2025年2月2日 メッセージ要旨
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 主の恵みから目を離さないで

                         サムエル記第一 12章 18~25節
 
                                                                                                                                      
     
 ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。
                                     
                                    サムエル記第一 12章24節
                           
 神はあらゆる罪の上に悪を加えてしまった民を捨て去らない、寛容な方です(19節.22節)。「愛は寛容であり」(コリント人への手紙第一13章4節)とあります。その愛は十字架に示されています。キリストが十字架の上で人々の罪の罰を受けてくださったので、信じる人は罪赦され、神の御前に立つことができるのです。
 神はご自分を呼び求める人々を決してお見捨てにはなりません(へブル人への手紙13章5節)。それなのに、人は神のもとから離れてさまよいやすいのです。民は人間の王を求めることで、神が王として彼らを治めるのを拒んでしまいます(19節.8章7節)。
 人は主に従う道から外れやすいのです(20節)。「空しいもの」(21節)とは偶像を表すのに用いられることばです。木や石の像だけでなく、富や名声など、この世のあらゆるものが、神に代わってあがめられる偶像になり得ます。それらのものは役に立たず、人を救い出すことができません(21)。神だけが人にいのちを与え、すべてのことから救い出すことのできるお方です。神のもとから逸れることのないために、「心を尽くす」必要があります(20節.24節)。
 姦淫の場で捕らえられた女の人が、イエス様のみもとに連れて来られた場面で、女の人を石打ちにするよう律法が命じていると訴える人々に対し、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」とイエス様は仰せになりました。人々は、一人、また一人と去って行き、だれもさばきを下しませんでした。イエス様も「わたしもあなたにさばきを下さない」と言っておられます(ヨハネの福音書8章1~11節)。彼女は罪赦されたのです。なぜなら、イエス様が十字架の上で彼女の罪をその身に負われるからです。イエス様が十字架の上で私たちの罪ののろいを受けてくださったので、信じる私たちに神の祝福が及んでいるのです。
 しかし、その恵みに背を向けてしまったら、滅び行くこの世とともに滅びに向かって行くほかありません。イスラエルの王国は、この後、北と南に分裂し、北はアッシリアに、南はバビロンに攻められて崩壊し、南ユダの民はバビロンへと捕らえ移されてしまいます。神に従う道から外れたため、彼らはそのような破滅の道へと向かってしまったのです(25節)。
 神は今日に至るまで私たちを守ってくださっています。主が良くしてくださった一つ一つの恵みを忘れないことです(詩篇103篇2節)。そして、何よりも、罪深い私たちを見捨てず、十字架によってのろいの代わりに祝福をもたらしてくださったイエス様の恵み、御子さえも惜しまずお与えになった神の大きな愛から目を離さないことです。神のもとから逸れてしまうことのないように、主がどれほど大いなることを私たちになさったかをよく見て(24節)、心を尽くして主に仕えてまいりましょう。