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「詩人としての旧約預言者」
「詩と思想」 2003. 11 特集「文明と都市」


●都市〈周辺〉の思想
            文化の創造性の起源としての


   北欧の思想家キルケゴール。その思想は、時代の主潮流をなしたドイツ観念論、ことにヘーゲル哲学との対峙から生まれた。だが、実存の深淵から汲みあげられるその思索は、ドイツ的思惟の周辺風土にあったからこそ生まれた。さらに、キルケゴールが若き日に影響を受けた「北方の博士」ハーマン。半世紀を遡る、啓蒙専制君主フリードリヒ二世の時代。君主のお膝元ベルリンの啓蒙主義に対して、むしろ辺境の町ケーニヒスベルクにおいて、より根元的な思索がなされた。そこには、文化の内的位置関係について、歴史の各時代に通じる必然的な意味がある。この二人に学びながら、つねづねそう考えてきた。  ヴェーバー『古代ユダヤ教』は指摘する。文化の根底を見据えた革新的な思想が生まれるのは、合理的文化のその時の中心をなす大都市ではなく、むしろその周辺の地域だ、と。文化の全く及ばない所は問題外だが、文化地帯から外れた地域に最も創造性が育まれる。そこは、隣接する合理的文化に心惹かれ、その舞台に一度は賛嘆するが、その進行と影響に自己の問いをもって対峙する所である。現代の巨大化した都市においては、すでに都市空間の直中に中心と周辺の分離も生じよう。だが、文化が核を持つかぎり、その周辺の意義は変わらない。この点を、古代東方に例を取りつつ、具体的に跡づけていく。

 都市の積極的意義を、その成立をも含めて語る際には、まず古代に目が向けられる。語源的に、文明civilisationは都市市民civisから生じた。また人間は、自然本性上「ポリス的動物」であるとも言われた(アリストテレス『政治学』)。言葉を介して、徳と幸福の実現のために共同体を形成するとき、人間はそのあるべき生を実現する。都市は文明の根拠であり、その舞台ともなる。中世には「都市の空気は自由にする」と語られた。封建制に対して、自治都市は人間の諸能力を実現させ、享受させる積極的な共同空間であった。近代においても、学問思想や文化全般の営みに関して、都市の自由な創造性が唱えられる。一方で、都市の内に含む矛盾として、農村との敵対をも含めて、搾取・抑圧の状況が指摘される。そこには、都市が市民に要求する共同体原理と本来の人間性実現とに齟齬が生じる。だが、そのような事柄は、都市の孕む問題として、すでに古代から意識されてきた。そして、都市文化の両義性が市民によって内から自覚され、それに伴い人間性の根本が問いかえされるとき、そこにはむしろ、周辺からの視線、寄留者の生の形が与っていたのである。時代と文化の活力は、都市という舞台に溢れているように見えるが、その実、活力の源はむしろ周辺にあった。周辺というのは、単純な位置関係ではない。都市の真っ直中に棲んでも、その動態へ関わる態度において、その縁に、あるいは縁の外に立つこともありうる。ソクラテス裁判はその一例といえよう。理想の市民と頌えるクセノフォンのソクラテス像より、アリストファネスが描くトリックスター的挑発者の方が本来の姿に近い。その内在的な〈周辺〉にふれて、アテネの民主政体は衆愚政治として露光した。

 成立の事情を顧みるとき、地中海周辺の古代都市には共通性がある。都市とは、農村社会の中に生じた定住の偏り、その巨大化したもの。それは、市場の所在地として、通商を仲介しつつ発展した。都市はまた、経済的に戦闘能力を持つ市民に基づく軍事的要塞、また聖所と祭司を擁する宗教的・精神的な要所でもあった。都市の支配は周辺の町々や農村に及んだが、都市と農村の間に、また都市自体の内部に経済的対立状況が生じていく。君主制ないし寡頭制、いずれの政治体制を採るにせよ都市貴族をなす有力市民氏族への集権化が進展していく。一方、自由農民は搾取によって社会的に零落し、非軍事化されていく。都市の進展のそのような経過は、ギリシャにも地中海東方にも共通する。

