羽根鉄道輸送量概観・3
3、最盛期~終局(1955~1977)
旅客単位:千人 貨物単位:トン
年 度 |
定期旅客 |
定 期 外 |
合 計 |
貨物・薪炭 |
貨物・木材 |
貨物・其他 |
貨物・合計 |
備 考 |
1955 |
109 |
108 |
217 |
33,110 |
26,240 |
4,005 |
63,335 |
|
1960 |
117 |
76 |
193 |
20,178 |
22,303 |
7,240 |
49,721 |
幸島、竹崎行バス運行開始 |
1965 |
142 |
41 |
183 |
2,771 |
10,504 |
5,390 |
18,665 |
薪炭輸送組合解散 |
1977 |
104 |
35 |
139 |
8 |
4,456 |
453 |
4,917 |
9月30日廃線日までの累積 |
1950年代は、貨物輸送量に陰りがほの見えるものの、旅客輸送量は開業以来最大を記録した。定期旅客の増大の他に定期外旅客も堅調に見える。これは羽根から県都、幸島や地域の中心都市、竹崎へ向かう為には、羽根鉄道で半田川へ出て、国鉄線に乗り換える必要があった為である。
その状況が覆るのが、1959年に完成した国道バイパスを利用して、羽根から幸島、竹崎へ直行するバス路線の開業によってである。1960年の旅客輸送量は、定期は落ちていないものの定期外旅客が目に見えて減少している。
加えて貨物輸送の衰微は、プロパン・都市ガスの普及によって始まった。上質の羽根炭は1960年頃から販売量が先細り始め、沿線各地の羽根窯はこの時代続々と火を落した。一部に需要は存在したが、その量はオート三輪一台で充分なものであった。
その他貨物は終末期まで堅調であるが、これは主に化学肥料の輸送によって保たれる数字である。廃止直前の8月28日まで、貨物列車は運転されていた。
羽根鉄道はその重責を果たし、地域史の中に埋もれた。1977年9月30日の事である。