日本(インチキ)風俗大系 -4-
高知県鷹香郡八浦町御所浦地区。
南に入り江を臨み三方を山に囲まれた穏やかな漁村である。
承久三年、執権北条氏の意に染まなかった安宅皇子が流され、仮の御所が営ま
れた事に由来する御所浦には、何時頃開基したものとも知れない古い神祠や何
宗とも知れない寺院が散在する事で知られている。
名産は場所柄から当然なが
ら鰹である。新鮮な鰹を目の前で叩いて酢橘醤油と味醂を合わせた独自のたれ
で頂く皿鉢料理はここ御所浦独自のものである。海沿いの宿屋ならば特に注文
しなくとも割増料金不要で味わえるのが嬉しい。
人々は土佐沿岸らしく陽気で騒々しい。海に生きる人々は何時漁場で命を落と
すか判らない故、このような民族性が出来上がったものであろう。
他の地域とはっきり違う所が一つだけある。
「憎米」。この静かな村の人々は、この考えに対して一人も例外は無い。単に
アメリカが嫌いなのではなく、甚だしく憎んでいる節があり、平和な漁村風景
にそぐわない不協和音として心に迫るのである。確かに外来者が何となくアメ
リカの話題を口にした程度では普通に無関心な合いの手を入れて来る位である
が、もしもその人がはっきりとアメリカを褒め称え、手放しに賞賛したような
場合、言われた村の人は不機嫌を隠そうともしない。口を聞いてくれなくなる
であろうし、もしも釣り等で長期滞在するのであれば確実に居場所を失う破目
に陥るのである。
何故御所浦の人々に限ってアメリカが心から憎いのであろうか。
太平洋戦争の折、合併前の御所浦村からは延べ十八名の男達が出征し、内一人
が戦死している。だからと言って他に例が無い程アメリカを憎むとも考え難い
し、戦死した一人は中国大陸で亡くなっている。
それでは幕末に何かあったのであろうか。
記録によれば安政二年と弘化元年にそれぞれ
一度づつアメリカの捕鯨船が近くの日向浦に来航している。これとても単に嵐
を避ける為であったり生鮮食品を買い求めたに過ぎない。御所浦の人々と接点
があったにせよ何事か険悪な物を感じる訳ではない。
四月十二日に直近の日曜日は、御所浦の住民が全員集まって祭りを執り行う慣
わしになっている。祭りの名前は明らかではないが部外者の参加は基本的に認
められていないと聞き、もしかしたら村を覆う「憎米感情」を解く鍵はその祭
りにあるように思われた。
偶々同期入社の記者が日向浦の出身であり、御所浦に親類もいると言う事を聞
き彼に同行を頼んで祭りを取材する段取りを付けた。
予土線の土佐中郷でバスに乗り換え、重畳たる山並みを辿る事一時間半。目指
す御所浦は輝く海に抱かれて眠ったように眼下にあった。このバスが走る自動
車道は実に昭和40年代に入ってから完成したもので、それまでは陸路で御所
浦に辿り付く事は不可能であった。古来からこの辺りの人々は隣村に行くにも
帆を張り舵を取って行き来していたのである。難解な高知弁が更に訛ったよう
な土地の言葉もこの閉鎖性を暗示しているのであろうか。
一旦宿に落ち着くと同行の記者の引き合わせで御所浦の自治会長氏に取材を試
みた。自治会長は色々と言葉を濁しながら最終的にこう語ってくれた。
「この地区がよ、米国憎しで固まっちゅうのは不思議でも何でも無いけんどよ、
その訳はそう簡単に教えゆう事は出来んがよ。興味本位で余所の人にほじられ
ゆうのは我慢出来んきにねぇ」
「この前の戦争? そんな昨日今日の話じゃあらせんがぁで。土地には土地だ
けの業がありゆうでよ、そう万人向けな話とは訳が違うぜぇ」
その夜、いよいよ祭りに同行する次第となった。
二ヶ所神社と言う山上の祠の前に、夕方頃から三々五々村人が集まって来る。
先刻は紺のブレザー姿であった自治会長氏も独自の衣装に着替えてやって来る。
およそ人々が参集した頃合を見計らって、自治会長氏の先導で更に山奥へと分
け入って行く。その細い尾根道の途中に奇妙な白い像が祭られている。
その像の前に人々は一斉に額づき、口々に祈りの言葉を唱える。
何人かの男がギターとハーモニカで陰鬱な曲を奏で始めると人々はそれに唱和
し始める。男達は憤懣やるかたない表情を隠そうともせず、女達は誰もが聖像
の足に取りすがって泣きながら唄っている。
音楽は次第に熱狂し誰の口からも憎々しげな口調で呪詛の声が上がり、熱狂が
ピークに達した頃、聖像の前に置かれた石の舞台に上がった自治会長氏は大音
声を発する。
「Todos podemos oirnos. ?De quien la cosa California es sur de Sonoma?」
(皆聞け、ソノマ以南のカリフォルニアは誰の物だ!)
「Pertenece a nosotros!」
(俺達の物だ!)
「?Como Nevada es? ?Arizona? ?Como Nuevo Mexico y un leaguer de Texas
son?」
(ネバダは? アリゾナは? ヌエヴォメヒコやテハスは誰の物だ?)
「Fue decidido. Pertenece a nosotros!」
(決まっている、俺達の土地だ!)
「Nuestro antepasado ha salvado erigiendo y misiones evangelizadoras
que luchan con un indio. Pero los Americanos tomaron la tierra y nos
desterraron!」
(俺達の祖先はインディオと闘い、ミッションを築き伝道しながら開拓して来
た。しかるにアメリカ人はその土地を奪い吾等を追い出した!)
「!Esta siendo incapaz permitir positivamente!」
(断じて許せない)
「Yo reconquistare algun dia ciertamente. Nosotros los reprenderemos.
Usted promete San Francisco. Nosotros necesitamos decir ciertamente
que nosotros tomamos Nuevo Mexico de nuevo.」
(何時の日にか捲土重来して見せよう。奴等に目に物見せてくれよう。この聖
フランシスコ様に誓うのだ! 吾等は再びヌエヴォメヒコを奪い返すと)
「Santiago! Santiago! Santiago!」(南無八幡!)
「Recuerde San-Jacinto, y recuerda Santiago de Cuba.」
(サン・ハシントを忘れるな! サンチャゴ・デ・クーバを忘れるな!)
「Santiago! Santiago! Santiago!」
「!Haga una matanza al Americano que fue confinado en el fuerte! Un
amigo--! !Tena Rio Branco rojo con su sangre!」
(友よ! 砦に篭ったアメリカ人を皆殺しにしろ! 奴等の血でリオブランコ
を赤く染めろ!)
「Santiago! Santiago! Santiago!」
今や声を嗄らしたカウディリヨ−自治会長氏はこの祭りの日に限ってこう呼ば
れる−は黒いソンブレロを高く振りかざし、聖フランシスコ像の前に仁王立ち
となって涙を拭おうともせず立ち尽くしている。
用意された星条旗が焼かれ引き裂かれ踏み付けられる。アメリカ兵を模した赤
い紙製のブレザーを着せた藁人形が燃やされ、人々は口々に「皆殺しの歌」を
歌って夜が更けて行く。
この祭りの模様を伝える事が、村に伝わる「憎米」の謎を解く鍵となる事は間
違い無い。がしかし新たな謎が生じた事も忘れてはならない。謎は自ずから増
殖し再び我々の頭を悩ませる。
翌月曜日、村は元通りの静けさを取り戻し、海は穏やかに輝いていた。