 旧約聖書、「創世記」に町の起源が記されている(四・一七以下)。カインとアベルの兄弟争い、その近親殺人の後日譚として。兄カインと弟アベルの相克には、農耕と牧畜の経済的対立が投影されている。ヘブライの語源ハベルは、農耕民に依存しつつ、その周辺で羊や山羊などの小家畜放牧を生業とした社会層を指すもの。彼らは、自己をアベルに同一化し、暴力的な定住農民の姿をカインに重ねる。だが、カインはまた第二の貌をもつ。殺人者として土地を逐われ放浪者となったその姿は、荒地から忽然と現れて簒奪を繰り返したベドゥィン。第三にカインは、都市建設者と名指される。町に息子の名を付けることは、都市がカインの精神を担うことを裏書きする。定住農民、ベドゥィン、都市居住者の三者は、小家畜放牧者を悩ました力の行使者たち。それらに挟まれた弱者として〈周辺者〉の存在が浮き彫りになる。一方、そのように権力から閉め出された無力の存在をあえて選びだし己の民とする神の憐れみが、この人々にとっての神の顕現となる。それは、出エジプトから四〇年の荒野放浪という経験の歴史化を通じて、言葉化され、伝統化される。

 だが、カインの物語はさらに複雑な問題を含む。都市建設者カインの子孫・末裔から楽人や、鍛冶屋(鉄器製造者)が生ずる。手工業者や商人は、その生業からして都市居住者に相応しいが、本来は〈寄留者〉と呼ばれた人々。「詩篇」に名指されるアサフやコラの楽人一族と共に、イスラエルの客人種族なのだ。彼らは、土地の相続権を持たなかったレビ人・祭司の一族とともに共同体内の〈外縁〉を形成した。カインは、産業、文化の担い手として、イスラエル共同体内で保護された者たちの貌も持つのだ。そのようなカインの両義性から、第二の都市物語が展開してくる。「バベルの塔」の記述である。塔ははっきりと町の象徴と述べられる。「我々は町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」と。塔の思想とは、人間の限度を超えた栄誉追求。人間の不遜な自己拡大に、その言語能力と都市の技術力とが与る。都市は文明の舞台、塔はそのアイコンである。都市の問題性が、共同体の〈内側に〉自覚された形で、そこにはすでにはっきりと語られている。

 先述のように、ヘブライ民族の起源は、農耕民に依存しつつ生きた半遊牧民である。彼らは、力の行使者の〈周辺〉にあることの意味を知っていた。この民の倫理的原点とは、その〈周辺〉から出発し、荒野の限界状況において契約の神に出会い、その庇護のもとに、誓約共同体の真実に立つことであった。その出自ゆえに、この民自体の〈外縁〉をなす人々もまた、彼らの庇護に委ねられた〈周辺〉者として憐れみの対象となった。だが、カナン定着、農耕への主要産業の転換、都市の形成という一連の過程は、〈外縁〉を〈中心〉へと移行させる。都市貴族による農民搾取と経済格差の拡大、さらに王制への移行を通じて都市の精神が徹底される。それは、共同体存立原理の転換を意味した。預言者は、レカブ人という禁酒を固守する人々に言及する(エレミヤ三五章)。彼らはそのような転換を最初から容認せず、定住と農耕(葡萄栽培)を拒んだ人々。耕作拒否は文字通り文化拒否。そのラディカルな保守主義は、北米のアーミッシュに通じるといえよう。預言者は、この人々に好意的だが、その文化拒否の態度までは共有しない。農耕に由来する恩恵、また知識人のしての出自が都市と文明に結びつくことを熟知している。だが、それらを建国の精神と真理伝承の言葉に照らして根本から検証・批判する。それは、王国の進展とともに抑圧され、零落していった社会層の側に立つこと。かつての〈周辺〉の状況下の誓約共同体の倫理的誠実と、その弱小者を憐れんだ神の本意を指し示すことであった。

 イスラエル王国の南北分裂後、ヤロブアム二世のもとでの北王国の最後の繁栄期。アモスは、北王国の聖所ベテル、また首都サマリアで預言した。「私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた」(アモス七・一四)。遙か南の田舎町テコア出身の野人であって、自分は都会人ではない、と彼は言う。だが、その預言の示す驚くべき国際性。
 
   ダマスコの犯した三つのそむきの罪、
   四つのそむきの罪のために、
   わたし[=ヤハウェ]はその刑罰を取り消さない」(一・三)。
   
続けて、近隣の五つの異邦人都市国家に対して、次々と神の審判を告知する。聴衆はこれを拍手喝采で迎えた。審判の根拠はそれぞれの国の国際法違反。隣国への信義を欠いた仕打ちのゆえである。預言者の言葉は、さらに兄弟国家ユダとエルサレムへの審判宣告へ。聞き手の興奮は絶頂に達する。だが、まさしくそこで審判のリフレインは北王国自体に向けられる。
 
   イスラエルの犯した三つのそむきの罪、
   四つのそむきの罪のために、
   わたしはその刑罰を取り消さない。
   彼らが金のために正しい者を売り、
   一足のくつのために貧しい者を売ったからだ。
   [・・・]
   彼らは、すべての祭壇のそばで、質に取った着物の上に横たわり、
   罰金で取り立てたぶどう酒を
   彼らの神の宮で飲んでいる」(二・六‐八)。
   
