2025年1月26日 メッセージ要旨
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                                        メッセージ   丸山豊牧師

 キリストの復活の力

                         ピリピ人への手紙3章 5~14節
 
                                                                                                                                      
     
 罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
                                     
                                    ローマ人への手紙 6章 23節
                           
 この手紙を書いているパウロは、ローマで捕らわれの身でありましたが、自分をマラソンランナーに譬えて、「...うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださる賞をいただくために、目標を目ざして走っているのです。」と述べております。  律法を文字通り遵守することに人一倍熱心で、既に得ていた教育、国籍、家柄、遺産、正統性、活動、道徳性等をもって神に仕えようとしていたサウル(ヘブル名)が、ダマスコ途上で復活のキリストに捕らえられ、キリストの死と復活の力が働かれると<目からうろこ>で、「ただちに諸会堂で、『イエスは神の子である』と宣べ伝え始めた。」(使徒の働き9章)とあります。
 死によって罪に勝利し、復活によって死に勝利して、人間を罪と死の束縛から解放し、私たちに永遠の命を与えて下さったイエス・キリストを知っていることのすばらしさのゆえに、彼にとって益であった地位も、名誉も、財産も道徳性も、ちりあくたのように思って捨て(マタイの福音書13章45~46節)、福音宣教に熱心なパウロ(ギリシャ名)となり、迫害者が、迫害される者となったのです。
 しかも、パウロが捨てたはずの彼の経歴、受けた訓練、持っていた市民権、彼の考え、弱さ、彼の荒々しい気性や激しさや熱心すらも決して失われず、福音の前進のために大いに用いられて、エルサレムから始められた異邦人宣教の働きは、3回の伝道旅行を通して<すべての道はローマに通ず>と言われたローマ帝国にまでくまなく伝えられて、次々と教会が誕生し、彼が教会に宛てた7通の書簡は諸教会で回覧され、やがて新約聖書の聖典として加えられて、主イエスの教えは、ユダヤ人の民族宗教から、民族の枠を越えた普遍的な世界宗教としてのキリスト教にまで高められて行きました。 
 パウロが最も重要なこととした宣教内容は、キリストの受難の死と、葬りと、復活と、復活後の顕現であり(Ⅰコリント人への手紙第一15章3~7節)、パウロの目標は、キリストの苦難にあずかって、その死と同じ状態になり、何とかして死者の中からの復活に達することでした。
 パウロに働かれたキリストの罪と死を滅ぼす力は、キリストの血によって罪赦され救われている私たちの信仰生活に、どれ程働かれているでしょうか? 
 私たちの人生のゴールは、人に定められている「死」では決してありません。
 ソドムとゴモラの滅亡の際、逃げる途中に振り返るなとの神の言いつけに背いたロトの妻は「うしろを顧みたので塩の柱になった。」とあります。
 約束のものを手にするまでは、決してコースアウトしてはなりません。
 死の向こうに約束されている<永遠の命>を目指して、罪に勝利し、死に勝利して復活の初穂となって下さったキリストを求め続け、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださる賞を得るために、自分だけでなく、あの人もこの人も共に手を携え励まし合って、信仰の道程をひたすら走り続けて参りましょう。                                                                        (丸山豊牧師)