あなたの記憶の中の海とは、どんなものですか?

 どんなイメージを描きますか? どんな印象を受けますか?

 どんな思い出が眠っていますか?





































 海は青いもの。
 幼い頃から、そういうことが目にも頭にもなじんでいる。

 だって、海はそういう姿を僕に見せてくれるから。
 僕はそれをいつも見てきたから。





 僕が生まれ育った町は、海のそばにあって。
 青の美しさに惹かれて、何度も海岸に足を運んだ。









 その時は、この海はずっと綺麗な青色のまま、目の前に広がっているものなんだろう、そう信じてやまなかった。
 疑うことを知らなかったと言ってもよかった。

















 けれど高2の夏の時、一転してそれを信じられなくなった。





























 それは、一時、紙面を騒がせた事件だった。
 沖の方でタンカーが座礁。それによって重油が流出し、町の海岸に大量に流れ着いてきてしまった。

 もちろん、放っておくわけにはいかない。
 ただ綺麗な海が失われるというのだけじゃない。
 この町では漁師を生業としている人が多いので、海の汚染は死活問題につながることだった。
 なので、重油撤去作業は住民総出で行われた。

 僕も、この作業に参加した。
 というより、僕のところは家族総出で。漁師の父さんについていく形で僕は参加した。







 作業は昼も夜も、休むことなく行われた。
 とは言っても実際はある程度の時間作業した後は誰かに交代してしばらく休み、休んでから誰かと交代してまた作業に加わるという事の繰り返しだったのだけれど。
 父さんは特に率先して作業に加わっていた。それはつまり、貴重な休憩時間を自分から削っているということに他ならなかった。



 地元で一番の腕を持つ漁師で、また生粋の地元の人で。
 それゆえか、父さんはこの町で一番と言ってもいいほど、この海を愛していた。
 母さんも、弟も、僕も、そんな父さんが大好きだった。
 僕はちょっと違うか。海を愛する父さんが好きというよりも、その愛する海について熱っぽく語っているときの父さんが好きだった。

 そんな人だからこそ、今回の事件のせいで海がひどく汚染されたのは許しがたく、一刻も早く元通りにしたいと願ったんだろう。
 だからこそ、自分に出来ることを必死にこなそうとしたのだろう。
 ――だからこそ、必要以上に自分に作業を課してしまったのだろう。







 それは、父さん自身の悲劇へとつながってしまった。





 悲劇は、幕開けから幕引きまで、とてもスピーディーに進んだ。

















 父さんが撤去作業の途中で倒れ、病院に運ばれ、生死の境を彷徨った挙げ句、死んだ。































 いきなりすぎて、僕はすぐには信じる事が出来なかった。
 疲れることを知らなさそうなくらい元気に満ち溢れていて、漁師としても父親としても、立派に皆を引っ張っていた人が。
 重油撤去作業に集中しすぎたことによる過労が原因だと、医者は言っていた。

 みんな、泣いた。
 僕を含めて、家族はみんな泣いた。
 父さんの仲間の漁師のおじさんたちも、みんな泣いた。その漁師のおじさんの家族の人たちも泣いた。
 その他の、父さんの評判を知る町の人たちも、泣いた。

 町総出で、父さんの死に対して泣いた。









 だけど、父さんをきちんと弔うことは出来なかった。少なくとも、今すぐには。



 父さんが倒れる原因となった重油撤去作業が、まだ終わっていないために。



 それどころか、その作業が完了するのは、誰から見ても、遠い先の話になることが明らかなものだった。





































 流れてきた重油に、ひどく腹立たしい思いがこみ上げる。憎く思う。
 この重油が、父さんが愛した海を汚し、果てに父さんを殺したのだ。そうとまで思ってしまう。
 なんで、こんなものが存在するんだろうか。

 一刻も早く、ほんの少しでも早く、この重油を目の前から消し去ってしまいたくて。
 父さんの死を悼んだ後、僕は一心不乱に撤去作業に取り組んだ。
 疲れという感覚を忘れてしまったみたいに、ただひたすら黙々と。





