- 作者
- 「北村西望」
きたむらせいぼう
- 素材
- ブロンズ
市制施行40周年記念。
1974年10月19日設置。
作者は、明治17年長崎に生れ、芸術院会員、同第一部長、日展、日彫塑名誉会長、文化勲章受賞。
昭和62年3月4日ご逝去。享年104才。
市内には、他に星川シンボルロードに「戦災者慰霊の女神」がある。
東京都内「井の頭恩賜公園」には「北村西望彫刻館」があり、作者の代表作でもある「長崎平和祈念像」の原型など多数展示されている。また、島原市や南島原市には「北村西望記念館」がある。
熊谷 直実(くまがい
なおざね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。武蔵国熊谷郷(現埼玉県熊谷市)を本拠地とした。熊谷直貞の次男。
熊谷氏は桓武平氏・平貞盛の孫・維時(これとき)の6代の孫を称するが、武蔵七党の私市党、丹波党の分かれともされ、明らかではない。直実の祖父・平盛方(もりかた)が勅勘をうけたのち、父直貞の時代から大里郡熊谷郷の領主となり、熊谷を名乗った。
平家に仕えていたが、石橋山の戦いを契機として源頼朝に臣従し御家人となる。のちに出家して法然の門徒となり蓮生(れんしょう
/ れんせい)と号した。
『平家物語』「敦盛最期」の段における平敦盛との一騎討ちは、直実は敦盛とともにこの故事の主人公として、能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』といった作品に取り上げられている。
なお、熊谷市では、通称を組み合わせた「熊谷次郎直実」の名で紹介している。