」
ポーク「全能の神聴こし召せ、我誤てり、我ら万能なりとの誤謬に陥り、神に帰依なし慈悲を賜る、身の程なりとを失念なし、これより後の陥穽ありとも知らず、唯慢心懈怠数知れず。願い奉る無辺の慈悲以て、広大のみ恵み垂れさせ賜い、乞う我らに武運を下し置かるべし。斯くあれ斯くあれ。喝」
これなる山水の 落ちて巌に響くこそ
鳴るは瀧の水 鳴るは瀧の水
日は照るとも絶えず とうたり
疾く疾く立てや 手束弓の
心許すな関守の人々
暇申して さらばよとて
笈をおっ取り 肩に打ち懸け
虎の尾を踏み 毒蛇の口を
逃れたる心地して リッチモンドへぞ 主従下りける
―作中のレオニダス・ポーク将軍は実在の人物で、南北戦争前は米国聖公会のルイジアナ主教を務めていました。その一方ウエストポイント士官学校をも卒業し、その折の同級生、ジェファーソン・デイビスに頼まれて軍人となりました。1864年のパイン山の戦いで、山の上で陣地構築の視察をしている時に、北軍の放った3インチ砲弾3発を身に受けて絶命しました。その最期が衣川の弁慶立ち往生を髣髴とさせるので、今回「勧進帳」の弁慶役を振った次第です。