2024年8月18日 メッセージ要旨
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福音が世人へ及ぶために

                                               詩篇 67篇1~7節                                                                                                                                       
     
 どうか神が私たちをあわれみ祝福し御顔を私たちの上に照り輝かせてくださいますように。あなたの道が地の上で御救いがすべての国々の間で知られるために。
                                          
                                         詩篇 57篇1~2節                     
 神が御顔を向けてくださること、すなわち、神のご臨在にあずかる、神ご自身との生きた交わりこそ、祝福の本質です(1節)。
 この詩篇では、その祝福を求める前に、神のあわれみを求めています(1節)。人は本来、神との親しい交わりを持つ者として造られましたが、最初の人であるアダムとエバが神に背いたことで、人は生まれながらに神との関係をはばむ罪を持つ存在となってしまいました。
 けれども、神は人をあわれみ、十字架の上で人々の罪を負ってくださったキリストによって、信じる者に、罪赦され、神との関係が回復されて救われる道を開いてくださいました。キリストを信じる私たちは、その恵みにあずかり、御顔を、すなわちご臨在を仰ぎ、神との豊かな交わりに生きる祝福に与っています。
 しかし、この詩篇は神の民の祝福を求めることに終止しません。神の民が祝福されることによって、御救いと賛美が全世界へと及んで行き(2~3節.5節)、地の果てのすべての者が神を恐れることを願って、祈っています(7節)。実現すれば壮大なリバイバルの光景です。
 そのリバイバルは、私たちから始まるのです。キリスト者が御顔に照らされて輝き、恵まれ、祝福されることで、神の恵みはまだ救われていない人々へ及んでいきます。
 私たちが神との生きた交わりによって祝福されるには、神との関係を正すことが不可欠です。御顔を隠させ、神との交わりをはばむものは罪です(イザヤ書59章2節)。その罪の本質は自己本位にあります。エバは「あなたがたが神のようになる」とサタンに惑わされて、禁断の実を食べてしまいました(創世記3章)。そこに、神に代わって自分を神とする自己本位があります。
 だれも二人の主人に仕えることはできません(マタイの福音書6章24節)。自己本位でありながら神に仕えるということはできないのです。ですから、イエス様は、「自分を捨て、・・・わたしに従って来なさい」(マタイの福音書16章24節)と言っておられます。
 イエス様を信じて新しく生まれたからといって、罪が全くなくなってしまうわけではありません。地上の生涯の間は、きよめは未完成で、自己本位な肉の性質が残っているのです。ですから、絶えず自己本位を退け、御霊に従っていくことが大切です。罪を示されたら、神のあわれみのもとに悔い改めることです。そこに十字架の恵みがあり、神はその罪を赦してくださいます(ヨハネの手紙第一1章9節)。
 祝福が私たちから世人へ及ぶために、まず私たちが祝福されるよう歩んでまいりましょう。