隣人への信義を欠いた仕打ちは、実はこの国の内に充ちみちている。神の憐れみの選びに立つと自らを誇るこの国は、他国を嘲る資格があるのか、と。テコアは遠い田舎町ではあったが、街道沿いの要所として情報には事欠かなかった。何よりも、情報を心で捉え直す〈周辺〉の時がアモスにはあった。

 アモスの預言は、当時の社会的不正を糾弾する。だがそれは何よりも、革命による国土分断によって成立したこの国家の建国精神を問題とする。建国の父ヤロブアム一世は、政権の合法化と維持に宗教を利用した。彼は、ベテルとダンを自前の聖所とし、もうユダの聖都エルサレムに往く必要はないとして、民心を南王国から切り離したのである。さらに、聖所にカナンの農業信仰の金の子牛を据えてわかりやすい宗教(多産=御利益)を導入した。しかも、ベテル聖所は北王国の国境近く。喩えて言えば、靖国を北方領土の目前に設置するに等しい。国土防衛に民心を惹きつけるには恰好の奸策。これに対する預言者の言葉は徹底的な宗教批判となる。

   わたし[=ヤハウェ]はあなたがたの祭りを憎み、退ける」(アモス五・二一)。
   「わたしを求めて生きよ。ベテルを求めるな」(五・四)。
   
ベテルに対する批判は、北王国首都サマリアに住む上流階級を見据えている。

   象牙の寝台に横たわり
   長いすに身を伸ばしている者は、
   [・・・]
   牛舎の中から子牛を取って食べている。
   彼らは十弦の琴の音に合わせて即興の歌を作り、
   ダビデのように新しい楽器を考え出す。
   彼らは鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗るが、
   ヨセフの破滅のことで悩まない」(六・四‐六)。

まさしく文明批判のことばが、簡頚な詩文で語り出されている。

 都市の倒錯を糾弾するアモスの預言は、文明の〈周辺〉で、伝統の言葉を反芻する営みから導かれた。一方ホセアは、都市文明の直中で、その罪過を身に負わされ、辛い闘いへと導かれた。その預言者への召命は衝撃的。社会の腐敗は家庭のただ中に浸透して来る。
 
   行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。
   この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ」
                             (ホセア一・二)。
   
預言者は民の罪と病を身に負えといわれる。それは「姦淫の霊」が吹き荒れる時代状況に総身を晒せと言われることだ。実存の痛みから語られる言葉は、ことの真相を深く抉り出す。

   イスラエル人よ。
   主のことばを聞け。
   主はこの地に住む者と言い争われる。
   この地には真実が無く、誠実が無く、
   神を知ることもないからだ。ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、
   盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。
   それゆえ、この地は喪に服し、
   ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに
   打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる」(四・一‐三)。
   
昔から戦争によって都市周辺の森が破壊された例がある。社会の腐敗が自然の困窮をもたらす。環境破壊の元凶への直感的洞察はむしろ現代的である。預言者は、〈周辺〉の忘却、荒野における神との誓約の「誠実」の忘却に、諸悪の根元を帰す。その言葉は、心ある人に託され、王国滅亡という審判の時まで都市文化の〈外縁〉に保存される。

 〈周辺〉は位置関係のみを表す関係概念ではない。それ自体が内実を持つ真理概念である。イエスが「貧しい者は幸いだ」と語ったとき、このような預言者的伝統の培った〈周辺〉を指し示し、これに祝福を告げたのだ。農村生活に身近な自然の比喩で充ちているイエスの言葉は、後記ユダヤ教の周辺の地ガリラヤから、その中心都市エルサレムの伝統を覆す革新の言葉であった。これを地中海世界のさらに大いなる中心へ運んだのはパウロ。ローマ市民パウロは、そのようにしてこの〈周辺〉から、ローマの文明を逆照射した。これを鑑みるとき、一切を一つの中心へと収斂させるヨーロッパキリスト教の文明論は、自己を見誤っている。事実、アッシシ、ヴィッテンベルク等での宗教改革は、〈周辺〉を内側から再確認する努力であった。ゆえに、西洋を単純な一枚岩と見なして、これを鵜呑みぺらぺら式に吹聴したり、西洋に東洋の融通無碍を対置して自足するのは、どちらも、おめでたいばかりでなく、不毛である。むしろ、東京の一極集中をアイコンとするようなこの国の思想と文化のあり方に、〈周辺〉を指し示す言葉の再読が求められる。  



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