おお番長よ







では講義を始めます。今回の講義は日本語の発声と意味合いにつきまして、もう少し掘り下げたお話をしましょう。

唐突ですが『番長』という言葉があります。

『ばんちょう』。何の意味があるでしょうか。ご存知の方?

そうですね。ご存知のように学校とは非血族型集団、あぁつまりゲゼルシャフトの一種であるわけですが、番長とその一味は、そのゲゼルシャフトの中に、自分たちにのみ通用する疑似血族集団、ゲマインシャフトを寄生させようとする集団のリーダーを指します。

『Mitarbeiter der studentischen Gewalt』とドイツ語に直せばこうなります。つまり、暴力学生集団の頭目といった解釈になります。

さて、私がこれまでの講義で明らかにしてきた通り、日本語の文字というものは、その一つ一つに意味が含まれるという事を、今日の講義ではこの『番長』君を例にとって証明して行きたいと思います。

『番長』とは、『ば・ん・ち・ょ・う』の五語から成る名詞で、前回の講義で取り上げた五つの音声擬語、つまり炸裂音、抑止音、静謐音、拡大付音、不浄音がすべて含まれているのです。従って今回はこの語を選んだわけです。

それでは講義の内容に入りましょう。



まず、炸裂音の『ば』です。

この音は前に立ちはだかるものを全て粉砕してしまう、強力な音ですね。『爆弾』の『ば』、『馬鹿』の『ば』です。もしこれが『ば』ではなくて、何か他の音を宛てるとどうなるでしょうか。別に頭は『ば』でなくても良いわけですから。

『にょんちょう』、駄目ですね。『ひょんちょう』間抜けですね。もしも『なんちょう』だったら、どうします?


「お前がこの学校の【なんちょう】か」


「え、はぁはぁ、ほんに今日は良いお天気様で」


「そうじゃねぇ、お前がこの学校の【なんちょう】かって聞いてんだ」


「え、へぇへぇ、お蔭様で孫は達者でおります」


なんてな事になり兼ねないですね。

そんなわけで、『番長』の頭の音は『ば』でなければならない事がわかりました。



続いて抑止音である『ん』が来ていますね。これも重要です。前回の講義で触れましたように、『ん』自体は格別の意味を持ちません。

しかし、この炸裂音『ば』などの後に付くことによって、炸裂音『ば』の意味を、極限まで拡大してしまう、恐ろしい音なのです。

例えば皆さんが町中を歩いていて、前を歩いていた人が突然振り向いて『ばっ』と叫んだ場合と、『ばん』と叫んだ場合と、どちらの驚きがより大きいかを考えて下さい。

どっちも驚く? 当たり前ですねそんな事は。



次に来るのは、静謐音の『ち』です。『注意』の『ち』、『智慧』の『ち』です。この音は、相手と行き会った時などに『俺のほうがお前なんかより頭良いんだぞ』といって威嚇する音です。『知謀』の『ち』でもありますね。

その微かな音に相手は一瞬ビビリます。

『おっ、俺より頭いいかも知れねぇ、こいつは注意してかからないとマズイぞ』と言う事ですね。

えぇ猫と言う動物は大変に用心深い動物でして、身のこなしも軽いですね。そして日向ぼっこしているような時でも、絶えず周囲を警戒している動物です。その猫を呼ぶときにどうしますか? 『チチチチチ』ってやりますね普通。あぁ外人が映画で良くやるように。私は上手く出来ないんですけれども…。



さて次に来るのは今回最も重要な、拡大付音の『ょ』です。

この音は前回の講義で明らかになったように、前後の音の特徴を拡大する『付音』なんですね。先程出てきた『ん』は、前に来る音のみ、意味を拡大する役割を持っていました。しかも相手を選ぶんですね、この『ん』って奴は。

いつだったかなあ、大塚のサービス満点ってお店に遊びに行った時、一緒に行った若い助教ばっかりが馬鹿なモテ方をしてですね、私一人あぶれた事がありました。てやんでえ、飲み屋の女が客を選り好みするんじゃねえや。畜生悔しいな。

ええと、『ん』ですね。あぁそうじゃない、『ょ』の事でしたね。立ち直りが早くなければ、大塚なんかで遊べたものじゃありません。まぁ宜しいです。

あぁそうそう、この場を借りて一言言っておきます。大塚の『アメンボクラブ』の『亜里抄』よく聞けよ。若い奴ばっかりが客じゃあ無いんだ。履き違えんなこのクソ馬鹿野郎め、の、飲み屋の女風情がなあ…飲み屋の女ヅレが…はぁはぁ。

あ、失礼。目から汗が…。

で『ょ』。この音はですね、前にある『ち』の意味と、後に来る『う』の意味を、両方とも強めているのですね。相手に注意を促す静謐音『ち』が『ちょ』となる事によって、更に一層の注意を呼びかけているわけです。



同じ事が不浄音『う』にも言えます。

例えば年末の忘年会シーズンの終電車に乗っていると想像して下さい。たまたま座れました。所が途中から真っ青な顔色をした酔っ払いが口を半分開けてあなたの前に立ったとします。もうオープンリーチの状態ですね。

突然そのヨッピーが下を向いて口を押さえて『う』と言ったら、あなたはどうするでしょうか。あ、下を向くんですね。上を向いて『う』じゃありませんね。マンボじゃないんだから。

当然あなたは、頭上から降り注ぐ恐怖の大王から逃れようと死にもの狂いで逃げ出そうとするでしょう。

当のヨッピーがもしも『うっ』ではなく『ょうっ』と声を漏らした場合は、もっと恐怖は増大し、辺りの人々を押し倒してでも、迫り来る恐怖から逃れようとするでしょう。

そのくらい『う』に前置される『ょ』の破壊力は猛烈な物なのです。お分かりいただけましたか。



それでは、『番長』を各音別に分解したチャートをお目にかけます。

『ばんっ』 【わあっ、びっくりしたあ。何だこいつ、俺に逆らうなって言ってるのか?】

『ち』 【何だ何だ急に静かになったな。意外と頭の切れる奴かも知れないぞ】

『ょうっ』 【わあああっ汚ねぇっ。何だこいつ、いきなりこんな所で】

以上のこのチャートからお分かりの通り、『番長』とは恐るべき破壊力と、知謀と、人間が本来持っている生理的嫌悪感を呼び覚ます何かを併せ持っている凶悪無残な魔物の事であります。

皆さんも、道で『番長』に出会ったら気をつけた方が良い。私も気をつけています。

っと、おや。皆さん。あれ? どこへ行ってしまったんだ。あっ、教壇が無い、やっ黒板も無いぞ。おい、ここはどこだ。俺はここで何をしている。なぜこんなに暗いんだ。

…そうかこれは『番長』のしわざだな。畜生番長め、見てろ…今に見てろよ…