「喜劇駅前農協」



1962年新映 谷繁久弥主演 笄茂秋監督

あらすじ:駅前の農協に勤めるさえない職員(谷繁)は大の恐妻家。そんな彼の楽しみは、仕事が引けた後ボロボロの汽車で街へ行き、 同僚(淳伴三郎)と共にバーで一杯飲む事であった。
実は彼は一癖ありそうなバーのママ(冨尾和歌子)に丘惚れ。いつか家出して恐ろしい妻(平尾トミヱ)から逃れてママと駆け落ちする事を決意。
所が同僚の告げ口で事情を知った妻は、盛装して列車に乗った夫を、列車内で追い回す。圧巻は谷繁が体を張った「列車内の鬼ごっこ」で、スタントマンを一切使わず客車から貨車に飛び移ったり、車外から窓枠にしがみついて蟹の横歩きよろしく隣りの車両まで逃げたりと、思わず手に汗握るアクションを見せてくれる。
結局妻に追いつめられた夫は、同僚の運転するミゼットの荷台に走っている列車から飛び移り、駆け落ちは成功するが…。
(日本シネマ:1963年正月特大号)

「喜劇駅前シリーズ」の最高峰。駅前農協は谷繁映画の中でも特筆に価する映画であると言われています。
いささか古い例えですが、我が国初の総天然色映画「カルメンは帰郷した」で「浅軽電鉄のカブトムシ電車」が一躍スターダムにのし上がったように、この映画は羽根鉄道の出世作でもあったのです。カット割の中に羽根鉄道の駅や車両がふんだんに使われ、就中博物館ものの明治時代製の客車を小さなSLが牽引するシーンは、映画ファンのみならず世の鉄道ファンを瞠目させたものでした。

時代を感じさせる大道具として「淳伴のミゼット」がよく登場します。
ラストシーンで、ママと駆け落ちしたもののすぐに捨てられてしまった谷繁が、ボロのような服を着てやつれきった様子で線路の上を歩いています。そんな彼の横に停車した「淳伴のミゼット」。
「あんちゃん、シベリアからの帰りケ」
「あぁ、淳さんですか、いやいや、これは珍しい所でお会いしましたでぇ」
「あんちゃん、駄目だよ、おかみさん、こんななって怒ってるよぉ。 帰ったら三日は寝かさねぇって言ってるよ、アヒヒヒヒ」
「いやいやぁ、帰る所がそこしか無いもんですからでぇ」
「ま、いいから乗ってけや。で、どうだった?バーの女は…ウシシシシ」
「いやいや、薄情なもんですでぇ。で、耳を貸して貰えますかでぇ…」
「ウッシャシャシャ…このド助平がぁ」
笑う二人を乗せたミゼットがゴトゴトと動き出すと、その横を細い汽笛を鳴らしながら、汽車が追い抜いて行く…。

尚、撮影中にはエピソードも多く、中でも珍しく元祖マルチタレント、圭六輔が映画に出演した事でも有名です。後に圭さん自身がラジオで言っていたのですが、彼の役は「顔の長い駅員」だったそうです。勿論彼は不愉快でしょう。少し長いですが以下に引用しましょう。

「(略)でね、元々映画に出演しなくなっちゃったって言うのは、その『駅前農協』でのボクの役名が、『顔の長い駅員』って言う役だったんです。失礼しちゃうでしょ。唯の『若い駅員』でいいじゃない。やす子さん(註:番組アシスタントの近藤やす子)そう思いません?それがご丁寧に、あれ何て言うの、スタッフロールで、『顔の長い駅員:圭六輔』って書いてあったの。で、それが原因で、あれからボクは映画に出なくなったんです(笑)」

「何しろ、あのタニシゲやジュンバンが。も、映画の大スターですよ。あの、タニシゲやジュンバンが撮影にやって来ると言うので、当時、羽根町の住民ほぼ全員が駅前広場に押し寄せて来たんです。
するとね、ボクの耳に警察官が、一人で、声を嗄らしながら交通整理しているのが聞こえて来たんです。その時は撮影が押していてボクは出番がなかったのね。で、駅員の衣装を着て、切符切る鋏、あれ、何て言うの?あれですよ。あれを持って駅前にブラブラ出て行って。
で、こっ…からは噂ですよ。あくまでも、当時、羽根町に流れた、まことしやかな噂ですけど。その時ボクが『お巡りさんご苦労様。声がしゃがれた時は、これ嘗めて頑張って下さいね』って言って、「例ののど飴」を、お巡りさんに渡した、って言うのね。で、良く考えて下さい、いくらボクが仕事熱心でも、映画の撮影待ちの間にCMなんかしませんよ。えぇ、しませんよ、そりゃ。
でも。当時ボクは、既にその飴のCMをやってましたから、当然のように撮影には飴を持って行った、筈なんですよね。で、しかも、声が嗄れて困ってるお巡りさんがいたら、ボクの事ですから、当然のように渡していても、おかしくは、ないんです。さぁ、事実はどっちだ。やす子さん、どっちだと思います?
答え。忘れました(笑)。四十何年も前の事ですから、忘れもしますよ、えぇ。覚えてません。本人がそう言うんだから間違いない(笑)。そんで、話を元に戻しますが、この羽根町と言う所は、も、本っ当に…(略)」

この時出演した列車は、それこそキハ41000入線以前の羽根鉄道のオールスターキャストと言っても過言ではないでしょう。SLは予備車の5号機。気動車はそれこそ2軸のキハ31や流線型のキハ42。客車はいわゆるマッチ箱が勢ぞろいであり、地方私鉄ファンには必見の映画でしょう。