60年目の「因果」




ご無沙汰して申し訳ない。
孫に嫌われたり嫁に嫌味言われながらも、何とか無駄に生きているよ。
どうにか家賃収入で食い繋いでいる現状では旅もままならない、さりながら他にこれと言った楽しみがある訳でもなく、たまに実物誌を立ち読みしては新しい情報を仕入れ、「足の丈夫な内に」乗っておこうと老体に鞭打つ日々だ。
歳をとった所為か最近の「電車(あれを電車と呼んで良いのであれば、だが)」は全く理解出来ない。電車らしい形をした電車は、最近とんとお目に掛かってはいないので、もう所謂「乗り鉄」は止めようかと考えていた所だ。

先月、いや先々月だったか(物忘れが酷いのはお互い様だよ)、鉄道ファンデーションにこんな記事が載っていたのを覚えているかい。
「今なお健在、最後のJR型電車」ってさ、E231とかE217の特集を組んでいた。いやなに、私にとっても君にとっても、E231やE217は「必要があったから乗る」電車だった。あの頃はとても趣味の対象では無かったよ。旧型国電、と言っても今から80年以上前に造られた電車の事ばかり頭にあった。丁度社会の中に出てアップアップしながら泳ぎ回っていた頃だよ、嫌だね年寄の繰言は。

中央線の大月から先には、未だにE231が残っていると言う。そこで乗って来たのだ。近い事もあるし、自分が現役だった頃のお馴染の電車があと一年そこそこで乗れなくなってしまうのだから、ちょっと出掛けて来たのだよ。
良く覚えていないのだが、E231は後の日本鉄道NP1の原型になった機能的な車両だ。丁度西の221系が山陽鉄道のWPT系の元祖だったようにさ。電車に詳しい君には釈迦に説法かな。そのオリジナルに急に乗りたくなった。




メモに残してある。
2035年5月8日、甲武鉄道中央線1431M
大月‐松本

クハE79010(旧称クハE230)
モハE71002(旧称モハE217)
モハE72806(旧称モハE230)
クハE76002(旧称クハE217)

知っての通り31年の大改番でE231系はE73系に、211系はE80系になったね。E217はE70系だ。この凸凹編成を見ていてふと思い出した光景があったのだよ。

もう60年以上も前の事だが、まだ若かった親爺に連れられて富士急ハイランドへ行った時の事だ。あの時は高尾までオレンジの103系で、そこから先は71系に乗換えて行ったのだ。富士急線へ直通する電車が走っていたのだなぁ、今では信じ難いがね。
まだデジタルもホログラムも無かった時代だから記憶は写真でって事になる。だからあの頃の記憶は水色なのだ。デジタル処理をしない唯のカラー写真だから褪色すると水色っぽくなるね。未だに脳裏に蘇るのは「水色っぽいホームに停まったクハ76の前で親爺と並んでポーズを決めている60年以上前の俺」なんだな。

その時の編成と奇妙に符合したのが、この間乗った編成なのだ。




あの頃はメモを取る習慣なんぞ無かったから写真見て判断するしかない。

クハ79
モハ71
モハ72800代
クハ76

3ドア4ドア入り乱れ、片や切妻、片や貫通半流。機器やアコモは変われどこの混ぜこぜ編成の味わいだけが60年の歳月を越えて蘇ったと見る私は余程弱気になっているのだろうか。まぁ誰しも歳を取れば気弱になる事もあるだろうよ、位に思っているが。

ではこの辺で筆を置こう。お互い若く無いんだから気丈に慎重に、残された日を楽しもうじゃないか。ナオヤ君とタカヤ君にも宜しく伝えてくれ。
2035年6月某日