2025年2月9日 メッセージ要旨 | ||||
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信仰を称賛された百人隊長 ルカの福音書 7章 1~10節 |
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今週の聖句 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。 へブル人への手紙11章6節 |
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百人隊長はイエス様に直接お会いすることはありませんでしたが、イエス様がその場におられなくても御力が働き、病気で死にかけていたしもべは良くなりました。この出来事は、初代のユダヤ人クリスチャンたちから福音を伝え聞いた異邦人教会の人々にとって、イエス様にお会いしたことのない自分たちにも同じように御力が働く根拠となり、大きな励ましとなったことでしょう。 百人隊長が使いを出して、「あなた様を、私のような者の家の屋根の下にお入れする資格はありません」(6節)とイエス様に伝えたのは、彼が異邦人であったからです(9節)。当時のユダヤ人は異邦人と交際しなかったので、ユダヤ人であるイエス様が、異邦人の家に入るのにためらいがあるかもしれないと、彼は考えたのです。 けれども、彼はユダヤ人の長老たちが「資格のある人です」(4節)というほど信頼されていて、ユダヤ人のために会堂を建てた(5節)、親切な人でした。 イエス様が百人隊長の家からあまり遠くないところまで来たとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、「主よ、わざわざ、ご足労くださるには及びません。・・・ただ、おことばを下さい。そうして私のしもべを癒やしてください」とイエス様に伝えます(6~7節)。彼は自分自身の経験から、ことばで命じれば兵士たちがそれに従い、そのことばのとおりになることを知っていました(8節)。同じように、イエス様がその場におられなくても、ことばでお命じになれば、そのことばのとおりに実現し、しもべは癒やされると考えたのです。 イエス様は百人隊長の信仰に驚かれ、彼の信仰を称賛されました(9節)。 現代に生きる私たちは、イエス様の姿を肉眼で見ることはできませんが、イエス様は私たちとともにおられます。私たちの心には、御子イエス・キリストの御霊が住んでおられます(ガラテヤ人への手紙4章6節)。私たちにはその資格はありませんが、イエス様が十字架の上で私たちの罪を負ってくださったので、私たちは罪赦され、神との平和が与えられ、聖霊の宮とされたのです。これは神の恵みです。 その恵みに応えて、私たちは信仰を働かせるべきです。姿は見えなくても、万物を従わせることのできる主がおられ、みことばを実現させて、私たちに報いてくださると信じてまいりましょう(へブル人への手紙11章6節)。 |
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