日の光がどこにも見当たらなくなった、黒い空。
普段住んでいる場所に比べて人口の明かりが少ないその場所では、その黒い空の中にぽつぽつと、ほのかな光の点が見える。
それを見ると、自分は今いつもと違う場所にいるんだな、ということを深く実感する。
いつもと違う場所。
今日、まだ日が昇らず朝にもならないような時間になって、急にふらりとどこかに出かけたくなって。
その仕様に着替えて、ひとりで家を出て、電車に乗って、知らない場所を目指して。
その知らない場所を当てもなくふらふらと歩き回って、時々地元の人に声をかけられ、他愛ないやりとりをして。
別れてまたしばらくふらふらしてたら、別の人に声をかけられ、またやりとりを交わして。
そんなことを繰り返していたら、思っていたよりも早く夜になった。
のんびりしていたつもりでも、時間の流れは意外に早くて。
今になって、過ぎ去った分が少しばかりでもいとおしく思えるほど、早くて。
街灯が少なくて、いつもの場所よりはるかに暗い夜。
そうなると、周りを見渡しても、道を歩く人の姿はあまり無くて、昼間のように誰かと他愛ない会話をすることはできない。
街灯の柱に軽くもたれながら、これからどうしようかと考える。
とりあえず、この場所で夜を過ごすことは確定なわけで。雨が降りそうな気配は、昼間に空が青くて雲が少ない様子を見ているから、心配なさそうで。
どうしても野宿みたいな形にはなる。ただ、せめて少しでも風をさえぎられる場所がいいなと思った。
小さなホール型の遊具がある公園でもあればいいなと思って歩いていたら、今回は運が良かったらしく、本当にそういう公園を見つけることができた。
時計は持ってこなかったから、時間はあまりわからない。ただ、今の時点でも空は真っ暗なので、そろそろ眠る準備はしたほうがいいかもしれない。
そう思って、公園のほうにさっさと足を向けた。ホール型の遊具に空いていた穴に手をかけて、体を持ち上げて、ゆっくりと穴の中に滑り込む。
「っ……だ、だれ!?」
息を呑む音、それから子供っぽい驚きの声がいきなり響いてきた。
まさか誰かがいるなんて思わなくて、僕は声のした方に視線を向ける。
が、公園の外にある明かりがこのホールの中には届かないので、視線を向けるべき方向が合っているかどうか、わからない。
「……誰、の前に。君は何やってんの。子供が外に出ていていい時間じゃないよ?」
とりあえず声に対して返事しておいた。姿形は全然見えないけど、声は明らかに子供だった。
それがどうしてこんな暗い場所にいるのだろう。思いながら首を傾げ、僕は静かにホールの中の地面に座り込んだ。
「……なんで知らない人にそんなこと話さなきゃなんないのさ」
反響して、子供の声はやたらと大きなものに聞こえた。
そのおかげで、つっけんどんぶりもよく伝わってくる。相変わらず相手の姿は見えないけれど。
「……確かにお互い知らないけどね。僕も、たまたまここにいるだけだし」
「……たまたま? あんた、このへんのひとじゃないの?」
「うん。明日には元の場所に帰るけどね。……君はこの辺の子?」
「そうだけど……おれ、悪い子だって。反省するまで外出てなさいって」
会話の流れのせいか、子供はいつの間にか自分の事情を喋っていた。
聞いてみれば、わりとよくある話だと思った。
けれど。
「……今戻ったら、もう入れてくれるかもしれないよ?」
やっぱり放っておけなかった。なんだかんだ言っても、子供がこんな時間に1人でこんなところにいていいわけがないのだ。
早く帰すべきだと思って、そう言葉をかけた。
「……入れてくれなかったらどうすんのさ。……父ちゃん、怖かったもん。すごく怖かったんだもん」
震えた声が返ってきた。怒られた果てに家を締め出されたから、ある意味当たり前の反応なのかもしれない。
「……何やっちゃったの?」
「……ご飯食べてて、どうしても食べられないやつがでて、食べるのやだって言ったら、お前なんかウチの子じゃないって言われて……」
聞いて、僕は思わず苦笑した。食べ物の好き嫌いからこういうことになったのかと納得しながらも、なぜか僕は怒る気になれなかった。
「……反省してる?」
「……そんなこと言われても、きらいなのはきらいなんだもん……」
声が上ずって、鼻をすする音まで聞こえてきた。