 だけど、取り除いても取り除いても、後から後から重油は僕らの町の海岸へと流れ着いてきてしまう。
 作業に取り組む人々は、続けるごとにどんどん疲労を重ねていってしまうのに。
 重油はそんなの知らん顔でどんどん流れてくる。

 むかついた。
 父さんを殺しておいて知らん顔する重油。そのイメージがひどく苛ついた。
 感覚は薄くても、理性で自分の疲労だって濃いとわかっているのに、そのイメージがどうしようもなく腹立たしくて。
 だから僕は撤去作業にのめりこんでいった。













 しかし、それでも重油はキリなく流れてきた。
 僕らが取り除いた分も、後から流れてくる分が多いせいで、あっさりと相殺されてしまう。
 しかも、動員数が増え、1人1人の休み時間が減ったせいで、作業中に倒れる人の数も増え始めた。

 問題はまだある。
 町の住民の大半が、重油の撤去作業にかかりきりになっている。
 そのせいで、今は町の機能というやつがほとんど停止してしまっている。
 漁師も、企業のサラリーマンも、町役場の公務員も、みんな作業に駆り出されている。



 町全体でそれだけ力を尽くしても。
 それでも重油は知らん顔で流れ続ける。

 そしてそれは町全体を、想像を絶するほどに苦しめた。











































 僕が高2の時の夏に起こった、重油流出事故。



 それは、僕の生まれ育った町における、史上最大の悲劇と言っても過言ではないものだった。



 漁業では数十億円単位の被害を出したと言われている。
 さらには過労による犠牲者まで出してしまった。人数ははっきり覚えている。12人。

 その12人の中には、僕の父さんも含まれる。



 海を限りないほどに愛していた父さんは、汚染された海に殺された。











 それは、僕の中で傷になってしまったらしかった。







 事件の前後で、ものの見方が一変してしまったことが、はっきりと自覚できた。











































 事故の前は、父さんの後を継いで漁師になりたいと僕は思っていた。

 けれど、あの事故から7年が経った今、僕は上京して職を探している。漁師の道を断念して。





 上京した理由は、とても単純で。――傍に海のない生活をしたくなったからだった。
 東京の中でも、海を見に行くことは出来るだろうけど。





 今は、故郷の町の海からは重油は完全に取り払われたけれど。
 元の綺麗さを取り戻したと話に聞くけれど。











 この目で海を見た時、僕はどうしてもその『元の綺麗さを取り戻した海』というものを見出すことが出来なかった。





 太陽の下の海は、綺麗な青色をしていると思ったのに。





















 あの事故の後から、どこの海にも、あの重油の汚い黒色が混じっているように見えてならなかったのだ。
 父さんを奪った色が、ぼんやりと見えてしまい、消えることがなかった。













 連鎖するかのように、反射的に思ってしまうことがあった。













 『この海が、父さんを殺したんだ』と。



























 理性でそれは違うと否定しようとしても、抑えきれず、やがて僕は海に恐怖を感じるようになってしまった。
 青色の中に汚くて不気味な黒色を見てしまい、それに震えてしまい。



 こうして僕は、海の傍にいられなくなってしまったのだ。



















 どうしてなのかは、わからない。

 事故の前の海の記憶や、海を愛する父さんの記憶は、今になっても残っているのに。
 それでも、海の前にはいられない。怖い。耐えられない。



 ただ、もう、そのときの記憶の中にしか、僕にとって『母なる海』と言えるような綺麗な海は存在しない。

 今、僕のいる現実の中に存在する海は。







 ――――海を愛する父さんを殺した、黒い海。







 そして、僕はもはや、それとまともに向き合うことも出来なくなっていた。



















 ならば、せめて覚えていようと思った。



 記憶の中にしか存在しない、僕にとっての『母なる海』を。





 本物の海を眺めることは、僕にはもはや出来はしないのだから。








 この作品は『blue note』のブックエンドで取り上げられています。

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