「田園交響詩」



1980年日映 さわだまさし監督・主演


あらすじ:戦前の実話に基づいた映画である。
大正末期、東京の農学校で学んでいた青年(さわだ)は、都会の生活に嫌気が差し、田舎の農民の実生活に触れたいと放浪の旅に出る。落ち着いた先は北羽根郡講掛村の寺であった。そこで寺の小間使いをしながら農村の生活を学び、その傍ら子供たちに勉強を教えていた。そして本山での修行から帰った若住職(柳田敏郎)や、村に居着いてしまった元ドイツ捕虜、ハイネマン(蝦蟇目良)らと意気投合。やがて農民のための総合文化施設「こかげの家」を、羽根鉄道講掛駅近くに建設する。
そこで青年は新しい農業を、若住職はくだけた説教を、ハイネマンは土地の有効利用をそれぞれ説いた。そして時には講釈士や落語家、旅の役者を招いて演芸会を催し、唯でさえ沈みがちな農村の生活を少しづつ明るい方へと向かわせて行った。そしてハイネマンの提案でベートーベンの「田園交響詩」を心得のある人々で演奏しようと、持ち寄りの楽器で夜毎演奏練習が行われていた。
全てが上手く行っていると思われていた矢先、左翼シンパと疑われていた青年を、特高警察が嗅ぎまわっているとの噂が流れる。
(日本シネマ1980年8月号)

ニューミュージック界の旗手、さわだまさし初監督作品です。比較的新しいので見た方もいらっしゃるかもしれません。
この話は実話で、羽根鉄道の「木陰駅」は当初「講掛駅」と称していたのですが、この映画に語られるエピソードの通り、「こかげの家」がいつか広く認知された為、昭和20年9月に「木陰」と改称されたのです。

映画の大詰めで、石橋雅至扮する特高の刑事に連行されるさわだを見守る村人達の先程までとは打って変わった無関心な目つき。そして元ドイツ捕虜、ハイネマンが涙を拭いもせずに声を振り絞って「さぁ、皆で『田園』を奏でよう!」としきりに指揮棒を振るのに、誰も楽器を取ろうとしない・・・。
衆人の沈黙の恐ろしさを描きたかった。後にさわだ氏はこう語っています。

この「青年」但木泰正は勿論実在の人物です。左翼のシンパであったかどうかは今一つはっきりしません。
ラストシーンで静まり返ったホームから発車して行く汽車の音に被ってさわだのナレーションが入ります。それによると、「私は無実の罪で刑務所に収監されました。そして昭和7年、獄内で病死しました」と言う簡潔なものです。

史実では但木氏は終戦まで生き延び、昭和20年12月に刑務所を出所しています。一度だけ講掛村を訪れた記録があるのですが、その後の行方は杳として知れません。

映画に出て来る列車は、羽根本町に保存されている古典客車をDB201が牽引していました。所が話の展開上どうしてもSLを登場させなければならず、靜畑県の川根鉄道で動態保存されている「豆タンク・1340型」のカットショットでお茶を濁したそうですが、架線が映り込んでいたそうです。
また混合列車を表現するため連結された貨車はどう見ても「ワラ1型」にしか見えず、せめて「ワム23000」でも用意できなかったかとファンを残念がらせました。

映画自体は大変良く出来ているだけに、こうしたディテールが目に付いてしまうのかも知れません。