夢が現実に
高校に入学後、本格的に投稿を始めました
高1の冬に再び投稿した作品の成績は
「Bクラス とりわけ絵が問題」
少しは成長しています
このころから、全くの作り話ではなく、自分が感じた気持ちを織り交ぜていこうと考えていたように思います
そんな私が描いたBクラス投稿作の絵 ↓
今回はちゃんと原稿も返ってきたので、こんな自分を追い込む行為もできます
原稿返却と同封で、次回の投稿用に、りぼん特製封筒を同封してくれるのですが
その封筒の裏に書いてあったある言葉に、私は毎回励まされていました
今でも忘れません
「次のりぼんを担うのはあなたです。失敗を恐れず、投稿してみよう!」
こんな感じの言葉だったでしょうか。本気で感化されたのでしょう
単純です
この後、16歳の年に、私は立て続けに投稿を始めます
投稿3作目 1990年5月発表 「Aクラス・奨励賞」
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投稿4作目 1990年8月発表 「努力賞」
ご存知の方も多いと思われますが「りぼん漫画スクール」では、Aクラスより上は扱いが変わります
本誌にカットと批評が掲載されるのです
発表号を読むまで、私が「努力賞」をもらえていることなど知らされていなかったので
本誌を開いたとき、どんなに心臓が飛び出るような、信じられない気持ちに襲われたことでしょう!
発表のページを何度穴が開くほど眺めたことでしょう
とにかくその回の3位か4位くらいだったでしょうか?
驚きはそれだけではありませんでした
なんと、数日後
あの集英社りぼん編集部から、平凡な日々を過ごす我が家に1本の電話がかかってきたのです!
これは事件です。かなり事件です
ごく平凡などちらかといえば地味な高校生の私に
あの集英社・りぼんの編集者さんから私の担当者にになって作品をみていただけると言うのです
よく聞くと、私の良く知っているプロの作家さんたちの担当もされているとおっしゃるじゃないですか
ねえさん、どう考えても事件です
人生が動き始めました
思っていたほうへ
それまで私は原稿に入るまで、プロットしか作っていなかったのですが
初めてネームとういものを作ってみせることになりました
新しい作品は、プロットを作るところから担当さんと二人三脚です
初めての集英社にも通いました
こうしてできた投稿作が16歳の秋に完成
投稿5作め 1990年12月発表 りぼん漫画スクールにて
「佳作」&「シーズンベスト賞次席」を受賞
翌年1991年1月の「りぼんオリジナル早春の号」にて同作を掲載&デビュー
となりました
私は17歳になっていました
こうしてプロの先生方と同じ土俵に上がり、少女漫画雑誌ナンバー1の想像もできないくらいたくさんの
読者の方々のお目に触れることにより、ますます一層の努力をしていくことになりました
さあ、ここからが本番です
あのころ同じ時期に投稿されていて、今もご活躍されている先生方をみると、今も励まされます
15年以上たった今、やればやるほど奥深い職業で、なんて欲張りな職業なんだろう
勉強することは増える一方で、絶える事がありません
なんて大変なんだろう。昔のように自由に描けたらいいのに
思うようにはいかず、悔しい思いをすることのほうが多い仕事ではありますが
それでもやはり漫画の魅力に惹かれてしまいます
ほかには替えられない何かがあります
楽しさがあります
私にいろいろなことを教えてくれた漫画と
当時から今まで、応援し、助け、力を貸し、チャンスをくださった、読者、編集者さん、印刷所の方々
友達、家族、全ての人に
心から感謝いたします
そしてこんな私ですが、これからもどうぞ宜しくお願いいたします!