父親に怒られたのは怖いことだけど、かと言って嫌いな食べ物を食べようとするのもこの子にはつらいことで。
一種の板ばさみ状態ってやつかもしれない。
「……ごめん。……大丈夫?」
声を頼りに子供の体に向かって手を伸ばして、触れて。
それで位置を掴んでから、僕は子供の隣に移動した。
「……どのくらい、ここにいるの?」
「……わかんない。けど、入れてもらえなくて、ここに来たから……けっこう時間たってると思うー」
やっぱり具体的な時間がわからない。けれどなんとなく、そろそろ両親が心配してるんじゃないかと思った。
「……反省、できなくても。感じてることは素直に言ったほうがいいよ。無理なものを無理にやる必要はないんだから。……君が本当に好き嫌い激しいなら、それは問題だけどね……何が嫌だったの?」
ふと気になって、子供に訪ねてみた。この子供、好き嫌いが激しいのか、特定のものが嫌いなのか。
「……あのね。……セロリがだめなの」
「セロリ……なるほど。……他に何か嫌いなものはない?」
「ううん、セロリいがいは……あ、果物だったらメロンとかだめかも」
「……ふうん。……それだけ?」
「うん。他はなんとか食べれるけど……セロリとメロンはだめなの」
なるほどね、というのは声に出さずに呟いた。好き嫌いはそれほど激しいわけじゃないらしい――となると。
「……やっぱり、戻った方がいいんじゃないのかな。お父さんとお母さん、心配してると思うよ?」
できるだけ優しく声をかけてみた。
「……でも、まだ怒ってるかもしんない」
自信のない声が返ってくる。けれど、それならそれで。
「……落ち着くまで、一緒にいるよ。だけど、ここで寝るのは駄目だからね? 君はちゃんと家で寝るように」
「……にーちゃんはどうすんの」
距離は近いのに、ホールの中は真っ暗なので、お互いの姿が見えない。なのににーちゃんと言われた。
見えなくても、会話していれば自然と伝わるものなんだろうか。
「……僕は、ここの人間じゃないから。適当に場所見つけて寝るよ」
本当はこのホールで寝る気だとは言えなかった。かといってこの言い方で誤魔化せるとも思えなくて。
「だめじゃん! にーちゃんもちゃんとしたとこで寝ろよなー! なんならおれんちでもいいからっ」
「……いや、それはいいから」
思いがけない言葉だったけれど、素直に飲み込むわけにはいかなくて。
「お父さんお母さんに謝るのは、君1人で行かなきゃ駄目だから。僕はついていけないよ。……送るくらいはするけどね」
「……ひとりじゃやだもん」
「……ひとりじゃないよ。君の両親は、君が嫌いになったんじゃないと思うから」
子供は僕に擦り寄ってきた。見知らぬ他人同士だということすら忘れたかのように。
僕は僕で、家に預かっている1人の子供のことを思い出していた――浩都のやつ、今日はどうしてるかな。姉さんと2人で、元気かな。
「……にーちゃん、名前なんて言うの?」
物思いにふけりかけた時、そう訊ねる声が聞こえてきて。相手に見えないだろうけど、自然に微笑みの表情を向けて、僕は名乗った。
「咲良漂。……さくら、ひょうって言うんだ」
「……ふうん。なんか、言いやすいね? あ、おれね、高梨竜汰(たかなし りゅうた)ってゆーの」
子供はこっちが訊くまでもなく、自分から名乗ってくれた。
高梨竜汰。この名前は覚えておこうと思った。その次に、この町にはいつかまた来ようと決意を固めた。
「……覚えておくよ」
「え、覚えてくれるの? ……じゃあおれもー。……ありがとね」
「お礼はいいよ。……もう大丈夫?」
「……うん。……でも、もう少しいっしょにいてもらって、いーい?」
「……いいよ。もう少し、なら」
本当にいつまでも一緒にいてあげるわけにはいかないけれど。だからこそ、せめてもう少し。
高梨竜汰。1人の小さな子供に、ささやかな安らぎを。僕が与えられるなら、喜んで与えよう。
そしてこの子供が、将来健やかに育ってくれますように。そう願いながら、わずかな時間を僕は竜汰とともにした。
お題バトル参加作品(掲載時修正あり)
テーマ:サイレンス
お題:視線 気配 宵闇 時間 ほのあかり ひとり(太字は使用お題)
参加者:哉桜ゆえさん、メェさん、久能コウキさん、空也さん、神秋昌史さん、竹田こうと
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