山田の春祭は3月ですが役員の人達は12月には
準備に取りかかります。
 祭の1週間前からは、慣らし太鼓が始まります。
慣らし太鼓は、眠っていた太鼓の革を慣らす意味と
腕慣らしと太鼓練習の意味を兼ねています。
 祭の前日、3カ所の屋台蔵前での山車の組立、
祭の準備が行われます。本組(新木屋台)は祭前日、
試し曳きが、行われます。

 15日は、私たち山組は、朝6時前後に1番太鼓
(触れ太鼓・目覚まし太鼓)を叩きます。今では、
公会堂が有り寒さしのぎをしながら屋台番(警備)が
出来ますが古くは外での屋台番、寒さしのぎも有りま
すが、夜明かしで太鼓を叩いたそうです。
 朝、太鼓を打ち慣らす頃、号砲(花火)が上がりま
す。町内の人も集まり、幕の飾り付けが行われ、出発
の準備が進められます。

 午前8時、号砲と共に恒持神社に向けて出発。現実
には出発時間は、後の方に多少ズレます。
 山組の屋台は、屋台蔵を出発して、上組(大棚傘鉾)
と山組との境となる弁天橋の手前で大棚山の麓から
降りてくる笠鉾を待ちます。笠鉾を待つ間も太鼓は鳴らし
続けます。山組屋台は弁天橋の手前の辻を90度の
方向転換、笠鉾の後に続き、恒持神社に向けて更に
進めていきます。

 「大棚笠鉾は明治に入り建造されましたが当時12戸の
住民で造られたと云われます。大棚笠鉾と山組屋台は、
同じ中山田町会の山車です。一つの町会で2台の山車を
所有している為、古くは織物と農業で栄えた時代と違い、
山車の維持には厳しいところです。」
 大棚笠鉾と山組屋台は、山田の薬師堂前を通り、本組
屋台の待つ県道へ出ます。そこから大棚笠鉾、山組屋台、
本組屋台の順で恒持神社に向けて巡行します。
巡行の順番は、変わりません。
山田の春祭り(2)